新・シュミのハバ

ついに、定期小説の更新スタート!!!
いつまで、続くのやら・・・。

『幸福な食卓』と『紀子の食卓』から”家族”の本当の姿を知る

2007-02-27 01:10:42 | 映画
新たな視点で”家族”の姿について描いた映画が二本生まれた。
それは園子温監督作品『紀子の食卓』と、小松隆志監督作品『幸福な食卓』だ。

幸せな家族とは何か・・・語りつくされたかのように思われるそんなテーマが、新たに重視されてきているのは、それだけ危機感がまん延しているからであろう。
そんなときに現れたこの二本の映画は、全く持って新鮮で衝撃的なものだった。

『幸福な食卓』

家庭崩壊という重苦しいテーマとは裏腹にこの映画に流れる空気は、恐ろしいほど清清しく軽快である。
複雑な事情を抱える家庭の中で、ぐれることなく静まり返ることもなく、元気で明るく生きて行く主人公佐和子の姿がみずみずしく映し出される。
生きて行く中で、佐和子の周りの環境は、静かに淡々と変わりゆく・・・そしてそんな変化に寄り添うようにして、微妙に変化する家族の姿が見え隠れする。
この映画は、家族一人ひとりの気持ちが大切に描かれた作品である。
大切に描かれているからこそ、見易く、登場人物の気持ちに入りやすい映画に仕上がっていた。
「父さんをやめようと思う」という父親の衝撃的な一言で、オープニングから急に映画の世界に引きずり込まれてしまう世界観は凄い。
この映画の世界は、普通のホームドラマとは同じようで少し違う。
台詞をとっても、演出を観ても、不思議な感覚に陥ってしまう。
そんな映画の中で、失いそうになっても、不安定になっても、どこかでバランスを取ろうと一生懸命努力する家族の姿がはっきりと描かれる。
そういう部分を取ると『紀子の食卓』とは対照的に、非常に輪郭が綺麗に引かれた映画と言えるだろう。

「知らないうちに守られている・・・」
この映画の言いたいことは、この言葉に集約されているように思えてならない。
最後の方のシーンで、佐和子が一本道を歩いてゆく場面がある。
どんなに辛い事があっても、真っ直ぐに強く生きていこうとする佐和子の姿が綺麗に描き出されたシーンだ。
辛く悲しいときに、手を差し伸べて切れるのは、どんなに崩壊していても、不安定でも、結局家族なのだ。
立ち止まることも、時には振り向きたくなることもあるだろう。
でも、自分の知らないところで、家族は進むべき道を指差し、そして自分を救ってくれているのだ。

家族の本当の姿を、この映画から見つける。
どんなに不恰好でも、どこかで繋がっていれば、助け合うことが出来たら、それは家族なのだろう。
例え、父親が父をやめるといっても、母親が家を出て行っても・・・。
きっと、知らないうちに家族に守られているのだ。

『紀子の食卓』

そんな幸せ家族生活みたいなことを喋っていても仕方がない。
ってなことを、言いたいのか、この映画はどこまでも衝撃的だ。
崩れ去っていくスピード、繊細な感情が爆発する感触、家族が家族を取り戻そうとする姿・・・
園監督があぶりだした見たこともない家族の姿は、この世のリアルなのかも知れない。
「一家団欒という日常にひそむ、闇」
どうすれば元に戻れるのか、そればかりを考えてしまった。

「レンタル家族」という存在、それがこの映画の大切なキーポイントとなっている。
レンタル家族とは、家族がいない、もしくは家族を失った人間が、家族をレンタルするというものだ。
レンタルの際にはきちんと設定もしっかりしていて、例えば娘と妻を亡くした父親の依頼の場合、娘が家出をして出て行ったという設定の下、そんな娘が家に帰ってくるといった疑似体験ができる。
そんなものの存在はきっとフィクションだろう、と思っていたが、現在ではない話でもないらしい。

そんな偽物の家族の中に、埋もれてしまった本物の家族の姿。
それがかなり痛々しい。
どこにでもあるような家族団欒の風景が、娘達の家出で一気に消え去ってしまう。
そして、父親は元の家族を取り戻すべく、必死に走り回る。
家族の思いは時に近づき、離れ、そして断ち切れる。
その糸を新たに結びつけるために、父親が取った行動は・・・

この映画のストーリーは、途中で主人公がコロコロと入れ替わる。
娘の視点や、ネットで知り合ったレンタル家族で働く女の視点・・・そして父親の視点・・・
様々な角度から話が展開していき、そして家族が少しずつ離れたり、繋がりあったりする。
そんな演出のおかげで、緊張感が途切れることはない。
そして、何といっても、出演陣の演技力の凄さに驚かされた。
父親役の光石研はもちろん、姉の吹石一恵と共に、妹役である新人の吉高由里子の演技は凄かった。
特に、吉高由里子の涙の長ゼリフは、映画界に残る名シーンになったんじゃないか、と思わせんばかりの名演技だった。

話は変わって、この映画から見えた家族の姿とはどんなものだろう。
この映画は、詩的なセリフや、深くて難しい表現が多いことから、気軽には見られない。
この映画は、現代の家族に潜む危険な一面をリアルに映し出したものだと思う。
温かい家族がそばにあるにも関わらず、人はなぜか新しいものを追い求め、そして家族から離れようとしてしまう。
そこに思いもよらない危険が潜んでいるのだ。
一度、離れて戻れなくなってしまったら、人は自分を騙し、偽り、偽物の世界に逃げ込んでしまう。
そんな時、どれだけ叫んでも、声を上げて泣いても、昔の温かい家族と過ごした時間は戻ってこないのだ。
何度も自分を捨てて、”幸せそう”な自分を演じている。
家族の大切さに気付かなかったせいで、自分はいつか、幸せな家族の中にいた自分でなくなってしまっている。
現代にそんな人間は確実にいる。

『幸福な食卓』と『紀子の食卓』から知った家族の姿は、恐ろしくリアルな真実だ。
こんな時代だからこそ、「家族」の大切さに目を向けたい。
再生を描いた『幸福な食卓』、この世の嘘を切り裂いた『紀子の食卓』
この二つの映画が鳴らす警鐘は、あなたの心には鳴り響くだろうか?

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