世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

アユタヤ:チャオ・サン・プラヤー国立博物館(2)

2018-07-13 09:40:47 | アユタヤ

<続き>

仏陀座像 青銅 ウートン様式 13-14世紀

仏陀瞑想像 砂岩 ドバラバティー様式 7-11世紀

腰掛ける仏陀像 砂岩 ドバラバティー様式 7-11世紀

仏陀座像 青銅 スコータイ様式 14-15世紀

まだまだ多くの仏像が展示されていたが、仏像の紹介は以上で終えることにする。以下、銀貨の写真を3葉紹介しておく。

ポッドドゥアング

詳細は、キャップション参照。このポッドドゥアングは中世のランナーでも流通していた。

通貨鋳型

棒状通貨でこのような形の銀貨も存在する。これ以外にも多くの通貨・銀貨が展示してあった。

<続く>

 


辿り着けなかったサンサーイ古窯址

2018-07-12 09:00:57 | 窯址・タイ

古い噺を持ち出して恐縮である。去る6月26日のブログに下記のようにUP DATEした。

”CHAO編集人兼発行人のT氏と2014年、SanSai古窯址探索に出掛けた。場所はメージョー大学の西約200mであったが、T氏の堪能なタイ語で村人に質問を繰り返したが、辿り着けなかった。事前の情報では名前を忘れた寺院の近くだという。その寺院には辿り着けたものの、窯址位置が前述のように村人に質問するも分からない。”

4年前の噺を忘れ始めている。メージョー大学の西と記載してみたものの、もう一つ思いだせない。そこでつたない記憶を再度辿ってみると、位置が異なっていた。その位置を事前に調べると、メージョー大学の北6.7kmの位置であった。従って6月26日の記事を訂正しお詫びしたい。

サンサーイ古窯址について知ったのは、英国人で北タイ陶磁の泰斗であるショー氏のレポートであった。位置はチェンマイ県サンサーイ郡ノンハン地区メー・タオ・ハイ村のワット・メー・タオ・ハイの裏手と記載されていた。そこへT氏と共に出かけたのである。寺の壮年の僧侶に尋ねるが知らないとのこと、さらに3-4軒の民家で尋ねるが、同様に知らないとのことであった。

成程、ワット・メー・タオ・ハイの北側には小川のタオ・ハイ川が流れている。この水を窯業に利用したのであろうとの想像はつく。เตาไหとは、タオ・ハイと読むが、タオとは窯でハイとは瓶を表す。従って地名からも古窯址が在った筈であるが、住民には分からないと云う。

当該ブロガーのチェンマイ滞在予定は、9月中旬までである。再度行こうとすれば、それまでに行く必要があるが、同じ轍は踏みたくない。チェンマイ大学考古資料室やタイ芸術局第8支所で尋ねれば、窯址の位置と原形を留めているのか?破壊されて原形を留めないのかわかるとは思うが、踏ん切りがつかないでいる。

サンサーイ窯は褐釉の広口大壺や口縁に釉薬が載らない盤を焼成していたとされ、極めてサンカンペーンに近い焼物であると、ショー氏はそのレポートに記述している。

上掲2葉の写真は、ワット・メー・タオ・ハイであるが、何やらシャン族寺院のように見えなくもない。寺院は『瓶窯』の名称がつく、何やらありそうだ。

<了>

 


アユタヤ:チャオ・サン・プラヤー国立博物館(1)

2018-07-11 10:03:38 | アユタヤ

ワット・マハータート、ワット・ラーチャブラナから発見された宝物(金製品)を展示する特別な部屋がある。館内は撮影を許可されているが、この部屋は撮影禁止である。ここで展示されている金製品群は日本でいえば国宝であろう。昨年、九博と東博で『~仏の国の輝き~タイ特別展』が開催され、その眼玉として展示された品々である。当館のガイドブックを購入したので、幾つかを紹介する。先ずは、仏像や彫像類を紹介するが、当該ブロガーの関心外であるので、特に詳細な解説は記さない。

キャップションを見忘れたが、いかにもクメール様式の仏頭にみえる。

仏陀座像 青銅 スコータイ様式 13-14世紀

門扉 アユタヤ様式 ワット・プラシー・サンペット 16世紀

寺院切妻装飾・ガルーダに載るビシュヌ アユタヤ様式                             17-18世紀

仏陀座像 クメール様式 12世紀

門扉 アユタヤ様式 17-18世紀

仏陀座像 クメール様式 11世紀

砂岩製の2体のクメール様式の仏陀座像は、いずれもアユタヤの寺院から出土している。クメールの西の拠点・ロッブリーのみならず、アユタヤからも出土している。アユタヤもまたクメールの支配下にあったことになる。

<続く>

 


ロッブリー:プラナーラーイ国立博物館(5)

2018-07-10 08:55:28 | 東南アジア陶磁

<続き>

以下、いずれもコンテナーとよぶ甕、大壺類である。チャオプラヤー川を経由してコンテナーの役割で、各地に輸出された。

シンブリー:メナム・ノイ窯 16-17世紀

スパンブリー:バン・ナンプン窯 13-17世紀

スパンブリー古窯址には、到達できなかった苦い思い出がある。あそこだ、こっちだ、向こうだと振り回され、結局到達できなかった。タイではよくあることではあるが・・・。

スコータイ窯 11-16世紀

プラナーライ国立博物館のキャップションには11-16世紀と表現されている。11世紀まで遡らせるには、やや抵抗感を感じるのだが・・・。

年代・様式別に仏像類の展示があったが、専門外でもあり、これらの紹介は省略する。

<了>