Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

悪銭

2010-12-20 15:11:20 | days
3か月前くらいに、エヴァンゲリオンのパチンコをやってみようかと思い立って3週間くらい打ち、
かなり負けたのですよ。やっぱパチンコっていうのは、こすっからいなぁなんて思いながら。

また、調子が良くて1万発だして、球が一つ4円ですから4万円換金することになるんですが、
それからもまだその興奮冷めやらぬ感じで、さらに勝負してしまうのです。
それで元の木阿弥になってしまったり。

その後、取り返すにしてもリスキーなので4円のパチンコはやめて、つまり諦めて、
球が1円とか2円とかのパチンコを、パチンコが大好きな従兄2人と一緒に打つことになった。
従兄たちにしてみれば、パチンコは面白い遊びであるという意識が強い。
ギャンブルっていう感覚よりも遊んでいる感覚が…、というか、ギャンブルの射幸心っていうものが、
わくわくどきどき楽しいものだったりするんですよ。
その虜なのがまさに従兄2人だなぁと。

そして、そんな彼らの仲間入りを、幸か不幸か、
意に沿うのか反するのかわからないような状態で、したのです。

そしたら1円パチンコを打つ分にはそれほど負けないし、
けっこう勝つことが多いんですよね。
トータルでもプラス。

そしたら、やっぱり儲けられるんじゃないかという気がしてくるわけです。
1円パチンコなんて、ガソリン代とご飯代がでるくらいなものですから、
その儲けが4円だった場合っていうのを考えてしまうんですよね。

そうなると、居ても立っても居られない、また4円のパチンコを打ってみることに。
ちょうど行きつけの等価交換のパチンコ屋がイベントを開いていたりする。
結果、勝つんですねぇ。数万円勝つことになる。
それで調子づいて、さらに勝てるんじゃないかと思うところに、
射幸心を煽られた可哀相な人の影が垣間見えるってなもんです。

それで、あくる日もパチンコ屋に行って、1円でも4円でも負けてしまうという大惨事に見舞われたのでした。

そこでようやく僕は悟ったのです。
「悪銭身に付かず」を思い知った。
負けたら負けたでお金が無くなるし、勝ったら勝ったで、「今日は(最近は)調子が良い」
と勘違いして、負けるまで賭け事にお金を使いだす。
そりゃ、10万とか20万とか儲けられれば、そこでSTOPできるものではあると思うのですが、
その道程は険しく、歩く者の脳をおかす毒にまみれています。

「悪銭身に付かず」は射幸心と密接な関係があります。
あぶく銭には、どうやらお金本来の重みが希薄で、
その希薄さは、あぶく銭の入った財布の中の、
元々のお金にも伝染するようなのです。
それに、なにしろ、射「幸」心の「幸」の意味するのは「金」なわけです。
お金に泳がされてあっぷあっぷさせられているのは、
どうにもみっともないでしょうね。

こう見えて、この歳までほとんど(従兄に拉致されて、しょうがなく打つ以外は)パチンコを
打ったことが無かったのです。軽蔑していたし、嫌悪していましたから。
非生産的で、想像力の無い、時間を無駄にする賭け事だと思っていました。
その点、競馬は、レースの面白さとか馬券検討の楽しみなどを認めていたのですけど。
だけど、人生ってわからないもので、そういう、嫌いな世界へ飛び込んでみたりもするんです。
そして、それで、それがどういうものかがわかったり、そういう世界の所作を学んだり、
人間観察をしたりすることになる。それはそれで、なかなか面白かったです。

そして、今日、ラストバトルだ、と従兄たちにメールして行ってきました。
行くなよ、って感じですか?
それでも狙い通りの台が打てて、勝ちました。
勝った後にやっぱり射幸心に負けてしまって、勝ち分を減らしましたが…。

でも、これで、パチンコとはしばらくおさらばです。
競馬よりも、直接的にお金が減ったり増えたりする、生々しさでいえばこちらのほうが上の
ギャンブルに身を投じてみて、それなりに学んだものもありました。
たとえば、その大きな一つにこういうのがあります。
前にこのブログでも書きましたが、満足しないことが、賭け事においては負けるまで勝負することになる
引き金になるっていうことですが、つまりは、満足しない者は絶対に負けるということです。
ヒクソン・グレーシーじゃなければ、負けますね。

それと、パチンコっていうのは、やっていると、頭が空っぽになります。
空っぽになったわりに、想像力が働いたりします、さっきは想像力のないものだと思っていたなんて
書きましたが、実際やってみると、いろいろ想像するものです。
ただ、機械のリーチアクションとか予告演出だとかは想像力に富んだものではないんですよねぇ。
まだまだ発展途上の段階なのかもしれませんね。それか、それ以上の発展なんて不必要とされて、
考えられていないのかもしれないです。

あと、困ることは、あのうるささは耳への暴力だということ。
さらにフラッシュが激しい台もあって、てんかんを起こす人もいそうな…。
ぐああ!っと、はじけてしまう人の化身がパチンコ台であって、
人々はそういう変身願望もあって、パチンコ台に向かい合うのかもしれないな、
なんて思いました。考え過ぎです。

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