当方では「魔法先生ネギま!」に絡めて戦争の仕組みという記事を書いているので、
この辺りで二次大戦の「日本の戦争」をどう捉えているのか書いておきます。
箇所によっては論理がおかしい部分もありますが、それはわざとなので
ツッコミはご容赦ください。色々激しい論議のある事柄なのでご察しください。
~日本の目的~
まずそもそも日本は何故戦争に打って出たのか。
二次大戦の参戦原因としては、例えば以下のようなものがあげられます。
[1]日本の自衛
[2]石油資源の確保
[3]アジア・オセアニアの植民地の解放
[4]アジア・オセアニアの征服・植民地の確保
[5]打倒アメリカ・イギリス
[6]ソビエト共産主義勢力の阻止
このうちのいずれが正解か?
・・・と考えるのがそもそもの間違い。
当方の答えは「全てそれぞれやろうとしていた」だ。以下にそれを解説する。
自衛
「右」の人を中心によく言われるのがこれ。基本的に上の[1]・[2]にかかることです。
[2]は[1]に含まれますが、
マッカーサーのアメリカ議会証言録にあることです。
少なくとも、「アメリカ人の考えに基づいて考えうる原因の一つ」で、
イラク戦争の開戦理由としても似たことが挙げられています。
これの構造については「主な石油の出所」が「南方」から中東に変わっただけで、
あまり変わってはいませんが現在は輸入路をアメリカ軍に守ってもらっています。
[1]に関してよく言われることは「満洲は日本の生命線」という言葉ですが、
これは当時併合していた「朝鮮地方」にとって生命線に当たっていたから。
現在でも旧満洲・現在で言う「中国東北部」が
北朝鮮の生命線(主要交易路)であることは変わっていません。
侵略
(零戦・・・ではなく キ43 一式戦闘機「隼」)
こちらは[3]と[4]にかかること。
日本が掲げた正義である大東亜共同宣言に関係します。
[3]にしても西欧列強の領土(植民地)の分離独立を図る侵略行為として、
平和に対する罪の一端として裁かれました。
今村均など、現地の将官にまじめに実践しようとした者がいます。
[4]は石原莞爾の最終戦争論等に現れており、
また天津教などの神道系新興宗教にも似た思想が見出せます。
日本をグレート・ゲームのプレイヤーとして位置づける考え方です。
打倒
(降伏文書調印式が行われた戦艦ミズーリに掲げられた
ペリー来航当時のアメリカ国旗)
[5]・[6]はそれぞれ「南進論」・「北進論」にも関係します。
[5]は日中戦争を通じて米英との関係が悪化したことが言われています。
実際にはマニフェスト・デスティニーの延長線上で理解することも出来、
ハル・ノートに至る外交戦の敗北もあり、また
アングロ・サクソン諸国を一体のものとみなして開戦に至ります。
[6]はむしろロシアの南下政策の延長線上にあり、
当初は清朝崩壊に伴う群雄割拠状態に対する対処という面もありましたが、
次第に中国大陸での勢力争いの泥沼に引きずり込まれていくことになります。
その2はこちら
この辺りで二次大戦の「日本の戦争」をどう捉えているのか書いておきます。
箇所によっては論理がおかしい部分もありますが、それはわざとなので
ツッコミはご容赦ください。色々激しい論議のある事柄なのでご察しください。
~日本の目的~
まずそもそも日本は何故戦争に打って出たのか。
二次大戦の参戦原因としては、例えば以下のようなものがあげられます。
[1]日本の自衛
[2]石油資源の確保
[3]アジア・オセアニアの植民地の解放
[4]アジア・オセアニアの征服・植民地の確保
[5]打倒アメリカ・イギリス
[6]ソビエト共産主義勢力の阻止
このうちのいずれが正解か?
・・・と考えるのがそもそもの間違い。
当方の答えは「全てそれぞれやろうとしていた」だ。以下にそれを解説する。
自衛
「右」の人を中心によく言われるのがこれ。基本的に上の[1]・[2]にかかることです。
[2]は[1]に含まれますが、
マッカーサーのアメリカ議会証言録にあることです。
少なくとも、「アメリカ人の考えに基づいて考えうる原因の一つ」で、
イラク戦争の開戦理由としても似たことが挙げられています。
これの構造については「主な石油の出所」が「南方」から中東に変わっただけで、
あまり変わってはいませんが現在は輸入路をアメリカ軍に守ってもらっています。
[1]に関してよく言われることは「満洲は日本の生命線」という言葉ですが、
これは当時併合していた「朝鮮地方」にとって生命線に当たっていたから。
現在でも旧満洲・現在で言う「中国東北部」が
北朝鮮の生命線(主要交易路)であることは変わっていません。
侵略
(零戦・・・ではなく キ43 一式戦闘機「隼」)
こちらは[3]と[4]にかかること。
日本が掲げた正義である大東亜共同宣言に関係します。
[3]にしても西欧列強の領土(植民地)の分離独立を図る侵略行為として、
平和に対する罪の一端として裁かれました。
今村均など、現地の将官にまじめに実践しようとした者がいます。
[4]は石原莞爾の最終戦争論等に現れており、
また天津教などの神道系新興宗教にも似た思想が見出せます。
日本をグレート・ゲームのプレイヤーとして位置づける考え方です。
打倒
(降伏文書調印式が行われた戦艦ミズーリに掲げられた
ペリー来航当時のアメリカ国旗)
[5]・[6]はそれぞれ「南進論」・「北進論」にも関係します。
[5]は日中戦争を通じて米英との関係が悪化したことが言われています。
実際にはマニフェスト・デスティニーの延長線上で理解することも出来、
ハル・ノートに至る外交戦の敗北もあり、また
アングロ・サクソン諸国を一体のものとみなして開戦に至ります。
[6]はむしろロシアの南下政策の延長線上にあり、
当初は清朝崩壊に伴う群雄割拠状態に対する対処という面もありましたが、
次第に中国大陸での勢力争いの泥沼に引きずり込まれていくことになります。
その2はこちら