Fish On The Boat

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『変身』

2018-02-01 21:02:12 | 読書。
読書。
『変身』 カフカ 高橋義孝 訳
を読んだ。

学生時代、半分まで読みながら、
雨にぬれてボロボロになり捨ててしまったカフカ『変身』を再読しました。

朝、起きたら一匹の気持ちの悪い虫に変身してた男の話。
これはなんの寓意があるのか?
といろいろ考えてしまいますが、
要はその、虫になった、というファンタジックな部分が鍵で、
あとはオートマチックのように筆が滑って
できあがっていく物語のように思えました。

なぜ、足が無数に生えた気持ちの悪い虫なのか。
『変身』が本になるときには、
カフカは虫そのものを表紙に描いてはいけない、と
出版社に急いで手紙を出して表紙絵の案を先読みして
拒否していたようです。
なぜ?なのか。
僕の解釈だと、ファンタジーというものの
深層意識性というところに必然性があると思うのです。
また、絵画のような、言葉では言い表せられないけれど、
その配置と色づかいは理にかなっている、というように、
うまく言い表せないけれど、変身したものが虫というのは、
非常に理にかなっているのだと思えます。
これは、実際に、文章の中身を想像して読んでみて、
その喚起させられるものの心象を顧みることでわかると思うのですが。

だって、寝る間もないくらいに働いて、
歩合制の外交販売員の仕事を頑張っているわけです。
忙殺されているわけです。
両親がいて妹がいるけれども、
彼らとコミュニケーションをとる時間も無い。
それも、家自体が借金を抱えているからで、
働けども働けども楽にならないし、
主人公のグレーゴルはそんな家族間の関係も
無味としたもののように感じ始めている、
実際を知る由は無いのだけれど、
そう確信に似た観念を持っているのは、
やはり仕事に追われていて、
人間らしい時間を持つことができていないからです。

だから、そんなグレーゴル自体がもう
異形の世界に足を突っ込んでしまっている。
荒んでいっている心に相当する外見が、
気持ちの悪い形をした虫だったというわけではないのか。

たとえば神様的な存在がいて、グレーゴルを見ている。
おまえの心の歪み具合、それはひとえに家族のためだったにしても
そんな背景は鑑みない、おまえ自体のその心の歪みとしてしか見ない、
そして、その心の歪みにもっともぴったりな体躯にしてやろう。
そんな神様的存在のきまぐれが、
グレーゴルを虫にしたのではないか、と僕は考えました。
意識の深層であげる悲鳴を具現化したのが虫。

そこには、せわしい生活の送り方などのスタイルも加味されていて、
ぴったりな芸術的転移をもって虫にされている。

物語っていうのは、舞台の基盤ができれば、
つまり設定が決まれば勝手に走っていくというところもあるんですよね。
虫になるという設定が決まった時点で、あとの物語の進みは
ある程度決まったものだったのかもしれないな、なんて思いました。

まあ、物語すべて、ただの悪夢だという話もあるようですが、
はてさて、ひとつに決まった解釈はありません。
読者がどう感じるかの自由が十分にある小説です。

カフカの写実的なところは、
僕の、小説を書く姿勢とおんなじかもしれない。
まあ、僕の写実性は大したことはないかもしれないですが、
絵描きがまず写実性を磨くように、
小説家も最初は写実性を磨く方がいいとぼくは思うわけ。
そうやって基礎力をつけてからだし、
ファンタジックなものをこしらえるにしても、
写実性の重力がなければ、ふわふわした建物になってしまいますから、
読んでいてもうまくないんじゃないかなあと想像がいきます。

最後に。
巻末の「解説」を読んでですが、
カフカは孤独が辛いから結婚しようと思ったものの、
そうすると相手の女性が自分の心にまで入ってきて
孤独を失わせてしまうから拒絶する。
そういう葛藤、わかるなあと思いました。


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