テニスコーチのテニスとお酒ライフ

酔っぱらいテニスコーチの戯言です。

ムチの知

2014-10-30 00:09:02 | 学問
今日もムチムチのよっしーです。





そのうちタコ糸で巻かれて焼いて煮込まれる日も近そうな気配がしていますが、今日の話はムチムチではなく、無知の方です。





無知の知ってのはソクラテスさんが言った言葉とされてますね。





だげんちょも、「私は知っていることは知らない」とか、「知らないことを知っている」とか、色々解釈はあってですね、今は不知の知が正しい解釈なんでねーべかって言われてますね。





ということで、知らない塊のおっさん、今日も新しい知識を獲得してきました。





びっくりしますよ。





ちょっと年金の話なんですが、昨今色々財源とか、制度、内容等問題になってますよね。





この年金、実は元々…





戦争のための資金集めだったって知ってました?





当時の対戦国だったアメリカに勝つどーって勢いで、ブルーカラーの男子のみだった徴収を女子とホワイトカラーまでに広げたんですね。





いやー、たまげた






ホント、歴史っておもしろいですよね。





「常識」や「当たり前」がその背景によってまったく違うんですもの。





だから「知る」という行為は、行為そのものが目的となり、意味を持つ物になるのだと思います。





ちょっと感動したので、来年あたりからマクロ経済スライドが導入になりそうってのも含めて、うちの親父にメールしてみました。





私「父ちゃん、年金ってアメリカ倒すためのものだったって知ってたが? ちなみにマクロ経済スライドって知ってっか?」





父「おら、しらねっがった」





と、なんとなくスルー的な返信。





あれですね、議員の父ちゃんを想うばかりにカール・ポランニーとか、年金の本とかプレゼントとして送りつけてるから疲れちゃってるんでしょうね。





で、父ちゃんも送られても読んでないから、スルー的な返信かと(^_^;)





そんな分析です(ーー;)





過去に「おめのおぐってきた本は、父ちゃんにはちょごっと難しいんでねーがや?」と言われたことがあるんですね。





ありがた迷惑という言葉を知るというのも1つの知る行為ですからね。





学ぶことは日々あるものです





人を知るということが一番難しいのかもしれませんね
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食欲の秋

2014-10-29 08:02:18 | まち歩き
食欲の秋!!





ということでですね、先日ずっと行きたいなーと思っていたうどん屋さんへ行ってきました。





さて、みなさんは並盛~特盛まで同料金だったら何をオーダーしますかね?





そこのお店は並400g、大盛り550g、特盛700gでした。





最近たくさん食べれなくなってるので、迷ったんですが700gいきましたよ





700gはけっこうありますね。





見た目的にもいい感じです。





が、ぺロっと食べちゃいました





もちろん満腹になりましたけど(^_^;)





でも、本当に最近食べれなくなってしまいまして、おいしいものがたくさん出るこの時期に悲しい気もちになってしまいます。





一時期は本当に悩んでですね、病気かもしれないと思って「ご飯が一回に1合しか食べれなくなった」と親に相談したこともありますが、「普通の人は1回に1合も食わねえ」と言われて、自分がいる世界がちょこっと違うことを認識した感じです。





周りがあまりにも食べすぎなんでしょうね。





女の子でも1kgの肉とかぺロっといきますからね。





大変なのは支払う人間でしょうね





さ、今日もいい天気です。





今日もうまいもの食うぞー
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大学講師のグチ

2014-10-27 08:26:12 | 社会・経済
先日きっかけがあって、大学で講師をしている方とお話しすることがありました。





大学は今少子化が原因で全入の時代です。





入りたい子は全員入れる計算ですが、定員割れしている大学も多くあると聞きます。





大学経営の難しさがここに表れているんですね。





電車の中吊りを見ても、若者が「行ってみたい」と感じるような、「夢」、「希望」、「なりたい自分」等、創造性を掻き立てるものから、「英語なら」、「マーケティングなら」等、スキルに関係する言葉をよく見ます。





大学の講師の不満は、学生はよく授業中に寝るという事と、当たり前の学力、一般常識がないということです。





割り算のできない大学生、授業の講義室にピザを頼む学生もいるそうです。





楽しいなー





これが人を育てる難しさでもあるんですよね。





大学は一体何をするところか?と考えると、やはり一般教養よりも、より専門的なことを学ぶ機関であるという考え方ができると思います。





そうすると、理系の何かをやりたい人間にとっては漢文が読める必要はなく、受験でも数学、物理、化学等のスキルが重視されるわけで、この辺がなかなか難しいところでしょうね。





逆に文学をやりたい人間には1次関数は必要ないことになりますからね。





専門性とトータルバランスというのはなかなか難しい話です。





世の中に出て食っていくためのは1つの専門では足りなくて、1つのスペシフィックな能力が今後求められるという経営者もいます。





学校では100点が最高点ですが、世の中に出れば100点はなくて、青天井になってるんですよね。





これを考えれば割り算ができなくてもいいという話になるんでしょうけど、個人的には批判的です。





人が人らしく生きるという事には少なからず「倫理」を考えることができないといけないと思っています。





未だに戦争が起きている地域では「他人の痛み」を考えられないから起きているんでしょう。





じゃあ、割り算と倫理が関係するかって話なんですが、関係します。





例えば10個のお菓子があって、7人で分ける場合どうするか?





割れませんよね。





小数点以下を出して、割合にして分けるのもいいかもしれませんが、状況に応じて分配を変えることも必要になります。





例えば10人の中で2人は栄養失調気味だったとすれば、平等を重視するのではなく、健康の平等を重視し、2人に多くのお菓子を与える方がいいとなるわけです。





が、割り算ができなければ、この意味すら分からないはずです。





意味が分からないと、「私にはもらう権利がある」、「平等じゃないじゃないか」という主張が出てくるかもしれませんね。
人が社会で生きていく以上他者とのかかわりは避けて通れないと思います。





そして、そこには正解のない答えを常に求められているという事です。





なので、状況によって考え方を変えること、これはスキルそのものになるのではないかというのが私の考えです。





となると、やはり小学生で習うことくらいは完全にできないと社会自身に問題が起きてくるようになるのではないかと思っちゃったりするんですよね。





現実に、昨今「モンスター」とよばれている人々は、その原因がミラーニューロンが働いてない人、脳の一部が損傷している可能性あり、権利主義や経済原理主義の考えに汚染された人、等、例えその原因を理由づけしても存在するのは事実です。





なので、人を育てるときに専門性とトータルバランスは共に大切だと思うんですけどね。





私でいえば、このバランスがないところが問題なんでしょうけどね(^_^;)





ちょっと、お腹でバランスをとってみたいと思います





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祝い酒

2014-10-26 22:24:51 | テニス
今日は9歳の女の子とのテニスですね。





いや、レッスン内容があまりにもよくて、レッスン帰りに1人祝い酒をしちゃいました





なんでお祝いかって、あと数年以内に全国レベルになる資質があると分かったからです(^o^)丿





早くて来年、実際には2、3年かと思っています。





何がいいって、彼女とはまだ2カ月の付き合いなのですが、2か月前とは全く違うんです。





この成長率です。





いやー、見ていてうれしくなるっていうのはこういうことですね。





その背景にあるのは私の指導です。





と言いたいところですが、お母さんとのトレーニングが結果に結びついてる最大の要因ですね。





毎日5分程度メニューを課したんですが、それがきっちりできていることが伸びている最大の原因でしょう。





お母さんのトレーナーとしての能力が彼女を育てているんですね。





ま、気持ち背筋系が弱いので、坂道ダッシュを入れるといいかもしれませんので、たまにやってくだっせー





それで、今日のレッスンでの出来事ですね。





私、大の大人でテニスコーチをやっていますが、今日9歳の女の子に何本ノータッチを取られたか(^_^;)





もちろん、わざとコースを開けて認知能力を高めるために打たせたのもありますが、数本は完全にもっていかれちゃいましたね(-_-;)





9歳の女の子にやられる37歳のおっさん(-"-)





まあ、いいでしょう。





しかし、問題はですね、やはり相性が合わないのか、今日も泣いてましたね(T_T)





この子が泣くたびにおじさんも泣きたい気持ちになります。





ものすっごく神経使うんです。





この子が全国デビューするのが早いのか、おじさんがアデランスになるのかってくらいです。





もしアデランスになったらお母さんに全額払ってもらいましょうね





まだ、お婿にもいってないのに





でもおもしろいのは、試合になると顔が変わります。





これがいい顔なんですよね。





ま、憎いおじさんから何本もノータッチ取ればいい顔にもなるのでしょうかね





年内に試合デビューするようで、来年度からは試合も回るみたいなので楽しみです。





でも、みなさんの楽しみは、私がハゲになるかならないかなんでしょうね。





こちらも乞うご期待ください!!





今夜も酒がうまい!!






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予備校のお話

2014-10-25 07:54:36 | うんちく・小ネタ
今日のお話は予備校の歴史的経緯についての本からですね。





私は基本的に進学のみを目的とする塾の考え方に反対ですから、この本を読むことはある意味敵を知るという事になると思って購入しました。





結論から言うと、意外に塾の先生も悪くないという事でした。





どういうことかといいますと、まあ、私は上辺だけの指導が嫌いです。





「本質とは何か?」ということを指導者が持っていることが上辺でない指導になると思うのですが、では「大学に合格することは本質か?」という問いが出てくるのです。





なんで大学に行くの?





なんで学力が必要なの?





そういうことを答えるという事は、ある程度の思想的な幸福論を持ちあっていなければならないと思うんです。





そうすると、見方や考え方の知識が必要になり、矛盾を孕みながら生きているという事に気が付くと思うわけですね。





そして、その根っこのない子が多すぎると感じています。





まあ、こうなった理由というのは、日本は経済的発展と引き換えに、人間関係を希薄にしてきたということです。





社会のことを学ぶにあたって、江戸時代では「若者組」等、隣近所と様々なことを学ぶという仕組みが存在していました。





しかし、戦争があり、西洋の思想が入ってきて、戦後の高度成長時代に何が起きたかというと、官僚制という考え方ですね。





官僚制は縦割りの考えで、「Aという事象はここの部署」というある意味で責任を明確にするというシステムなわけです。





それがもたらしたものとは、「自分のこと以外は無関心」という態度ですね。





現代社会のいじめもこういう精神的態度によって起きていると思われます。





また、メディアの発達によって、傍観するという態度も助長されたということですね。





TVをつければ何かのニュースが流れているが、受け手は傍観し、気に入らなければチャンネルを変えるということです。





こうして、地域が関係性を持たなくなったことによって、怒る、または助けてくれるおじさんおばさんが消えていったから、自己利益を主張する人が多くなり、地域で人を育てるという事が難しくなったと、何かの本で読みました(^o^)丿





僕がやりたいのは、この怒る、助けるのおじちゃんなんですけどね





さて、予備校の話に戻りますと、人気講師はよく受験に関係に話をするということでした。





どういうことかというと、例えば震災があって、ボランティアで活動しますよね。





それに生徒を参加させて、「ボランティア活動は偽善である」と仮定して、検証させるわけです。





実際にボランティアに参加した学生は「今自分がやっていることは偽善である」と思いながら参加するわけですが、やっていくうちに屈託のない感謝の笑顔を受けることで、ボランティアをやっている自身が幸福感を感じるわけです。





そうすると、善行とは何かということを考えるようになり、結果としてその学生は有名大学の哲学科に受かったというストーリーでした。





これはいい話だと思いました。





つまりね、本質は「何であるか?」ということを探求していくことそのものと、それが我々社会の中でどう位置づけられるものなのかという事を考えながら接することなんじゃないかと私は思います。





その繰り返しが学習であり、獲得するということにつながると思いますが、実際には受験のためのテクニックを学ぶところが学校や塾になっていることに私の批判があるわけですね。





もちろん、予備校は大学に受からなければいけないわけで、受かるための授業もするらしいですが、この辺で葛藤や問題を講師は抱えるという話もありました。





やはりね、インスタントの知識だと思いながら伝えるのと、熱く伝えるモノを持っているのでは伝わり方が違うんでしょうね。
それを判断するのは親が多いわけですからね。





詰め込み教育で教育された我々世代の判断力が問われてるんでしょうかね?





「これは一体誰の責任なんだ?」と官僚化が進んでいる世の中を感じざるを得ませんが、隣にいる人に興味を持って、叱ったり、助けたりすることも大切なんではないでしょうか





it is not your business





これは「あんたには関係ないでしょ」とアメリカ人が好んで使うフレーズですが、こんなフレーズが蔓延し、訴訟社会になる日本が来るんだろーなーと思っています。





そういう社会を我々が望むのであればそうなるのでしょうけどね。





さ、今日はいい天気だ、がんばるどー!!





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