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図書「Southeast Asian Ceramics」より#4

2015-04-16 10:39:11 | 陶磁器
 「東南アジアの伝統的な中国式焼成窯」として、次の2項目が掲げられている。一つは”The Traditional Chinese Kilns of Southeast Asia"で二つ目は”Chinese Kilns in Southeast Asia"である。何れも期待した程の内容ではないが、種々想像させてくれる内容ではある。

"The Traditional Chinese Kilns of Southeast Asia"
・1~2世紀前に中国人陶工が西ボルネオのSingkawangに窯を構築した。それらはまだ存在(ブログ”マニラ短信”によると、長さ30mを超えるという)しており、大きな貯蔵壺やその他の器物を生産している。
・1900年頃、青磁を作る窯がチェンマイ近郊に再開された。おそらくミャンマーのシャン州から移行して来たシャン人によってのことと思われる(興味のある記述であるが、これ以上の説明はない)。
・東南アジアにおける中国式の窯の実態については、未だ研究が充分ではない。それらを研究することは、東南アジアに陶磁生産を伝播させる背後にある理由、中国と東南アジアの陶工との相互作用を理解するのに有用であろう。そのことは一般的な、技術移転が行われる状態をチェックする手段を与えてくれる。

"Chinese Kilns in Southeast Asia"
・中国の陶工が13世紀後半にスコータイに行き、タイの陶磁生産を始めたとの伝承を検証することは不可能である。しかしながら清王朝下、東南アジアに中国人陶工によって窯が築かれた。
・この現象の最も精巧な事例は、インドネシア・ボルネオ島の西カリマンタン州のポンティアナックの北145kmのシンカワンの町で発見された。
・西カリマンタン地域への中国移民はWang Dayuan(人名と思う)によって、14世紀の早い段階で記録されている。
・明末期から清初期に、多くの中国人がこの地域に入植した。そこには金鉱があったので、1700年の半ばMempawahとSambasのスルタンは、金を採掘するため中国の労働者を入植させた。
・正確なことは分からないが、20世紀初頭にシンカワンの中国人陶工が大きな龍窯を築き施釉陶を生産した。それらは鉢、盤そして大きな貯蔵壺であった。



 明代永楽帝治下、鄭和が大船団で遠く東アフリカまで遠征した事実のもとで、ボルネオなど日常的に交流があったのであろうか。シンカワンの龍窯の写真を探すが見つからない。但し道観の写真は掲載されており、当地に中国人なりその末裔が暮らしていることがわかる。

 最もしりたい、1900年頃のシャン人陶工による、チェンマイ近郊への築窯説について詳しい記述がない。シャンの100年前は横焔式単室窯にて焼造されていたとの、津田武徳氏の調査報告書があり、この100年前云々は横焔式単室窯と思われるが、何とか調べてみたいものである。
 いずれにしても中世北タイの横焔式単室窯は雲南経由ランナーに至ったであろうと考えているが、未だそれが考古学的に証明されていないのが残念である。



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