世界の街角

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唐鋤と高床式住居を見て考えた

2018-12-08 06:53:13 | 古代と中世

唐鋤(からすき)はカサゴロルド博物館とスグボ博物館に展示されていた。セブで見るとは思いもよらなかったので、感動とは云わないがある種の驚きであった。

(カサゴロルド博物館展示の唐鋤:最後列の展示で見辛い)

(スグボ博物館展示の唐鋤)

日本では牛馬に引かせて耕す犂(スキ)のことを云う。当該ブロガーが小学生の頃まで、田舎の田圃で見て来た覚えがある。この唐鋤は古墳時代後期に大陸から伝来した。現在発見されている最古のものは、島根県益田市匹見町広瀬から出土したものである。これらの唐鋤が使われたであろう古墳時代の水田跡が岡山市上伊福・南方遺跡で、人と牛の足跡が見つかっている。それは畜力つまり唐鋤を用いたであろうことを思わせる。

それと同じような唐鋤の展示である。残念ながら展示品の時代背景の説明はない。当然のことながら大陸からの伝来と思われる。それにしても石臼、唐鋤ともに日本のものとよく似ているものだ。

スグボ博物館には、高床式住居モデルが展示されている。説明ボードには、Native House Architectureと表示されている。Native Cebuanoとは、いつの時代を指すのか判然としないが、弥生時代に見るような高床式住居である。

説明ボードの内容は以下の通りである。“植民地時代以前には、生活と交易のために海岸近くに居住することが優先された。そのため、多くの家屋は満潮から守るため柱の上に住居を建てた。また乾燥した土地に建てられる家屋もあり、床下は倉庫として使用された。家屋の建築材料は、通常竹材が用いられた。今日、この形式の家屋を農村ではいまだに見ることができる”・・・とある。これを見ていると、稲作の伝来は朝鮮半島経由説、長江流域からの直接伝播説、南海島嶼伝いの伝播説(柳田国男説の海上の道)の三つがあるが、『海上の道』説も捨てたものではないとの想いが湧く。

大阪・池上曽根遺跡や奈良・唐子鍵遺跡から出土した2200年以上前の弥生米のDNA分析では、朝鮮半島には存在しない中国固有の水稲の品種が混ざっていたことが判明している。柳田国男が『海上の道』と呼んだ、南海の島嶼伝いの伝播説は、南西諸島に稲作跡がないのを理由に物語としてしか扱われていない。しかしルソン島北部のバナウエ棚田はイフガオ族によるもので、2000年以上(一説によると紀元前1000年~前100年)の歴史があると云われている。栽培されている米は2種類で、熱帯ジャポニカと赤米である。

イフガオ族とは、ルソン島北部のコルディエラ山脈に居住する少数民族で、プロト・マレー系の民族である。彼らは山岳農耕民で、標高1000m-1500mの山腹に石垣を重ね棚田を作り水稲栽培を行う。更に水牛を使って田起こしを行う。稲の刈入れは穂先のみで、何やら弥生時代の刈入れ風景をほうふつとさせるhttps://cordillera.exblog.jp/16273541/。伝統的な家屋は、正方形の高床式で敷地内には高床式の米倉をもつ。村民共同で刈入れし、室内ないしは米倉の床下で収穫儀礼が行われ、コメの神に鶏や豚の生血と、米から作った酒が奉げられるという。

(スグボ博物館にて)

(スグボ博物館にて)

これらのことどもは、何となく日本の原風景のようである。ルソン島から準構造船を浮かべれば黒潮に乗り南九州、潮流の関係から日向辺りに漂着するのではなかろうか・・・等々と想いにふけったひと時であった。

<了>