マッシーパパの遠吠え

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三浦和義はアメリカに殺された?それとも因果応報?

2008-10-18 08:54:05 | Weblog

三浦元社長が10日、ロス市警本部の留置場で、2段ベッド(高さ約1・2メートル)の端にひも(Tシャツ)をくくりつけ自殺。そしてその死因をめぐって喧々諤々、連日のワイドショーで格好のねたにされていた。が、それも14日、検視の結果を受け、米ロサンゼルス郡地検が自殺と断定、訴追取り下げを裁判所に提出。それが認められて事件が終結するとともに以後、ブラウン管から一斉に消えてしまった。

ま~、ワイドショーとはそんなもので、旬が終われば、全てわれ関せずで事件の検証を忘れてしまう悪い癖がある。たとえば、この事件に一番(?)、力を入れていたTVの「ワイド・スクランブル」など、たびたび、元社長の日本での弁護士・弘中氏や友人と自称する輩をゲストに迎え、逮捕の非を訴えさせていた。そして、自殺直後にも、同番組で、「直前まで戦う意思を見せていた。彼の自殺などありえない」とあたかも、アメリカ当局に殺されたかのような発言まで飛び出し、夫人も遺体を引き取らないといっていると非難。そして、またぞろ、「一事不再理」を持ち出し、日本政府の不甲斐ない外交責任まで追及している。

どうやら、三浦氏擁護派の共通する主張は①卑しくも、日本の最高裁が「シロ」と断定したものを米国の裁判で再度裁くのは万国共通の「一事不再理」に背く ②米側が有罪にしたいのなら堂々と日本政府に身柄引渡しを要求すべきである。それを、夫妻で観光していたサイパンで待ち伏せして逮捕するのは卑怯である ③そして、これらは日本の主権が侵されるに等しい行為だが、政府はこれに対し、抗議するどころか鳩山前法相など、求めに応じて資料を米国に提供している。まさに米国追従、軟弱外交だとするのだ。

又、この「米国追従、軟弱外交」には相当、若い人が触発され、その彼らがこの主張に加担する主たる理由になっているように思われる。

というのは、この事件の発端が1981年というから優に27年の歳月を経ている。つまり、少なくとも40代でないと事件の真相が理解できず、前述のように「最高裁で無罪になった事件」としか頭に残らないのである。それに、日本人の性格としても、熱しやすく冷めやすいから、ほとんど事件そのものが風化してしまっているのだ。そして、何よりも、マスコミが今回、一切犯人扱いせず(被告と呼ばず元社長で通す)、古い傷に触れなかったことも、「三浦シロ説」がまかり通る結果となった。また、それに異常なまでのマスコミの沈黙も大いに加担。心象をよくしてしまったのである。

ところで、マスコミの沈黙だが、いささかそれには理由があるのだ。かって、ロス銃撃事件後に週刊文春の「ロス疑惑」報道が始まり、追いかけるように連日のごとくTVで報道された。それを、三浦氏が獄中で法律を勉強、弁護士を立てずにマスコミに対する名誉毀損の訴訟を476件提起、そのうち80%が勝訴したともいわれ膨大な賠償金を手にしているのである。だからこそ、TVも沈黙を余儀なくされたのでないだろうか。

従って、事件のカラクリを知れば、誰だって、彼の有罪を認め、彼の犯した罪を許せないと思うだろう。たとえば、擁護派の主張する「最高裁の無罪判決」も、「疑わしきは罰せず」の消極的な無罪に過ぎない。

つまり、忘れてはならないのは、この事件が本来、裁判権のある「属地主義」の米国で行われるべきを、「属人主義」の日本の官憲が「犯人も被害者も日本人の事件だから」と米国にたっての願いで譲って貰ったもの。従って、日本で予想外の(?)判決を受けた以上、米国人としてもすんなりあきらめられるはずがない。しかも、殺人未遂の「殴打事件(懲役6年)」を認め、それに連続した「銃撃事件」だけ無罪です。ではどう考えても納得できないこと。

いわば、日本では状況証拠を認めない裁判だからおかしな判決になったので、米国の様に、一連の事件と認めるから有罪になる可能性が極めて高いのである。しかも、米国には日本にない、共謀罪が存することも大いに味方する。また、何よりも米国にはサノバ・ビッチ・ルールがあって、アメリカの(正義の)敵には検事も陪審員も裁判官も一致協力して有罪にする習慣があるそうだ。

つまり、週刊新潮は今週号でそのことを取り上げ、三浦氏が、事件の責任をロス市警、引いては米国のせいにした恨みを決して忘れていないというのだ。そして、妻、死亡後、1億5500万円の保険をゲットしていることと、(二人が)事件現場に来た理由がはっきりしないこと。人通りのないただの駐車場では観光地でも仕事のためでもないはず。そして本人も不利になるからと未だに、単なる「宣伝用写真」を撮る為と濁しているなど、盗人猛々しい態度が許せないというのである。

また、「ロス疑惑」、本家の週刊文春の取材班キャップの安部隆典氏も今週号、『三浦和義 「獄中首くくり」の全内幕』に「そのこと(サノバ・ビッチ)を一番知っている彼だけに、もう逃れられない。そして、何よりも、完全犯罪を企図して無罪を至上のものとする故、現状がいたたまれず、「永遠の無罪のために三浦は死を選んだ」と推測している。

そして更には、彼の盟友であった出版プロデューサーの高須基仁氏も「ロスで最後を迎える」という意味深な彼の最後の言葉を公表している。このどこを見ても、彼は殉教者でもヒーローでもない。ただの敵前逃亡した卑怯な男に過ぎないのである。

いや、マッシーパパにはなぜか、この事件の顛末が、「非理法権天」の世界を写しているように思えてならない。すなわち、彼の犯した「非」は「道理」に照らし劣位のはずが「法」の不備に扶(たす)けられた。がそれも、アメリカの正義という「権力」に勝ち取った自由を奪われた。そして、結末は自殺という最悪の結果を迎えたわけだがそれこそ、「法」でも「権」でもない、「天」の定めであるのでないか。

これこそ、俗に言う、「天網恢恢疎にして漏らさず」で、「悪の栄えたためしはない」を地で行ったようなものでないだろうか・・。ハイ、間違いありませんって!  ♪

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