テニスコーチのテニスとお酒ライフ

酔っぱらいテニスコーチの戯言です。

ふー

2014-08-25 05:41:09 | ブログ

ふー、ということで、ちょっとお疲れモードです(*´Д`)





この夏はけっこう暑かったですからね(^.^)





というか、なんで疲れてるかっていうと、多分満員電車です。





朝から超至近距離で、おじさんの二日酔いを歯磨きとリステリンかなんかで必死に消そうとするハーモニーを吐息で感じる今日この頃、そして、夏の暑さですんげー体臭の人に密着されるこの時間、けっこう苦痛です。





でも、サラリーマンの方は毎日の話ですからね。





尊敬いたします( 'Θ')ノ





ということで、今日も前回の続きをお話しますか。





この辺は伝え方が難しく、伝えられる方が伝える側(私)の言いたいことを理解していただけるとただの批判ではなく何が言いたいのか理解してもらえると思うのですが、そうでない場合は感情的にさせてしまう恐れもあるということは理解しているつもりです。





が、伝える能力が悪いのか、伝わる側に理解する態度が無いという議論になるのも事実で、まあ、そうなったらしゃーないっす。





別に、人に好かれたくてこんな話をするわけではないので(^_^;)





今日のお題は親の子供に対する接し方です。





先日「過保護」と「過干渉」が子供に対して悪影響を与える可能性の話をしました。





で、この「過保護」なんですが、実は一言ではなかなか言えない難しさがあります。





「愛すること」は「過保護」か?ってことにもなるからです。





難しいですね。





で、先日お話をした「過保護」とは子供が嫌がることは極力させないできた親のケースです。





例えば嫌いな食べ物があって、「食べたくない」と言われて「食べなくてもいいよ」と即答するよりも、「少しチャレンジしてみて」とチャレンジさせ、「がんばったね」と姿勢にほめてあげるほうがいいという私の考えです。





嫌なものを「嫌」といえば誰かが排除してくれる経験を繰り返すと、いわゆるしつけ、もしくは生活のメカニズムとして「嫌」というアウトプット→「嫌」を回避という結果が出るということを学ぶわけです。





まあ、これはこれで素敵な人生ですね。





だって、一生「嫌」なことはないわけですから。





でも、はたしてそうですかね?って私の問いです。





最近私の仲間内でも、若い社員の親が色々会社に行ってくるケースがあるとポロポロですが聞いたりします。





社会人って…ことを考えさせられますけどね(^_^;)





親が子供を一生かけて守るんでしょうね。






ここに私との考えの相違がありますね。





自分で生きていく力を獲得しようとする時期が学生の時期なんじゃないですかね?という考えですね。





この「過保護」が進むと学校に行かないケースも出てきます。





「行きたくない」→「行かなくていい」と家庭で学習しているからです。





最近不登校が増えている理由は、この「過保護」が大いにあると思っています。





ですが、強制もよくありません。





そこに私の形式主義批判があります。





ただの強制は反射社会パーソナリティ障碍を引き起こす原因になると思われますし、この強制は親や指導者のエゴという見方もできるわけです。





親が満足する形であればいい、というのが最近の流れですが、これは問題だと思っています。





これは、資本主義経済の中で「満足度」に対してペイしているという経済的な視座になるとは思いますが、結局これは子供に返ってくるんです。





つまり、子供もいつか大人になり、この資本主義社会で生きていかなくてはならない日が来るわけですが、カスタマーの要求にこたえていくということは絶対に「嫌」なことは起きうるというのは私の経験だけではないと思います。





会社が嫌になって、「やめる」ことを繰り返していくうちに自己肯定感を失い、社会に適応できない子が幸せなのか、「嫌」なことを克服し、自立し、その経験も自己肯定感に変えていけることが幸せなのかは見方によるでしょうが、少なくとも私の不満はそうやって「嫌」だと感じてすぐにやめてしまうことで負の連鎖になっている子を意図的に生み出していきたくないということです。





もちろん、脳科学的にみてどうだとか、行動心理学的に見てどうだとかあると思いますが、実際にまだまだ脳科学は仮説の域を出ていないものも多いわけですし、心も機能と見るのか、存在として扱うのか、様々な立場があって、議論も多いかと思いますが、結果として起きうる可能性に対してどう思うかと言うのは、各個人の見方によると思いますが、その見方自身を懐疑的にみることも必要だと思っています。





つまり、ただただ「快」を与えるだけではいけないし、だからといって親が満足するような「強制」でもよくないよってことです。





じゃあ、どうするかっていうと、色々ありますが、その1つは内発的動機付けですね。





行動そのものが目的になることです。





マクロ的視座でいえば、内観です。





外にアピールするのではなく、自分にとってなんなのかということを感じたりする方向性です。





この辺が外にアピールすることを目的とした形式主義への批判でもありますね。




これも、様々な解釈や議論があって難しい話ですけどね。





ま、私はこう考えているということですね。





お、そろそろ満員電車の時間です。





素適な空間で揺られるとしますか(*´∀`)



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1 コメント

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補足です。 (よっしー)
2014-08-25 22:24:47
補足です。
まず、早朝に急いで書いたので誤字脱字申し訳ございませんm(__)m





で、スピアマンとかガードナーの話もしたかったのですが、この名前で検索していただければ現在どんな議論がされているかが理解できると思います。




モデリングやフレーミングというのはなかなか難しい作業ですね。
A,B,Cというデータに対して整合性のある考えがトートロジとは限らないのもめんどうなところです。
ということで、多角的視座という補足という事で

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