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纏向遺跡の建物遺構は太陽神殿か?・その2

2017-07-08 06:39:24 | 古代と中世

<続き>

字面ばかりで恐縮である。前回、纏向遺跡の建物遺構は太陽神殿であろうと記した。この3世紀前半の遺構は、卑弥呼の時代と重なることから、気の早い識者や新聞は邪馬台国と騒ぎ立てるが、果たしてどうか? それはさておき卑弥呼は、日の御子で太陽を象徴している。

その卑弥呼を天照大御神に比定する見解は、プロ・アマ問わず多くの人々が表明している。天照大御神もその漢字が示しているように、太陽神に他ならない。諏訪春雄氏はその著作で、日本の王権は中国の南に起源し、王権神話の骨格は南の稲作文化の一環として日本へ伝来した。日本の王権神話で、最も重要な位置を占める神は天照大御神である。この神は明らかに稲を司る神、稲魂、穀霊としての性格を持つと記述している。更に『古事記』によると、

〇アマテラスは水田をつくり新嘗を主宰している 

〇アマテラスとタカミムスヒが最初に地上に降臨を命じたアマテラスの子アメノオシホミミは、威力ある稲の神の意味であり、交代して降臨したアマテラスの孫ホノニニギは稲穂の豊穣の意味を持っている・・・と、続けて記述されている。

古来、稲作には水と太陽は不可欠であり、そこから太陽信仰が派生した。天照大御神はその字面もさることながら、以下の神話は広く知られている。天岩屋戸神話で、天照大御神は天岩屋戸に籠る。これを日食とも冬至とも、あるいは鎮魂祭とも解釈されること、鏡を魂の依代とすることが、太陽神としての性格をあらわしている・・・とも記されている。

この天岩屋戸神話に類似する神話(民話)がインドシナ半島に存在する、おまけに鶏が登場するモチーフも同じである。う~ん、江南・越どころではなく、インドシナ半島まで話は飛ぶのか? 纏向遺跡の建物復元模型はインドシナの少数民族の建屋そのものではあるのだが・・・。

 

                                <続く>