『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

長井道利(ながゐみちとし)

2018-08-01 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
長井道利(ながゐみちとし)

〔現代仮名遣い〕ながいみちとし

※下線部は信長公記以外の記事によります。


隼人正。斎藤道三の弟とあるが、実は道三が

若いときの子息。

1555年11月義龍と組んで、日根野備中弘就に

    孫三郎・喜平次兄弟を殺害させた。

1567年8月美濃を信長に征圧された後は逃亡。

1569年1月三好三人衆・斎藤竜興と組んで、将

    軍義昭を六条城に攻撃。

1570年6月姉川の合戦の最中、野田・福島に

    篭城し信長に反抗。その後信長方となる。

1571年将軍足利義昭が信長と兵を構え、和田

惟政が荒木村重の臣池田知正と交戦したとき、

惟政の救援に出兵し、8月摂津白川河原で敗死。



 ※信長公に反抗していた時は威勢がよか

  ったのに、身方になってから1年ちょ

  っとで敗死してしまうという・・諸行無

  常でございます。


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