『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

若狭の衆(わかさのしゅう)

2020-02-22 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
若狭の衆(わかさのしゅう)

<現代仮名遣い>わかさのしゅう


1577年2月信長雑賀攻めに参戦。

1577年3月続いて雑賀の鈴木孫一の居城を攻

    める。

1577年8月柴田勝家の北国攻めに参戦。

1578年6月信忠播磨攻めの時、神吉城の西の山

    に請手として布陣。

1578年6月請手が必要なくなり、東の方から神吉

    城を攻める。

1578年11月信長の荒木成敗に参戦。見野の郷に

    布陣。

1581年2月の京都馬揃えで、惟住長秀・摂州衆・

    若州衆・河島一宣が馬場入り一番手を

    つとめる。

1581年9月北畠信雄の伊賀攻めに参戦。惟住長

    秀・筒井順慶・蒲生賦秀・多賀常則・佐

    々木京極高次・若州衆は名張郡を受け

    持ち成敗する。




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