21st schizoid mannerism

書き殴り捨てさkdぁえjlうぇfかdさ

現在の興味メモ

2008-02-14 05:39:15 | Weblog
卒計 ひと段落。

力不足に対して。
①スキル不足
②ディテール・工法・その他リアルな生産に関する知識
③研究テーマ(場所論から?)


卒計ーーー自分の、アーティスト気取りの下衆な完璧主義によって、合理的な設計の決定条件を崩していく。コルビュジエ?藤本壮介?のように、ある種のキーワード、ダイアグラムで示すことのできる設計が、テーマとなる問題を解決している状態にしたい、プレゼンテーションで伝わるものにしたい、早稲田建築のややアナクロな概念主義、造形主義をも踏まえた上で、評価される作品にしたい、という邪念。パートナーのリアリスティックな性能主義は理解できるが、もうちょっと抽象的に、独断的?概念的に、解決する、解決のヴィジョン?解決の魅力的ストーリー(モノローグ?)を構築することによって、紙上の計画として評価されたい、という意識。建築学科の非社会性に近いような立ち位置に適合するための社会性を追求したい。ーーー評価されたい、という個人的な弱さ。所属している組織に評価されないと…という焦り。人格的弱さ。

思考の整理ができていない。思考に時間がかかりすぎる。蓄積しない。常に始めから考え直そうとする優柔不断。---合理的に思考、手法を体系化していかない。適当に物事を捉えすぎ。あと、不安で最初からやり直したくなるという、気持ちの弱さ、人格的弱さからくるもの。


研究ーー自分の設計手法にとって。
自分の興味、構成的な手法、様々な要素、あるいはシステムがレイヤー、層状に重ねられて、複雑なリニアな空間ができていく。そして、どこがカタチの決定条件なのか。決定条件を定めないと設計が収斂していかない。

☆キュビズム、デ・ステイル、ピュリスム、ロウの透明性の議論、
抽象芸術の美学から、生産、技術的な整合性、経済性をともなっている抽象図形。
池原義郎、入江正之の抽象形態の意匠的造形、

水野さんの、スカルパのドローイング論に触発された部分。
二次元でのスタディー(平面・断面・パース)と3次元の建築空間との関係
いかにして実体の空間として2次元で設計できるか?

場所論とのからみ。抽象芸術の否定、モダニズム否定、となりがちな部分と、それに対しての場所定位の抽象、周辺環境を建築要素として抽象化したときの、例えば軸線、にあらわれるもの。(場所論とは、違うな。異質なものだな、無理につなげる必要ない)

場所論は、建築を通史、思想的に見ていくときの切り口だな。場所と、非場所。ネットワーク化された現代。都市に浮遊する自分。「場所」あるいは「場所論」を価値として見た時のアナクロさは、やっぱり避けたい。卒論の失敗だから。

かたちの永続性と、意味の転用可能性。「機能は、形態に従う」by中谷礼仁、アルドロッシ、などタイポロジー派。
印牧さんの修論、スカルパの庭における、断片、「意味の宙吊り化」→かたちとその意味が1:1対応でない、多義的?な状態。

■機能って、メタファーみたいなもの?言ったから、そうなる。そう見える。
象徴的な意味を込めた造形、あるいは象徴的な記号の形態なんかと、そんなに変わらない?形態の自立性。
でも、リアルな社会生活の上で、形態には機能にあったカスタマイズがされないとなりたたないという現実。


磯崎新の建築談義#3 ヴィッラ・アドリアーナ

2008-02-14 05:10:28 | Weblog
ヴィッラ・アドリアーナ
ローマ皇帝ハドリアヌスによる、都市スケールの個人的テーマパーク

大浴場ーローマ都市においては、浴場がひとつのコミュニティセンターの役割を果たしていた。

18世紀のピラネージがたびたび題材にとりあげた

ル・コルビュジエへの影響
1920年代のピュリスム(純粋主義)から、洞窟的なイメージ(ロンシャンの教会堂の初期イメージ)

コルビュジエが20年代末にセルトの案内でガウディ作品見て回る
→一番興味持ったのは、カタラン・ヴォールト。
コルビュジエはこれ使う

ハドリアヌス
パンテオンののち、アドリアーナを20年かけて建設
徐々につくる、つぎたしていく

三島由紀夫の自死との関連
同性愛者ー
「僕がローマで発見したのは、ボルゲーゼ美術館にあるヘルマフロディーテでした。両性具有の像なんですね。(中略)両性具有は奇形でも不具でもなく、混在した自我の身体的な表現にすぎないのです。」

ローマ時代の壁のつくりかた
不整形の小石をコンクリートで固めたオプス・インケルトゥム(乱石積み)平積みと網目積みを併用したオプス・ミクストゥム(混石積み)→「大浴場」に使われる。


「ヴィッラ・アドリアーナ全体を見渡して驚嘆するのは、一つ一つの建物が形式的に完成されていて、反復が少ない。それぞれ変化に富んでいる。まるで建築形式の資料集成のようです。なかでも「ピアッツァ・ドーロ(黄金広場)」は、特に独創的ですね。バロック的な構成を先取りしています。

「僕は1978年に、「間」とう展覧会をパリでーーー
僕と武満徹が招聘された。僕は、「間」というコンセプトを、日本の独特の空間、時間に対する感覚の捉え方であると言って、それを空洞、空白、沈黙などと関連づけました。→「日本から「間」というのが来た。それに対抗できるヨーロッパにおける概念は何か。バロックしかない。「間」展に対抗できるのは、バロックだけだ」
ヴィッラ・アドリアーナにバロック起源のヨーロッパ的なものがある。
光と闇のめくるめく対位法

■「間 空洞、空白、沈黙…日本的なるもの?
■対位法とは


桂離宮とヴィラ・アドリアーナ
堀口捨巳の桂離宮論(パルテノンと茶室を比較)
「僕は、桂離宮の構造と、ヴィッラ・アドリアーナの構造が非常に似ていると思う。ハドリアヌス帝の持つ記憶をいっぺん消化して、空間化して、それがひとつの集合体になっている」イソザキ