浜ちゃん流

日々の事を書いてます。

12月の肺炎を思い出とともに振り返ってみる

2020年04月01日 | 東南アジア旅行
昨年の12月23日にラオスで風邪の症状が出たと書いてますが、思い返せばもしかしたら新型コロナウィルスに感染してたのかもしれないと思うことがあります。或いはその時に感染したわけじゃなくても23日以降の体調不良に合併したとも考えられますが、とにかく年が明けた1月初旬までずっと体調不良が続いていました。最近になって報じられるコロナウィルスの症状に当てはまることが多く、今さらながら振り返っています。


前々日の12月21日 滞在していたカンボジアのクラチェから体調不良が始まり、この時は軽い倦怠感、発疹、悪寒、発熱 ( 体温計がなく検温無しですが、体感的に発熱してるだろうと推測 ) がありましたが、旅の疲れとちょっとした風邪と考えていて、発疹に関してはホテルのベッドにダニがいるんだろうくらいにしか思ってませんでした。





クラチェ メコン川の夕陽





クラチェ メコン川のカンピビーチ


23日にラオスのドンデッド島に移動してから症状が悪化し、倦怠感、発疹、悪寒、発熱 ( 体温計がなく検温無し ) がより酷くなり、味覚障害も出始めましたが、いつも風邪が拗れると少なからず味覚に異常が出るので、とくに気にはならなかったです。あと胃腸炎の症状も出始めましたが、この時も旅の疲れとストレスで免疫力が落ちてるから とか 衛生面が日本人に合わないから とか そんな風に考えてました。





ドンデッド





ドンデッド





25日にドンデッド島からラオスのパークセーに移動して症状は更に悪化。チェックイン後の夕方から激しい頭痛が起こり、倦怠感と悪寒もいつもよりかなり激しく襲ってきました。ここでも体温計がなく検温ができないものの、かなりの高熱に侵されていることはわかりました。この時から下痢の症状がひどくなり、一晩で30回ほどトイレにかけこむなど脱水状態も酷くなっていきました。空腹のはずなのに空腹を感じず、何も飲むことも食べることもできなくてただ内臓が悶々としている感じで、次第に身体に力が入らなくなっていきました。satokoさんが夜中に開いてる店を探して何度か外出してくれて、夜中にようやく買えたジュースすら飲むことができなかったです。


内臓の悶々した感覚が次第に股関へと移っていくような感覚になってそれが勃起へと繋がり、うなされたり、『 死ぬ 』とうわごとで繰り返したり、苦しいのに股関は勃起状態になっていたり、苦しみ悶えているのにそれをずっと手で触ってたり、いわゆる死ぬ前に子孫を残そうとする本能と関連する動作なのかなと苦しみの中でそんな事を考えてた気がします。26日の朝まで一睡も出来なかったですが、朝になると熱が引き身体は少し楽になっていました。病院の場所を調べると宿から程近いと分かり、診療が始まる時間になってから歩いて向かいました。何度か道路にしゃがみこんだりして、わずか数キロの移動がとても辛かったです。





パークセーの病院にて


病院では問診でデング熱かマラリアを疑われ、感染病棟と書かれた病室に移されました。 ( 問診は英語が通じず、satokoさんと看護師5人くらいがゼスチャーとケータイアプリの翻訳を使って頑張って症状と処置について話合ってくれていました。 ) 処置については、検温以外の検査などはなく、何かの錠剤とカプセルを服用して点滴を打ってベッドに横になるだけで、この時の検温では37度台。体温が下がった感覚の下で37度台ということは、前日はおそらく39度台はあったと思います。先生から入院が必要だと言われましたが、検温以外の検査もなく英語も通じなくて不便に感じ、不安も感じてたところに、となりにベトナムの病院があってそこは英語が通じるし血液検査もしてくれることをsatokoさんが調べてくれて、そこに転院することにしました。同じ敷地内にラオスの病院とベトナムの病院があるのが不思議でしたが。

( ラオスの病院の先生や看護師たちはとても優しく接してくれていたので、転院の際、先生宛に感謝の気持ちを手紙に書き記しました。)


転院後、ベトナムの病院では受付後すぐに検査が始まりましたが、血液検査とエコー検査をした段階でいろいろと不信感が募るばかりです。最初の採血では日本では考えられないくらい痛くて、それだけでも嫌なのに終わっても針の抜き忘れというとても信じられないことがありました。 ( 針が刺しっぱなしの状態でエコー検査や問診などを行い、いつ抜いてくれるのかと思っていたら単に忘れてただけでした。) 妊婦がやるようなエコー検査も意味が分からず、尿検査は脱水が酷くてとても尿など出るはずもないのに採尿しれと。😣 ここベトナムの病院でも入院が必要と言われましたが、いろいろ不信感が募ったので入院は断わりました。ちなみに血液検査の結果はデング熱もマラリアも否定され、細菌による胃腸炎という診断がされました。





ホテルに帰り・・


( satokoさんが屋台でヌードルを買ってきてくれましたが、ほとんど食べられなかった。容器は雑貨店で購入。 )


28日~30日は、朝になると熱が下がって身体が楽になるという症状を回復傾向であると勘違いし、体調不良を押してバイクでいくつかの観光地を回ったりもして無茶な行動をしていました。新型ウィルスの感染が世界的に拡大した今となっては不謹慎極まりない行動ですが、このときは胃腸炎としか思ってなかったです。😫





パークセー





パークセーの近く





バスで国境越え


30日 ラオスからベトナムのフエに移動。陸路での国境越えは楽しみではありましたが、バスに長時間乗車するので、体調不良の振り返しが心配でした。ザックを下ろして座席に座ってたからか体調の異変は特に感じることなく無事にフエに到着。体調は比較的良くなっているようでしたが、疲れとストレスが蓄積されて逆にsatokoさんとのケンカは増えていき、一緒にいるとケンカばかりなのでしばらく別行動でお互いのペースで過ごすことにしました。そして31日に一人で行動中にケータイを紛失。😫





フエ





フエ 旧市街





警察署


1日 届け出のために3箇所の警察署を回りました。元旦はどこの警察署も休みのようで ( 日本の警察署はどうだっけ? ) おそらくケータイは戻ってこないだろうけど、保険の申請のためには警察の書類が必要なので頑張って警察署を巡り、3件目にしてようやく緊急窓口にて対応をしてもらうことができました。( 2日にはフエを離れるつもりだったので、何とか当日中に手続きをしたかった。)


2日はフエからホーチミンに移動。 前日に警察署で紛失の届け出を済ませた後、フエ駅でホーチミン行きの電車の時刻表を調べましたが、元旦とあってほとんど席は埋まっていたし、空席があっても時間が合わなかったりして結局電車は止めて飛行機でホーチミンに向かうことにしました。





フエ駅


3日~5日 ホーチミンではツーリングやランニングを元気にこなせるまでに体調は改善していましたが、ランニング後の息切れと肺の疲れはこれまでと違う違和感として残りました。 この時は咳などはまったく無かったですが、時々 息苦しさや息切れを感じることがありました。( 4月末現在もランニングやダッシュをした後に肺に違和感として残りますが、現在の違和感は肺炎の後遺症だと思います。 )




4日 ホーチミンからクチまでツーリングをしてクチトンネル観光では・・



クチトンネル


クチトンネルでギックリ腰になる・・🥶





クチトンネル


成人男性にとってクチトンネル見学はとても過酷でした。 中腰姿勢が腰の負担となり、まさかのギックリ腰です。一連の体調不良とケータイ紛失とギックリ腰と。 こんな異国の地で何をやっているんだろうと泣きそうになりました。😫






5日 ホーチミンからタイに入国。




ルンピニ公園





ルンピニ公園


8日が帰国日です。 もう海外は懲り懲りだとは思ってないし、とても名残惜しいですが、早く日本の病院にかかって体調不良の原因を知って治療をしたいという思いから、とりあえず早く日本に帰りたかったです。😅


帰国前夜、体調が改善されたし明日には日本に帰るからと調子に乗ってビールを飲んで部屋に戻った直後、突然の激しい悪寒に襲われて体温が急激に上昇し始めました。satokoさんに体温計を買ってきてもらい検温すると、最初の数回の検温で平熱だったのが数分で39度台にまで一気に上がり、突然息苦しくもなり、激しい頭痛にも襲われました。この時もうわごとを言いながら身悶えていて、消え入りそうな声で今までありがとうとも言っていたそうです。バンコクの外気温が36度あるのに室内のエアコンのヒーターを全開にして厚着をして布団にくるまっているのにとても寒く、一晩中震えていました。






急変の直前


この飲酒の後、部屋に戻ってわずか数分後に急変。自業自得と言われればそうだけど・・😅バンコクはコンビニなどがたくさんあり、さとこさんが夜中に医薬品や食材など買ってきてくれたり、夜中にも関わらず旅行保険のサポートに連絡をしてくれて日本語対応が可能な病院がないか調べてくれたり一晩中看病をしてくれていました。ありがとう。







この日の帰国は諦めてましたが、朝になってまた嘘のように平熱に下がり身体も楽になっていました。変な爽快感に包まれて異様な状態でしたが、帰国して空港の検疫にかかることができれば安心感は得られると思って帰国しました。そして帰国後すぐにセントレアの検疫を訪ねましたが、対応はアンケートと問診のあとに『 かかりつけ医に相談してください 』と言われただけで帰されました。安心感を得られると思ったら、まったく逆のこの突き放された感が何とも。😅


帰国しても発熱のサイクルは変わらず、名古屋のホテルにチェックイン後にまた熱が上がり始め、翌朝にはまた平熱に戻るという繰り返しです。マラリアは発熱を繰り返す症状があるとのことだったので、検査で一旦は否定されたマラリアでしたが、やはりマラリアかもしれないと思ってました。この時は。


翌朝、高速バスで富山に帰る途中で保健所に連絡をしても空港の検疫以上に突き放すような対応で『 病院に行ってください 』の一言だけで切られる始末です。いくつかの病院に電話をしても海外で罹患したならまず保健所に連絡してくださいと言われるばかりで、再度保健所に連絡をしてもまともに取り合ってもらえないという状態でした。好き勝手に旅行に行ってるのだから仕方ないけれども、原因を知って治療はしたいです。😅 電話ではらちがあかないので直接病院に行ってみると普通に検査をしてもらえました。検査内容は、血液検査( 培養 )、レントゲン、CT、検便、検温などです。

検査の結果は肺のほとんどに影が映っていて原因不明の肺炎と診療がされました。( 後日、血液培養検査と検便でデング熱とマラリアは否定されました。 ) この時期、日本では新型コロナウィルスに関する報道はあまりされておらず、PCR検査もなかったので原因不明とされましたが、果たして・・

入院を勧められることもなく、原因不明なので効くかは分かりませんが・・と処方された薬にも効果があったのかどうか。これ以上の処置ができないので自宅で療養してくださいと帰されました。

地方の病院で万が一にも新型コロナウィルス感染者が出たらとんでもないことになりそうなので、病院としても来てほしくはないですよね…

それからの数日間は発熱などの症状は治まったものの、この日から空咳出るようになり、夜になると酷い咳が出てほとんど寝れない日が数日間続きました。数日後には咳の回数が減り始め、次第に体力も回復していきましたが、息苦しさと息切れはかなりの日数が経過しても全快とはならず、4月に入った現在も ( 運動後に息苦しさや息切れがある。 ) 違和感として残ったままです。一生治らない後遺症かもしれませんが、もし新型コロナウィルスに感染してたのならここまで元気に回復できたことは奇跡だと思うし、身近な人たちに感染者がまったく出なかったこともまた奇跡だったと思います。この程度の後遺症なら我慢しなきゃいけないと思います。


逆に身近な人たちに感染者が出ていないということは新型コロナウィルスじゃなかったかもしれませんし、 今となっては分かりません。😅




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