まっしゅ★たわごと

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豊饒の海【第三部】「暁の寺」読了!

2005年12月31日 22時01分54秒 | ぶつぶつ

     

タイトルの「暁の寺」というのはタイのバンコクにある寺院のことであることは周知の事実であり、バンコクの旅行ガイドや旅行記を読んでいても、しばしば三島由紀夫の小説の舞台になったという旨のことを紹介している文章に出会うことがある。タイトルが「暁の寺」であることは第一部「春の雪」においてタイ王国の前身であるシャム王国の王子たちの留学の逸話やら、それに続く今回のジン・ジャン姫(月光姫)と本多の関わり方を見ていれば自明である。

しかしながら個人的には、作者がこのタイトルを選んだのはそれだけではなく、「或る物」の喩え(正確には「或る物」が「暁の寺」に似ていると喩えられるのであるが)として重要な主題を秘めているのではないかと思わずには居られないのである。

それは物語の中盤、本多の御殿場の別荘のテラスから眺望される富士山の風貌の表現として記述されているので少しだけ引用してみる。

~富士は黎明の紅に染まっていた。その薔薇輝石色にかがやく山頂は、まだ夢中の幻を見ているかのように、寝起きの彼の瞳に宿った。それは端正な伽藍の屋根、日本の暁の寺の姿だった~

日本の「暁の寺」である富士の麓で、その性愛に満ちた駆け引きや妄想は繰り広げられるのだ。更には槇子夫人の弟子として登場する椿原夫人の存在も重要である。なぜならば亡き最愛の息子・暁雄(富士山をこよなく愛し、自室に富士の写真の額をかけて眺めていた少年。名前の一部が「」になっているのも見逃せない)の思い出を一身に背負う彼女は、物語の終盤に「柘榴の国」を妄想する今西と共に、その麓で灰と化してしまうのである。そして取りも直さずその日の未明には「赤い煉瓦のような色の富士」(二度目にして最後の赤富士)が彼らの前にそびえていたのである。

つまり、ここで喩えられる「暁の寺」とは富士山のある日の夜明けに見られる束の間の姿であり、ジン・ジャン姫の左脇腹にたまに現れる三つの黒子の暗喩なのではないだろうかと思うのである。そして、ジン・ジャン姫の黒子に気がつく人物は三島由紀夫の巧妙な仕掛けによって、彼女の左の脇腹は何人の目にも触れる機会がありながらも結局は本多の目にしか入らないのである。しかも、それは通常の状態においては目視することは叶わず、壁に穿たれた穴から覗いた本多の犯罪者としての眼にしか確認の出来ない幻想なのだ。

幻想と言えばもう一つ、椿原夫人の情夫であるドイツ文学者・今西の役どころも興味深い。ここでは今西が執筆構想をしているという「柘榴(ざくろ)の国」の話が紹介されている。これは、彼に「性の千年王国(ミレニアム)」と言わしめ、カリバニズムをはじめとした様々なタブーの可能性を語らせているが、それも物語の終盤において創作の過程を聞く本多に対し、今西の口から「あの『柘榴の国』は滅びましたね。もうないのです」というセリフを吐露させているのである。

それは創作活動が頓挫したということを意味し、それもまた「幻」に終わったということなのである。更には、先に述べたように、それらの思想の源泉となっている今西の肉体そのものも「幻の暁の寺」に見守られながら果てていくのである。(この『柘榴の国』の話はなかなか意味深で、劇中で語られる「記憶者」とは本編における本多(平岡公威)であり、だからこそ生き永らえさせる役割を与え、「記憶される者」として清顕や勲(三島由紀夫)を殺していくことに意義を見出しているのだよと三島由紀夫自身が主張しているようにも感じられる)

もしも、この物語が「豊饒の海」四部作の起承転結の「転」に当たるものだとすれば、全体の構成は次の二つに集約されているように思う。一つは時系列的に本多が心身ともに醜く朽ち果てていく姿(醜い心・醜い体・そして脱法者への転落)であり、もう一つは本多が触れていく想念が徐々に「幻」に化していくということであろう。これらはきっと終章である「天人五衰」へ引き継がれていくのではないかと密かに期待している。

そんな中、ジン・ジャン姫19歳の夏に「幻の暁の寺」のそばで体験した異常体験を含む日本での「意味の無い留学」において、彼女を死なせず本国タイに帰国した後、日本への留学が「意味の無いもの」であったことをわざわざ表現し、かつ「現実の暁の寺」のそばの屋敷で死なせたところに作者の熟考の後が窺えるような気がするのである。

 

《蛇足》

第三部「暁の寺」は「豊饒の海」の大きなテーマになっている「輪廻転生」の思想の延長線上にある「阿頼耶識(あらやしき)」という形而上的観念に対する講釈を、本多の「輪廻転生」に関する研究という設定を借りて延々と行っているが、あまりに難しく私自身も100%理解して読破したわけではないので、この件については触れないでおこうと思う。

ただ、本多が第二次世界大戦中に行ったこの研究の後は、戦後日本の姿を描きながら本編が描かれていくのであるが、そこには既に大正時代の雅を思わせる洞院宮家の威光も華族的な豪邸も無く、また飯沼勲が死して興じた志を持つ人間も存在しない。

空襲で焼き払われてしまったのは、単なる「物質」だけでなく日本人の「精神」までもなのであり、それは「暁の寺」の章においては戦前・戦時中を描いた第一部と戦後を描いた第二部とで鮮やかに隔てられているような気がするのである。(第二部において描かれる日常というのは、即ち私たちの知っている日常に近いカタチを呈している)

 



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