傘寿の真保守宣言

素人の政治、スポーツ、社会評論です。
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サッカーW杯を楽しむ(2)

2010-07-03 18:46:45 | 日記
              サッカーW杯戦を楽しむ(2)
 サッカーW杯戦はトーナメント1回戦で惜しくもパラグアイにPK戦で敗れた。29日23時からのナマ中継だったので翌朝2時頃まで興奮しながら観戦した。
 お互いにチャンスを潰しあった互角の戦いだったが素人目にも個人技の点では相手が一歩上と感じた。スピードにも差があったしボールの保持率はパラグアイが60%以上と報じていた。解説者が度々「一度奪ったボールを失わないことが大事なんだが」と不満気に話していたが、力というか技術の差があるので上手くいかないのだからそういう願望は解説にはならないと思う。「見たところ差がありそうだからこれこれこういう戦術で対抗すべきではないか」というような説明があってしかるべきだと感じた。それがプロの解説ではなかろうか。 
 しかし、とにかく前半後半の延長計30分を含め120分の死闘を果たして0対0。お互いに力を出し切ったのではなかろうか。最後のPK戦となり確率の高い駒野が失敗してしまい、敗戦が決まった瞬間に彼は責任を感じて泣き崩れて立ち上がれなかった。すぐに彼を仲間が抱き起こして慰め、岡田監督が近寄って彼の肩を抱きかかえる光景には感動した。試合は決して彼一人の責任ではなく120分戦ったチームの総力が少し足らなかったということだと思うし、それこそあそこまでやった上の敗戦には不運もあったといえよう。
 敗戦直後に岡田監督は「選手に勝たせてやりたかった。私の力不足」と謙虚にコメントした。敗軍の将として当然の発言と分かっていても全くわざとらしくなく爽やかな感じがした。各選手もインタビューに応じていたが全員が南アにきて予選から毎回格上相手との対戦だったが、アウエイで初めて予選突破でベスト16に残れたし、トーナメント第1回戦でPK戦で敗れたとはいえ0対0で頑張れたことで、ベスト8を逃した無念さはあるが一方で「やることはやった。悔いはない。」という達成感が込められていたようだった。さすがに駒野の映像は画面では見られなかった。
 すべてのメディアは大興奮で「よくやった。ありがとう」の賞賛の声一色だったが、確かに選手たちのグランドでの運動量が参加32チームの中で2位だったという高さが示すように選手たちは体格体力の限界まで頑張ったと思うし、技術的にも戦いを重ねるにつれて洗練されてきたように感じられた。カメルーンとの初戦での勝利が気分的にも大きく影響したと思う。
 帰国後チームとしてのインタビューでも岡田監督は「選手たちは日本人の魂を持って戦った。選手たちに誇りを思う。もう一度戦わせたかった。」と選手を労い、殊勲者本田は「後ろで皆が守ってくれたから心おきなく攻められた。しかし正直言って達成感というよりも残念だったと思う。」とホンネをもらしたがそれは選手たちの正直な気持ちだろう。
 南アに渡って一度もグランドに出られなかった選手も何人かいたが彼らは口を揃えてプレーした選手たちのサポートに努力したといっていたし今後もこのチームでもっとやりたいと感動を述べて、待機選手を含めチーム一丸になって団結してきたをことを強調していたが、私たちファンにもよく伝わっていた様に思う。
 関空で敗戦後初めてマイクに持った駒野は「失敗の直後は呆然としたが、仲間がお前一人の責任ではない。上を向け」と慰められ有難かった。5番目のキッカー予定だった闘莉王からは『俺が蹴っても外したかもしれないんだ』と声をかけられた」と落ち着いて話したのには救われた。これらチーム一体になっていたことを示す言動は数多く書きつくせない。出発に成田で見送ったファンが時刻の関係もあってか100人以下だったに対し帰国を凱旋チームとして迎えたファンが4000人という数字はこのW杯大会がいかに国民を喜ばせたかを物語っている。
 しかし冷静にことを観察できる立場にある外国からはイギリスの「各人がポジションをよく守った。」と誉める言葉もあるがフランスのように「日本・パラグアイ戦は退屈な試合だった。」と切り捨てるなど評価はまちまちだった。確かにゴール周りのシュートのスリルは他の試合に比し迫力不足に感じられた。
 日本チームは今回のW杯戦の悔しい経験をバネに更に上を目指して努力するだろうが、サッカーの世界は既に多くの優秀な選手たちが国際舞台で交流している状況で日本も勿論その輪の中の一員として活動している。したがって他国も日本同様に各種の情報を活用してレベルアップを図るのは当然だから、他国以上の知恵を絞ってというか他国と異質の努力をしないとランキングのアップに繋がらないと思う。それには日本人の体質、体力に適した日本的システムを編み出す必要があると思うし、それとやはり個人の技術レベルの向上と選手自身たちが自省している決断の早さの修得がポイントではなかろうか。ともあれ今回のW杯大会で日本の世界ランキングが少しあがるのではなかろうか。ある解説者は半分冗談交じりでベストエイトに残れなかったが失点0なのだから第9位と言っていた。面白い発想とは思うがまあそこまでは無理だろう。
 最後に少し頭を冷やして述べてみる。今回は世界ランキングで劣勢にありしかも大会直前に最悪の戦績、非難轟々の中での大会突入となったが、大方の予想に反して善戦の連続でファンの感動を誘ったし、各メディアは適切な言葉ではないが一斉にヨイショしたので国民は一層明るい爽やかな気分に浸れたことは確かだ。確かに国民に素晴らしい喜びと楽しさを与えたチームの功績は大きいし何の反論もない。しかし冷静に考えると、いかなるスポーツにおいても各選手やチームは程度の差はあるかもしれないが同じような努力をし同じようなチームワークを念頭において頑張っているのではなかろうか。少なくともそういう意識は持っていると思う。しかしその努力にかかわらず力のレベルとか経済的な制約があってなかなか成果が出ないという場合が殆どではなかろうか。スポーツばかりでなく事業の面でも芸術の面でも上位入賞に勝ち残るのは挑戦者の夢であり目標であるが、達成できるのは常に少数派である。
 ブランド的な大選手中村俊輔も20数分グランドに出ただけでW杯は終わり引退を宣言したが不完全燃焼に終わったと思う。他の一度もグランドに出られなかった選手も全員が先述したようにサポートに徹して一致団結したと自らのチームワークを誉め称える。がしかし反面プロとしては必ず悔しさを押し殺しての我慢の一面があったと思う。限られた選手数で戦うスポーツには常に付きまとう問題だがその悔しさがまた待機組み選手のレベルアップのバネになると思うし、それに耐えて乗り切る選手だけが大成していくということがスポーツばかりでなく人生の競争社会の常だと思う。チームの善戦に沸き返る雰囲気の裏には常に隠れる厳しい競争社会の姿があるのだ。メディアは第1線のスター選手ばかりでなく逆境に曝されながらも挫けないで頑張っているグループや個人をもっと掘り起こして巷に紹介する姿勢があってよいと思う。
 前報告(1)の冒頭にメディアは「勝てば官軍」式の報道だと批判めいた書き方をしたが、私自身今回の文章を纏めながらその流れに少しはまった感じがしたので最後に少し頭を冷やした積もりで述べ締めくくりにする。
ジャンル:
スポーツ
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