テニスコーチのテニスとお酒ライフ

酔っぱらいテニスコーチの戯言です。

ハラスメントねぇ

2018-09-26 19:27:37 | ブログ
「お前太ったなー、デブ

「今どきデブだなんてセクハラですよ」

「デブだからデブって言ってんだろ」

「デブデブデブデブ、セクハラだぞ!、セクハラっていうか、デブハラだ

「何がデブハラだ、お前のはハラがデブなんだろ



うまい切り返しじゃねーか(-_-メ)



伊達に頭が鳥の巣になってないねー(*´ω`*)



ってな感じですね、どーも、こんばんは



ハラスメントを受けても健気に生きる41歳未婚です



最近ハラスメントのニュースが多いですねー。



そんで、新潮45が休刊になりました。



これ、元々問題になったのはLGBTの方へ「生産性が無い」って論からよね。



これって、主張の根拠がしっかりしてればそこまで問題にならなかったような気がします。



例えば、税金の90%はノーマルの方、10%をLGBTの方に使っている。



LGBTは統計的に人口の7.5%だ。



よって、税金が使われている割合が公平ではない。



ってな感じだったら納得する方は多かったし、違った議論の広がりにもなったんじゃないでしょうかね?



まあ、公平って難しくて、公平にしたら累進課税も公平じゃなくなるから難しいよね。



さらに言えば、お金持ちにどうなるのか?って統計的な原因を探ると、改善するには現実問題として無理が出るよね。



だから、なんらかの主張には根拠が大事で、どんな論でもいいんだよ、どんなトンデモ論でも根拠の提示が大事なんだよね。



物理学的視座から見る真実と、経済学的視座から見る真実では見え方が違うし、結果としての在り方も違ってくる。



それを知って、「こうだろー」って言うならいいんじゃないかしらね



だけど、この方は数字的な根拠を示すわけでもないし、それをしないで、「見ればわかる」的な話で終わったのが問題なんだと思いますね。



だから、ただのヘイトと言われても仕方がないと思うんだなー。



テニスコーチでもごく稀にいる。



根拠を提示しないで、恣意性のみで自分より実績のある人の指導法を否定するコーチね。



指導法を否定する理由が「テニスがうまくなることにおいて」であれば、本人がなぜ他者を否定するほどテニスの指導法を知っているに、どうしてそんなに本人のテニスが下手なのかを説明できなければ論理矛盾をしちゃうわけ。



テニスが下手でも指導実績がある方はたくさんいる。



なので、指導実績か自身の選手としての実績か、科学的根拠がない人の主張は論理的に「偽」になっちゃうね。



実績があれば、実績が論拠そのものになるのはスポーツならではなのかもしれないね。



なぜなら、実績を上げるためにってことを目的にして、色々な人が各視座で理論を語っているけど、「絶対に世界で50位以内に入るテニス理論」ってなものは確立されてはいない。



なので、実績のあるコーチの話や指導法は実績を上げる確率が高いと思われるって事。



他にはね、民族でヘイトをする方もいるんですけど、遺伝子レベルで犯罪遺伝子が特定されてはいないわけ。



遺伝子が双生児法的に関係している可能性はあるけれど、その特定の遺伝子を持っているから犯罪は起きるんだって事にはなってないって事。



今も研究はされてて、「こーだ」って論や説は出されているけど、サイコパスだってよくわかってないことが多いよね。



だから、これもただの恣意性になっちゃうんだなー



この感覚質と社会の在り方って非常に難しくて、おならがくさかったら犯罪なのか、それとも人から罵られていいのかってことなんだよね。



多くの社会人は「仕方ないな」って思って我慢すると思うんです。



一般的な社会人の態度だよね。



例えば自分が不意におならをしてしまって、それが異常にくさかったとしましょう。



これを犯罪としたのであれば、国民全員がいつか捕まっちゃうんじゃない?



だから、多くの方は公共の場所ではない、他者に迷惑がかからないところで思いっきりおならをするんではないでしょうか?



この背景にあるのは、「共生」って概念よね。



お互いがお互いに生きやすい環境に配慮するって事ね。



何が正しいという目標や目的はどのようにして考えるのか?



プラトン?アリストテレス?カント?ミル?、多くの学者が考えたってグラデーションそのもののホモサピエンスについてグラデーションすべてに当てはまる答えは出なかったよね。



個人的には科学的な根拠を根底に思考することだと思うんです。



私がよく受験のためだけの学力批判をするのは思考しないことにある。



「鎌倉幕府」と書けば点数になるのは意味がない。



背景を知って、関係性を知って、なんで征夷大将軍を選んだのかって事が大事。



ほんで、そういった歴史から学び、自身の人生をどうするか?



社会をどうするか?を思考することまでが重要だと思うからです。



自分の人生を考え、人との関わりあい、他者との共存共栄をどのように考えるのかって事ね。



ま、これには要素的学力観を肯定するのかしないのかとか、マズローの欲求段階説、コールバーグの道徳の段階説とかいれると、パラドックスとかも出てきたりしちゃうんだけど、そんなに難しくない。



隣の人にやさしくしようぜってこと。



内的善(「活動の内部(正確には活動を共有している共同体)に組みこまれているこの種の善」(松平))を高めながら、ちょっと他人の痛みもわかろうとしようよってこと。



これが教育に求められることなんだと思うんですけどね。



多くのお母さんはそんなことよりも学力テストの点数に興味がある方が多いのではないでしょうか



結果、嫁を殺す銀行マンを育てたり、「記憶にありません」という言葉が好きな人を育てているように思ってしまうのですが、まあ、考え方は色々です。



ってなわけで、なぜ嫁がいないのかってのを考えると…



世の中にやさしい女の人がいないから



おならがくさいとか、人間性に問題があるとか、そういう多角的な科学的真実はいらないんです



科学的根拠はあんまり役に立たないのかもしれないねぇ(*´ω`*)



結婚を何度もしてきた、実績のあるおじさんに今度聞いてみよ






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