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タイ正月:ソンクラーンとは

2014-11-03 09:26:07 | 旅行
 タイ正月(ソンクラーン)の話題としては、時期的に早すぎるが、そこにはブラフマンやインドラ神の翳をみることができる。
 4月初旬から中旬までの3日間がソンクラーンと呼ぶタイ正月で、別名水掛け祭りとも呼んでいる。
(写真はタイ国政府観光庁のHPより転載)

 以下、長文になるが御容赦願いたい。このソンクラーンの呼称からして、西の方インドの匂いがする。ソンクラーンの風習である水掛けは、何時の時代まで遡れるのであろうか。調べてみると、『タイ王国大使館HP』に以下のくだりが紹介されていた。
 昔、知識にかけては他の者にひけをとらない1人の若者がいた。しかしその才能によって、天上界の神であるカビル・マハ・プロムの嫉妬を受けてしまった。神はその若者に会うために地上に降りてきて、彼に3つの謎々を出す、もし7日以内に若者が正しい答えを出すことが出来なければ若者は頭を切られ、もし成功すれば神が頭を若者に差し出す、というものであった。
 初めは彼の知恵をしても答えを導き出すことができず、若者は敗北を喫することよりも自ら命を絶つ方がよいと考えある場所へ向かうことにした。
 ところが、その場所へ行く途中に若者はある母親が子供たちに向かって、ある神と若者の間の賭けについて、そして神から若者へ出された謎々の答えを話しているのを聞くことになった。若者はこの情報をもとに約束の日に、神に3つの正しい答えを言うことができた。神は賭けに負けて自分自身の頭を切り落とした。しかし、神の頭はとても恐ろしいものであり、もし地上に落ちれば大火災が発生し海に落ちれば海が干上がってしまうようなものであった。ですから神の頭は天上界のある洞窟の中に置かれることになった。
 毎年新年になるとソンクラーンの日にその神の7人の娘が1人ずつ順番に父親の頭を掲げ持ちその他の何百万という神々や女神たちと一緒に行列をなして歩く。その後天上界の人々の間で宴が催され、宴が終わるとその神の頭はまた洞窟に運び込まれ、次の年のソンクラーンの日にまた運び出されるという。
 以上のように紹介されているが、バンコク近辺の神話なり昔話なのか・・・どうか言及がないので判然としない。北タイもそうであろうか?

 タイ族の故地、西双版納のタイ族には、次のような伝承が残されていると云う。タイ族が暮らす一帯に、凶暴な魔王が住み着いていた。村々から略奪し、村人を奴隷にし、美女をさらうのを常としていた。しかし魔王に手向かうことはできなかった。それというのも魔王の魔力は、凄まじく不死身であったことによる。
 この魔王には、いずれもさらわれてきた七人の妻がいた。ある日、魔王はいつもの通り多くの品物を略奪し、年若い妻に『どうだ俺の腕前は、たいしたものだろう』と誇った。
 そこで、その妻は魔王にさぐりを入れ、魔王の弱みを魔王自身から聞き出した。それは『わしの髪の毛で、わしの首を縛れば、それでわしは終わりだ』と。
 若い妻はこのことを、他の六人の妻たちに告げ、夜半に魔王が眠ると、その髪の毛を一本抜き取り、さっと魔王の首に巻き付けて、きつく締めあげた。すると魔王の首がゴロリと床に落ちたと同時に、首は煙をはき、火が吹き出した。
 その吐き出される火炎の中から、たくさんの魔鬼があらわれ、妻たちに襲いかかってきた。それを見た若い妻が魔王の首を、その胸に抱きかかえると、火炎が消え魔鬼も消え失せた。

 七人の妻たちは、二度と再び魔王の首が、人々に害を与えないよう、交替で首を抱きかかえることにした。一人の妻が魔王の首を一年間抱き続け、つぎの一人に渡す。その時まで首を抱いていた妻の体には、魔王の首から流れ出た血がついていた。その血を洗い流すため水を掛けたと云う。
 こうして毎年一人ずつ、つぎつぎと交替で首を抱き、七人目が終わったとき、魔王の首は完全に死に絶え、二度と血は流れなかった。
 その後、タイ族の人々は、勇気ある七人の妻を祈念し、互いに水を掛けあうようになったと云う。
 この伝承には宗教的な背景が述べられていないので、それとは無縁であったかどうか、判断がつかないが七人の妻は、七人の娘と同様に女性であり、ブラフマー神とつながっていると思われる。

 ソンクラーンは西のミャンマーでも、タイと同様に新年を祝う行事で、水掛け祭りも同様である。
 ミャンマーの古い資料によると、インドラ神(帝釈天)とブラフマン(梵天)は、仏教の講題について口論になった。インドラ神はこの口論に勝ち、ブラフマンの首を手にしたものの、この首が高熱で常に燃え盛っていた。
 この首を大海に投ずれば、海の水は干上がってしまい、陸上に放り出せば大地はたちどころに干からびてしまう。致し方なくブラフマンの7人の娘たちに、首のお守りを命じ、何時いかなる時もブラフマンの首をささげ持ち、決して手から放してはならないと命じた。
 7人の娘たちは、1年ごとに交代でこの役目を引き受け、毎年元旦になると燃えたぎるように熱い首に水をかけ、次の当番に引き渡すことになった。
 また別の説話では、首からしたたり落ちる血を洗い流すため、水を掛けたということである。こうして、ソンクラーンの日に、水掛をする風習が始まったのである。

 ソンクラーンは太陽暦の4月13日から15日までの3日間となっているが、太陰太陽暦でいう、大ソンクラーン日に相当する。それは天文学的に云うと太陽が、白羊宮(おひつじ座)に入ることを意味している。

 ソンクラーンについて、調べてみると概略上述のようであった。ここで共通しているのは首と七人の女性、水を掛けることによる首の冷却ないしは、血の洗い流しである。それらの共通項を見ると、西双版納のタイ族伝承にもバラモン教なり上座部仏教の翳をみることができる。
インドで用いられミャンマーやタイで採用されている太陰太陽暦、インドラ神やブラフマンなどの登場神をみると、何故インドラ神なのか?と云う疑問が湧く。ヒンズー教の最高神はブラフマー、ビシュヌ、シバの3神であり、インドラ神はヒンズー教では地位が低下した。そのインドラ神が主役のソンクラーン物語である。インドラ神はベーダ神話(バラモン教)に現れる最高神で、仏教では帝釈天とされる。
 雨安吾の三ヶ月の間、仏陀は天界の三十三天(須弥山の頂部)に昇って、その母麻耶夫人のために説法をして、聖地サーンカーシャに戻る。その降下の場面で仏陀をエスコートするのはインドラ神(帝釈天)とブラフマー神(梵天)である。
 またソンクラーンでは、多くの寺院の庭に砂山を築く、それは仏塔のように築かれる。これはまさしくインドラ神が住む須弥山を模している。
(写真はタイ国政府観光庁のHPより転載)

 つまりソンクラーンの説話は、バラモンの神々をも取り込んだ上座部仏教から派生したもので、北タイの中世もソンクラーンを祝っていたであろうと思っている。そして北タイには、それらを受け入れる土壌が、中世には既にあったものと思われる。