テニスコーチのテニスとお酒ライフ

酔っぱらいテニスコーチの戯言です。

内々はいいことだらけ?

2018-06-21 08:55:17 | ブログ
どーもこんにちは。



先日後輩に貸していた本が数年ぶりに返ってきまして、ちょこっと懐かしくなって読んでみました。



タイトルは『バカ親、バカ教師にもほどがある』です



これは私の敬愛する藤原和博さんの本ですね。



この本はずいぶん前に買った本なんですが、ま、内容について色々パラパラと読んでみたりしましたけど、懐かしいやら、「いやいやそれは違うでしょ」と一人ツッコみを入れたりとですね、大人になった吉田君は色々根拠を持って、意見を言えるようになったわけですね



ほんで、思い出したのが、先週くらいかな?、伊集院静さんが教育に対して言ってた言葉ね。



「迷った時は、苦手な道を選びなさい」「楽な道で得られるものは何もない。苦境や苦節こそが人間を育てる」と言い、子どもの教育で重要なのは「他人の痛みがわかること」「自分以外の人の痛みがわかるようになれば教育の8割は終わり、それが一番大事なこと。いま世間を騒がしているのは、自分以外の痛みが分からないからみんな騒いでいる」だそうです。



これは深いね。



「ケーキをシェアすることを理解できれば教育のほとんどは終わり」というのは非常に考えさせられるものだし、私の学んだことで言えば、その通りだともいえることなんだけど、そんな簡単にはいかなく、むしろ今の教育のやり方は受験勉強という相対主義的なレースの元、逆に向かっているという現実を考えると、結局これを理解できるかどうかは知能なんだけど、脳科学的に言えば、人の判断は感覚的なものを根拠にして選択する可能性が高いので、「理性<感覚」で選ぶ親がこの教育の社会を作っているともいえるわけで、社会を作る民主主義という事も考えると非常に考えさせられるような言葉でしたね。



学力をつけさせたいと思う親がいればいるほど、実際の社会は人と人との間に壁を大きく、より明確に作っていくような社会ね。



これはパラドックスだと思うんだけどね。



功利主義的な「よさ」を求めて、そのために学力というのをつけさせているのだけれど、実際には生きづらい世の中になっているという可能性ね。



相対主義ってのは自分の位置を他の人と比べて高くすることを意味しており、それを目的としているのね。



で、絶対主義ってのは自分の内部での価値観を上げていくことにつながると思います。



テニスで言うと、「うまくなること」において、絶対主義でうまくなっても、相対的にうまくなっている可能性があるわけで、同じような行為でも見方によって解釈が変わるから難しいところよね



だけど、他者から評価を受けるから「うまくなろうとする」のか、より自分のテニスが楽しくなるから「うまくなろうとする」のは大きく違ってくると思うんだよね。



だから、私は本人の意思が非常に重要になると思うんですけど、結果という安心感が欲しいがゆえに、コントロールしたい親や教師は多いのかもしれないね。



そうすると、コントロールする側が考えなくてはいけないのは「コントロールする側の満足度>本人の意思」で、コントロールする側の満足度さえよければいいのかということだね。



そしてそれは、子供を利用して、コントロールする側の自己満足度だけを上げているだけじゃないのかという疑念です。



この考え方は、自分が指導にあたるときにもよく考えさせられる見方だと思います



伊集院さんが好きなのかと言えば、そこまでではなく、元々は色川武大の『麻雀放浪記』から始まって、色川さんと関係がある伊集院さんの考え方に興味を持ったという事なんだけど、この『麻雀放浪記』は勝負について色々書いているから、高校生の私にとっては非常に影響を受けた作品だと思いますね。



伊集院さんの言葉と、この『バカ親、バカ教師にもほどがある』を組み合わせると、自分の気持ち主義の人間が多く作り出され、他者の気持ちや感性には鈍感になり、正解だけを求める受験勉強のオペラント条件付けの結果、現代社会が作られているとも思うわけで、教えるという仕事をしている身としては、なかなか悩ましいですな(´・ω・`)



なので、バカロレア式の試験とかも日本で取り入れられるようになると、少しは「矛盾」や「理不尽」について思考する日本人が増えるのかもしれないですね。



重要なのは、正解を出して他者の評価を上げる事ではなく、思考することで、そのプロセス自体が自分にとって楽しいものであるという事だと思うんですが、そんな簡単に経済界は許しませんからね。



いかに優秀でも、費用対効果を求められるのが経済の基本になるのでしょう(´▽`*)



で、前置きの話が長くなったんですが、これについて重要だと思われるのが、内発的動機付けと内的善という考え方ですね。



これさえ持てれば個人的には毎日を幸せに過ごせると思うんですけど、あちこちから砲撃を受けそうですね(;´∀`)



内発的動機付けってのは、行動そのものが目的であることで、それと反対に挙げられることが多いのが、外発的動機付けね。
外発ってのは、なんらかの目的や報酬のために行動することです。



テニスの先生が「こうしろ」といった内容において「こうしようとする」のは外発的動機付けの可能性が高いし、自分が認めてない、つまり権威者じゃない相手の場合、「こうしろ」という内容を聞かないことになるのが外発ね。



テニスをするときに、「勝つため」だけに、テニスというスポーツが好きでなくても練習をするという行為が外発で、テニスが楽しくて、もっと楽しくなりたいからもっとテニスをするってのが内発と言えるでしょう。



内的善っていうのは「活動の内部(正確には活動を共有している共同体)に組みこまれているこの種の善」で、外的善ってのは「活動の外にあって第一の思いやりが目を向けている善=財」(松平)だそうです。



これはテニス選手だった場合、テニスがうまくなるという自分の内的な欲求を満たす行為において、自身のテニスのスキルが上がることが、自分にとっても他人にとっても共有財産になるという事が内的善になるね。



テニスがうまくなるという事は本人が希望することであるし、欲求であるので、それが獲得されることは本人にとって財産になるという事は当然で、これが他人にとっても財産になるという事は、自分がそのスキルを獲得することによって、他者にとってのモデルになったり、それを人に教える事で財産を分け与えるという事ができるという意味で自他ともにメリットのある善になるって話。



で、外的善は、「私的に所有できる一方で、他者とは共有できないという特徴をもってい」(松平)るので、自分が取る分だけ他者の取り分が少なくなるというメカニズムを持っているわけ。



じゃあ、内々がいいんじゃんねと言いたくなるところなんだけど、これはこれで色々問題があるんだなー(´▽`*)



倫理とか、「善」とは?ってことをめちゃめちゃやった人ならわかると思うけど、考えれば考えるほど頭がプスプスになっちゃうんだよねー(;・∀・)



教育のパラドックスってのはこの辺にあるのかと思いますね。



だから教える側は自分の指導について常に批判的に吟味し、改善していこうとしないといけないという自身に対する啓蒙になるね



いやー、ずいぶん書いたね(;´∀`)



ってか、ホントはもうちょっと丁寧に書けばいいんだけど、細かいところも色々説明してちゃんと書いちゃうとすんごいボリュームになっちゃうからさ



たくさん書くとお腹が減る



ってことで、今日も朝ごはん




内々が大事という事でですね、お腹の内部が満たされるというのは非常に重要です



一方で外見が悪くなるという問題も抱えちゃうんだなー



パラドックスの中で何を選択するのかってのは大事だね。



おじさんは今日も牛丼を選択しますけど



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