白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(389) 中国共産党100周年を支えた和製漢語

2021-07-02 09:49:58 | 近況
 白鷺だより(389) 中国共産党100周年を支えた和製漢語

 2021年7月1日 中国共産党100周年記念式典が開かれ周近平が高らかに一党独裁の堅固を宣言した 

 1017年(大正6年)周恩来少年は天津の南開中学で学び終え日本に留学すべく第一高等学校と東京高等師範学校を受験するが日本語の習得不足がたたり失敗した
滑り止めに入った明治大学政経科にいきながら東亜高等予備学校に通っていたが母校の南開学校が大学部を新設するのを知り帰国を決意して神戸港に向かう途中に京都によりかねてから愛読していた「貧乏物語」の作者であり「資本論」の訳者河上肇の京都大学での講義を聴いた 
初めてマルクス主義に触れた感動を「雨中嵐山」なる詩作にぶつけた
帰国後彼は南開大学文学部に入学、ちょうど五・四運動が起こり彼は学生運動のリーダーとなっていく
そしてこの五・四運動に積極的に参加したのが中国共産党の前身である「マルクス主義研究会」である

 そのメンバーを中心として細々と活動していたが、1921年(大正10年)コミンテルンの主導により東京帝国大学に留学していた李漢俊の上海の自宅に毛沢東らが集まり中国共産党第一次全国代表大会を開催、結成したのが100年前中国共産党の始まりである

このあとコミンテルンが孫文の革命を支持したため毛沢東らは全員中国国民党に入って活動をする いわゆる第一次国共合作と云われる
その時ソ連から呼び戻されたのがスパイ教育を受けていた周恩来である

 このように当時の新しい事物、思想を日本人が理解するために作られた漢語が和製漢語である 
これにより日本人や中国人はヨーロッパの新しい思想に触れることが出来たのである 中国語翻訳本をもてなかった中国人留学生は日本語に訳された「資本論」や「空想より科学へ」など当時最先端の思想書を読むことが出来たのである
科学、社会主義、共産主義、国家、左翼、右翼、幹部、階級、唯物論、形而上学、共和国など

中華人民共和国の共和国や中国共産党の共産党は紛れもなく和製漢語と言えよう

さて日本では中国に遅れること一年1922年7月15日堺利彦、山川均、渡辺政之輔、近衛栄蔵らが渋谷の高瀬清の間借り部屋に集まり日本共産党を設立したのが最初と云われ来年が100周年を迎える
果たして今回中国共産党100周年の祝辞を送らなかった日本共産党は今回の中国のように華々しく100周年を迎えられるのであろうか?