テニスコーチのテニスとお酒ライフ

酔っぱらいテニスコーチの戯言です。

北風と太陽

2013-07-25 00:01:11 | ブログ

北風と太陽という話はみなさん知っていると思います。





相手の態度を変えるときに強制よりも説得が有効という話なのですが、ゲーム理論においては結果として逆になってしまいます。





囚人のジレンマというゲーム理論をわかりやすくした例があるのですが、互いに協調する方が裏切り合うよりもよい結果になる事が分かっていても、皆が自身の利益を優先している状況下では、互いに裏切りあってしまうわけです。





地元に帰って、復興のための話をして、仲間と色々話をしたのですが、やはり視野はミクロでしか見れていないです。






レヴィ・ストロースの構造主義を基に経済復興を考え意見を述べたのですが、残念ながら伝わりませんでした






話の仕方も悪かったんでしょうが、なかなか人に伝えるというのは難しい話です。






もちろん私の話はマクロではなく、ミクロそのものの内容だったのですが、個人の利益追求が社会集団全体の不利益につながるということは望んでおりません。






例えば、ごみを路上に捨てるという行為は当事者にとってごみが無くなるのでミクロ的には個人の利益が獲得されたということが言えると思います。しかし、これが増えれば社会全体としてゴミだらけの街になり、結果として個人の不利益になるという結論になるわけです。






私は功利主義に対して批判的な態度を持っていますが、これを伝えるのは現実問題としてなかなか難しい話なのかもしれません。






社会的ジレンマを解決することは個人間の抑制、つまり、個人の利益追及を抑制することにあるのですが、権利主義の世の中においてどこまでが妥当点なのかという判断は非常に難しい判断です。






法が力を持ち始めている世の中ですが、私は逆行して人間力というものを上げることによって法の必要性がなくなるのではないかと思っています。






知識と倫理観がそのベースになると思うのですが、それを伝えるのはやはり人間であり、ここにも様々な問題がありますね






倫理を脳科学的にみて、insulaが反応しているとかしていないとか、随伴性として考えることもできるのですが、これもやはりどう伝えるのかということにつながります。






こんなことを考えているとグルグルグルコサミンになります

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リハビリ

2013-07-23 23:29:48 | ブログ

今日はリハビリです。





だいぶ痛みも消え、ラケットもしっかり握れるくらいに回復してきました。





廃業かと思っていた時期が懐かしい





ということで若手とヒッティング





調子のって1時間とかがっつり打つと次の日痛くなります





が、楽しさのあまり1時間ガッツリ打っちゃいました





というか、若手の気持ちにも応えてあげたいという親心もあったのですが





まあ、明日は腕の機嫌が悪くならないことを祈るばかりです




しっかし、やっぱりテニスは楽しいですね

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参院選

2013-07-22 22:47:49 | ブログ

参院選が終わりましたね





自民党が圧勝のようで、ねじれ解消とありますが、これで地方自治体もいいのがれはできなくなりましたね。





今までは国政がグダグダしているからで通った復興の遅れの理由づけも、これで復興が足踏みしているのは自治体の責任になります。





個人的にはどの政党でもよかったのですが、復興が必要なのに政治家があーでもない、こーでもないという態度にはイライラしておりました。





ふかふかの椅子に座って長々と話をするのではなく、全員が仮設住宅に入って議論したらもう少しスピードを意識するんじゃないかとも思っていました。





うちの実家は東電から補償もなく、地域は破壊され、そして福島という枠にくくられ、今後経済再建がすごく難しい地区です。





噂話に聞いたレベルですが、原発周辺の漁師は一家1人につき10万円の補償がついて、家族が8人いれば月に80万円の収入になります。





このまま原発問題が起きたままでいいのにといった発言をする方もいるそうです。





この辺は法と政治の問題だと思うのですが、少なくともインフラが回復できる地域については国主導で回復させ、地方に自立の光を与えるべきだと思います。





経済まで復興させることをお願いしているつもりはなく、少なくとも何もしないでくだらないグチをしている人達に、仕事のグチを言わせてやりたいと思うのです。





復興するのもしないのも自立の姿勢と気持ちだと思います。





が、気持ちが落ちるとこまで落ちた人々を甦らせる景色はそこにはないのです。

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誰かのせいにして、環境のせいにして、補償のみを求めて、そんな気持ちじゃ成長なんてできないと思います。





テニスにつながりますね





コーチはアホでも生徒は伸びる






自立という言葉はいい言葉だと思うのです。








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やってきましたね

2013-07-20 22:43:02 | ブログ

やってきましたね





夏が





夏と言えば、私にとって洗濯の季節





毎日毎日よくもこんなに洗濯物で出るものだと感心します





それにしても今年は暑いですね





ニュースでも熱中症で救急車で運ばれた方が多いようです。





みなさま水分補給はこまめにしていきましょう





さて、私も黄色のシュワシュワで水分補給をしたいと思います

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偏差値教育がもたらしたもの

2013-07-18 08:34:06 | ブログ

実家に帰り、旧友と色々な話をするうちに親の問題の話が出ました。





旧友は小学生の時にみんな野球をやっていて、もちろん私もその1員で、一応全国大会とかに出ているメンバーです。





その彼らは今親になっていわゆるPTA活動をしているみたいなのですが、文句をたれる親が多すぎて、野球チームは成り立たないとこぼしていました。





東京でもそんな話はちらちら聞くのですが、田舎でそんなことが起きているなんてびっくりしました。





横のつながりが薄い超個人主義社会の東京だけで起きている問題だと思っていたからです。





で、文句というのは指導者に対する指導へのいちゃもんや、レギュラーをなんでうちの子にしないのかというクレーム、あとは親同士のいざこざみたいで、結果として指導者は辞め、チームとしてもまとまりがなく、当然野球もうまくならないという悪循環が起きているということでした。





で、問題を起こす親は問題が起きると子どもにチームを辞めさせ、また違うチームに入れ、そこでも問題を起こし、また違うチームに入れるの繰り返しだそうで、大変ですね。






「俺らが学生の時は監督は絶対だった」





友人の言葉が縄文時代のように聞こえてしまうのは私だけでしょうか





この問題は1つの視座で解決できないことだとは理解していますが、私の感じる視点から話をしてみたいと思います。





今問題を起こしている親の世代は私の世代で、偏差値教育まっただなかで育ちました。





とにかく偏差値の高い高校、大学に行くこと。





その先には幸せが待っているということ。





そういったアホな刷り込みをされて育ったわけです。





なので、学業とは効率よく点数を取るためのものであり、点数さえよければなんの問題もないわけです。





微分積分が社会で生きることにどうやって使えばいいのかとか、相手を思いやる気持ちなども必要ありません。





とにかくその時のテストでいい点数を取って、偏差値を上げることが重要であったわけです。





ということは、学んだことというのは結果を出すことであり、中身はいらないのです。





微分積分も、関係代名詞も、テストが終われば忘れてもいいのです。





素敵な教育です





なんのための教育か?





偏差値あげるため





結果、中身のないアホな親が増えることになる。





素敵な社会





コールバーグの道徳性発達段階でいえば2段階目の大人が多いということになるんじゃないでしょうか?






学業とは社会に出て、自己の個性を生かし、経済的活動を補助するものになるのが基本になるんじゃないの?と私は思うのです。





そして、批判をするということは、その根拠がなければ酔っぱらいおやじが野球観戦で選手を批判しているのと同じレベルなのです。





それが理解できない高い偏差値の持ち主だから、自分の感情的な感覚での批判が多いのでしょう。





気に入らないから。





素敵です





偏差値教育の中で生み出したものがこの1言に集約されているように思えます。





アホな指導者もいるのは事実です。





しかし、一般的にその指導理念や方法はあらゆる科学的根拠を基に存在しているわけです。





マズロー、スキャモン、ミル、ド・シャーム、ダマシオ、カント、なんでもいいですけど、批判をするのであれば、それらを理解し、そして批判すべきだと思うのですが、偏差値教育で中身よりも点数を取ることを重視してきた人にはこれが理解できないのでしょう。





学校で学んだことというのはいかに社会の事象とリンクさせる、または、リンクしようと努力するかで意味や意義が生まれてくるのです。





ま、点数を上げるためだけの塾では絶対にない発想なんでしょうけど、見ていると一部の塾ではこういった取り組みをしているところもあるようです。





結果がすぐに出にくいので、見識のある親にしか理解は得られないでしょうね





世の中を見る眼はマクロであったり、ミクロであったり、個性であったりすると思うのですが、少なくともこの数種で見ることができなければ世の中は見えてこないのではないかと私は思うのです。





権利と義務とは表裏一体と言いますが、実は法的には権利のみ主張してもかまわないのです。





が、権利のみ主張すれば社会はどうなるのかという結果は見えてくるのは偏差値の高い人であればわかるでしょう。





テニスは相互作用のスポーツで、お互いに練習になるようなボールを打ち合えれば理想ですが、時に相手のために犠牲的な練習もあります。





でも、それはお互いさまで、そうやって協力し合って向上していくわけです。





この相互作用というのは対人があるからこそ成り立つわけで、人を貶し、嫌われ、行き場を失っていく人には存在しえません。





利他的に生きることで利己的に生きるということになるじゃないでしょうかね?





もちろん人類には自由という言葉があり、そんな面倒なことはしたくないというのであれば、野球場でもなんでも自分の資産で作り、専用の指導者をつけ、気に入るようにすればいいわけです。





個性と個人主義は違うということ、社会の中での自分を客観的にみることができなければ相互作用は生まれにくいということ、結果として対人を要するスポーツはうまくならないということ、そんな風に私は思うんですけどねー

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