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『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』

2023-11-29 19:49:38 | 読書。
読書。
『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』 糸井重里 古賀史健
を読んだ。

広告畑出身でいまやWeb Site「ほぼ日」を中心に活躍されている糸井重里さんを、ベストセラー『嫌われる勇気』の二人目の著者である古賀史健さんがインタビューしてまとめた本です。帯に<糸井重里が気持ちよく語り、古賀史健がわくわくしながらまとめました。>とあります。糸井さんの経歴をちょっと知っていて、ほぼ日を何千回と訪れてきた僕なんかには、読みながらずっと惹きつけられっぱなしの本でした。

まず引用から。
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もうひとつ、黒須田先生とはおかしな思い出があってね。講座を卒業してから何年か経ったあと、先生が持っていた授業の代役を頼まれたんです。「ぼくには教えることなんてできませんよ。話すことがなくなったら、どうすればいいんですか?」と訊いたら、黒須田先生は真顔で「しのげ」って言うんですよ。
「話すことがなくなったら、ずっと黙って立っていればいいんだよ。生徒との我慢くらべだ」
「ええっ!?」
「黙ってしのげば、そのうち時間がきて終わるから」
もうね、ひどいでしょ? でも、黒須田先生の「しのげ」は、その後の人生にものすごく役立ちましたね。たしかに、じたばたしてもしょうがない場面はいっぱいある。「しのげ」で乗り切るしかないことはたくさんある。だから、みなさんにもおすそ分けします。
しのげ。いいから、しのげ。とにかく、しのげ。……いいおまじないでしょ?(p54)
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これ、わかりますねえ、「しのげ」しかないぞってありますし。そんなときに「しのげ」という言葉を持ち合わせていなかったりすると、その大変さが何割か増している気がします。

次に、引用ふたつ目。
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コピーライターという肩書きから、ぼくはいまでも「なにかうまいことを言う人」のように見られることがあります。そして実際、世間で評価されるコピーライターのなかには「うまいこと」を言おうとしている人も多い。でもぼくは、ことばの技術におぼれることだけはしないでおこうと決めていました。
ぼくがコピーに求めていたのは「うまい」じゃなくって、「うれしい」なんです。
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前回読んだ『不連続殺人事件』の著者・坂口安吾が、美のために言葉をいろいろいじって文章を作ってもそれは美ではなくて、言葉で表現されるものが「必要」だったのならばそれで美がうまれる、みたいなことを言っていたそうなんです。そのことに近いことなのではないでしょうか。

さて。西武グループの堤清二さんと共有された時間についての糸井さんのお話は、本書に書いてあるものではない話を以前、たぶんほぼ日でちらっと読んだことがあります。ただ、なんていいますか、まるで「この人には頭が上がらない」みたいに見えるときの糸井さんは、個人的に、ほんの少しだけ好きじゃない。堤清二さんとの話になると、糸井さんが若干ちいさく感じられてしまう。僕が糸井さんに、奔放でいて欲しいし、そうあってしかるべきだ、というイメージを強く持ってしまっているからかもしれないです。でも、それもおそらく誤解をしているからなのでしょうねえ。そして本書を最後まで読むと、その答えがちらりと見えてきました。大人と、大人未満と、たぶんそういうところなんじゃないかな、と。

なにかを積み上げて一流になられただろうはずなのに、その部分にずっと目がいきません。クリエイティブの派手な部分、楽しい部分、自由な部分、そういった局在にしか僕の視線が向いていかない。それはもしかすると、見ようによっては糸井さんってマタドールで、僕は(あるいは僕らは)だらりと垂らされた赤い布に気を取られてばかりの牛みたいなものなのかもしれないです。でも、はた、とそこにそれがなにかはわからないのだけど、「?」が短い時間、文章を追っている頭によぎる。そんなとき、赤い布きれから目を離してマタドールを見るでもなく見ているだと思います。

ほぼ日黎明期のお話を読んでいると、僕はその頃からネットをやっていまして、たぶんオープン前のほぼ日を見つけてふらふら訪れていましたし、(いや、もしかするとネット友達に教えてもらったのかもしれないです。それとほぼ日は、正式オープン前から訪れることができた場だったのでした。とくに糸井さんについてくわしく知っているわけでもないのに、「必ずおもしろいことをネットでやりはじめてくれるに違いない人だ」と思い込んでいましたね。)当時の時代の空気みたいなものもそうですが、インターネット世界の空気感やまだ粗かったWEB SITEのUIなんかも思い出されてくるわけです。僕も98年ころには自分のホームページを構えていました(初代は『VITAMIN STREET』、リニューアルした二代目は『op.x』という名前でした)。

それで思うところは、最近のほぼ日はすごく洗練されて知的になった、ということです。それって、インターネット世界全体に言えることでもあるんですよね。その全体的な「複雑化・情報量の増大」の流れをほぼ日という船も川下りしてきたということなんでしょう。ネット黎明期は、それはそれで味わい深いものでした。「昔はよかった」なんて言わない僕でも、ことネット世界に関しては「今にはない、昔のよいところがあった」とはっきり言えてしまいます。ネット黎明期レトロを決め込んだサイトがあってもいいかもしれません。と思うくらいに、当時からネット世界に深入りしていたし、執着もあるからなのかもなあと思います。
いちばん気にかかるのは、知的な部分です。知的な中身が、知的なフォーマットで語られるコンテンツになっていますよね、しばらく前から。知的な中身自体は前から一緒なんですが、知的なフォーマット、つまりUIの部分はネット世界全体で強すぎもしているという印象がド素人の僕にはある。そんなにみんな、おしゃれで知的かな、と思ってしまいます。「ニマス戻る」感じで、戻ったそこから再びサイコロを振ってみるなんて試みは、どうなんでしょう、ナンセンスなのかなあ。なんていうか、「白い紙」がいちばんだったりしませんか(紙の本ばかり読んでいるからそう思うのかなあ)。

2011年の東日本大震災以来、ほぼ日は鍛えられたしつよくなった、とあります。傍から見ていても、いつしか「ほぼ日」ってとってもデキる人たちがやっている会社になったというふうに見えるようになっていました。自分とすごく差がついたように感じられた。それがなぜ、どのようにして、はわからなかったのですが、そうか東日本大震災がきっかけだったのか、と本書から知ったのでした。そして、そのほぼ日さんの変化は、ほんとうの意味で「おとなになっていった」ということなんだろうなあ、と後半部を読んで納得がいってくるのでした。

「ヒッピー」「ムーミン谷」じゃいられないじゃないか、って糸井さんはおっしゃっていたのですけれども、それまでって、ヒッピーなクリエイターで、社会的にはアウトサイダー的だったのだと思う。社会には片足しか入っていないよ、みたいに。それが今や、頭の先からつま先まで社会のなかに包まれているなかでクリエイティブをやられている感覚があります。「ほぼ日」のしゃんとして見えるところは、おとなになったことで「そうするんだ」と自分で決めたところなんだと思います。マタドールの赤い布きればかりに目が行っていたものだから、マタドール本人の変化にはなかなか気づけなかった、そういうふうに自分の洞察の不明さをまぎらす言い訳で、きょうはズルく締めちゃいます。ちきしょーい。


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