ミヤコ蝶々「ひとり芝居」と「ふたり芝居」
僕が梅田コマに入った頃、蝶々先生は日向企画という会社を興し「蝶々新芸スクール」を始めた その頃大阪三越劇場にて「蝶々ひとり芝居」を竹内伸光先生の演出で上演した 僕はコマに入る前に北條秀司先生の「王将」でこの劇場を使った経験があったので少しお手伝いした 昭和51年1月公演「おんな寺」から翌52年12月の「河内の女」の梅田コマの本公演の間のことであろう 残念ながらこの2作共内容も入りもいいものではなかった それから何年かのちこの「ひとり芝居」は美術家朝倉摂との鳴り物入りで名鉄ホールで再演される 朝倉、蝶々の2大女傑の組み合わせは評判を呼び 翌年8月中座での再演が決まった
ここにその中座公演のチラシがある
昭和59年4月5日〜9日 ミヤコ蝶々ひとり芝居 「おもろうてやがて哀し」 日向須津子 作 竹内伸光 演出
(1)赤線の灯が消えて(2)愚かなる母(3)海暮色 (岩間芳樹原作)
そうだ、思い出した3つ目の「海暮色」は先生がラジオドラマでやって気に入った作品でその頃はまだ著作権が浸透してなかったので吉村がでしゃばって原作者を入れることを勧めたのだ
名鉄ホールの「ひとり芝居」は評判を呼んだので翌61年11月タイトルもズバリ「ふたり芝居」を芦屋雁之助の共演で上演した(詳しい事は判らず)
そして昭和61年中座、南座、翌62年12月名鉄ホールでの「ふたり芝居」決定版が上演される
蝶々、雁之助のふたり芝居 第一話「電話」第二部「親買います」だ
雁之助は蝶々を「喜劇の頂点に立つ人」と尊敬し、蝶々は雁之助を「色んな色を持ち、滲み出るものがタップリある、夫婦愛、男女の愛、肉親愛、仕事仲間などなど様々な関係の役どころを組める方」と高く評価する こんなふたりがガッチリ組む、面白くない筈が無い
このふたりの共通項を挙げてみると (1)小さい頃から旅回りを体験していること - (2)大阪喜劇の土壌で育ったこと (3)主演、脚本、演出の兼ねることの出来る俳優であること
あらすじ
第一部「電話」
間違い電話から知り合い、奇妙にウマが合いデートを重ねる中年男女の裏哀しい物語
第二部「親買いますか?」
老女が一人住まいの豪邸に空き巣に入り、逆に無情な子供たちをおどろかせるために誘拐してくれと頼まれる泥棒の話
もうこの頃の僕は松竹の仕事が増えこの作品は観ていない
中村朋唯さんこと芦屋凡々さんにお借りした昭和61年南座のパンフレットをみてこんな公演があったことを知った なおこのパンフレットには解説を大阪日日新聞の岡崎文さん(梅田コマ文芸部岡崎公三さんのお姉さん)が担当していてこの一文を書くのにおおいに参考にさせて頂いた 感謝