拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

曲当てクイズ(ある交響曲の第三楽章)

2016-12-23 06:17:51 | 音楽

一応クイズ形式になっていて、ある曲の第三楽章の一部を三回繰り返します。一回目は低弦+ホルンのみ、二回目は第一ヴァイオリンを除いた全部、三回目が正解(第一ヴァイオリンを加えたフル編成)。誰でも知ってるこの曲、でも結構毀誉褒貶が激しい。しかし、あまり好きでない人もこの緩徐楽章は別ではないだろうか(いやいや、舞台で第四楽章を待つ合唱団員の中には(もう答をばらしてるのと同じ)、ここで眠くなる人がいるそうだ。そんな人いるのっ(怒)?信じられない、と話していたら、ここから会話に加わった某さんが「○○○?第三楽章眠くなるのよねぇ」(○の数、漢字なら二つだが、ここは母音の数にした)。でたぁ、じゃなくて、いたぁ、ほんとに)。この音源、作ったのは4年前。FBが「4年前にこんなのアップしてましたよ」って知らせてきた。そうだ、これは音を一個一個入れていくから結構大変な作業だったのだ。まったく暇な話だ(暇じゃないんだけど)。で、そのままリンクボタンを押しちゃうとFBやってない友達は見られない。ので、保存しておいたビデオファイルをユーチューブにアップして、それをブログにリンクさせて、さらにFBがリンクさせたのが今回。4年前は三つ分けてアップしたが、今回はつなげて一つにした。私、この部分(じわじわ盛り上がっていく)の低弦の後打ちの動きが大好きで、それがこれを作ったきっかけ。あっ、それから「こりない私」ってタイトルは、この前に別の曲で似たようなことをやってたから。そっちを先にリヴァイヴァルとも思ったが、時期的にこっちがいいかと。

♪もしも私の顔が青いなら、それは借金取りのせい♪

2016-12-22 14:02:01 | 音楽

問題。もしも私の顔が青いなら、それは何のせいでせう?「それは借金とりのせい」「それは介護疲れのせい」「それはお腹をこわしたせい(賞味期限切れのものばかり食べてるから)」「それは突然変異のせい(青い蛙が各地で見つかる)」。では正解……もなにもないが、リンクさせた曲の正解は「それは恋のせい」。15世紀に活躍したギョーム・デュファイのシャンソン(世俗曲)。デュファイは、この曲のメロディーを使ってミサ曲も書いた。まさに世俗混淆(当時は当たり前だった)。私は、合唱団で歌ったことはないのだが、このシャンソンとミサが学生のときから大好きだった。好んで聴いてたのがデイヴィッド・マンロウの演奏で、まず、シャンソンが歌われてから、(その間、オルガン編曲等を挟んで)ミサが歌われる。軽やかな歌のメロディーがうって変わってながーく伸びた定旋律となって現れる様が魅力的だった。そのマンロウ版、私はCDで買い直したが、ナクソスにもアップル・ミュージックにもないなーと思っていたら(探した方が悪いのかも知れないが)、なんとユーチューブにアップされていた。そっちをリンクしてもよかったのだが、それはいろいろ入ってるので、てっとり早くシャンソンを聴いてもらおうと思ってこっちにした。このチャーミングな曲を聴くたびに思う。今も昔も人間は恋をするんだなぁ、と(当たり前だが)。

親兄妹でもこの違い(でも血液型のせいではないと思う)

2016-12-22 08:14:50 | 日記
母のところに妹が来た。人それぞれ気づくところが違うものだ。妹は、「テーブルの上の小物が埃をかぶって白い」「フロアモップに紙が巻かれてない」「醤油入れがテーブルの上に出っぱなし。もう腐ってる」等々、私の「監督不行届」をなじる。言われてみればたしかに「白い」が、気づけと言われたって無理だ。だって、わが家はもっと「白い」。食事のときお皿から落ちた食べ物はもう食べられない(とか言って、「3秒ルール」と自分を言い聞かせて食べる)。醤油入れは母んとこの何倍も出っぱなし(たしかに、醤油は発酵食品だから冷暗所で保存しなければならないそうだが、でも妹みたいに冷蔵庫に入れるこたぁないだろう。それに外に出したからといって「腐って」はない)。私んとこに比べれば、母んとこは超きれい、整理整頓が行き届いている。うーむ。親兄妹で違うものだ。妹=「整理整頓でぴっかぴか」、母=「整理整頓だが白い」、私=「ごちゃごちゃで白い」。妹は自分と母との違い(ぴっかぴかVS白い)を血液型のせいにした。そういう分析はおかしい。じゃあ、私は説明がつかないではないか(私と妹の血液型は同じ)。それにしても妹がこんなに潔癖症(ではないと自分では言ってるが)だとは知らなかった。私は早く結婚して実家を飛び出した。そこからの期間が親妹と一緒に暮らした期間の倍にならんとしている。その間、ほとんど実家に寄りつかなかった。だから、彼らのことは知らないことばかりだ。

"Du sagest es"の謎(マタイ)

2016-12-21 16:53:54 | 音楽
シュッツを歌う会で歌ってるマタイ受難曲、いっとき進行がとまっていたので、こないだは最後の晩餐あたりからイエス捕縛までをぶあーっと。バッハのと違って、この間、ほぼレチタティーヴォのみ。これをみんなで歌う。物語の進行を共有したいので。で、こういう会話が出てくる。ユダ:「Bin ichs?Rabbi?」((裏切り者って)それは私ですか?先生?)イエス:「Du sagest es.」(その通りだ)。このイエスの返答について、某姐さんから問題提起(ご本人からの強い御申出のため泣く泣く「某姐さん」と表記する)。ここ、英語では「それはお前自身が言ったことだ」になってるという。で、iPadの中の英語ヴァージョンを見る。「You have said it yourself」。ほんとだ。いや、実は、ここ、ルター訳の「Du sagest es」を直訳すると「お前がそれを言った」。これを「その通りだ」と訳すことについてたしかにひっかかるものだがあった。でもそのように訳されてるのが多い。だから、ユダの「『それは私』ですか?」の『』の部分をとらえて「お前が『それは私』と言っている」=「その通りだ」ということなんだろうな、と思っていた。だが、もしかすると、マタイ伝では省略されているもろもろのことがあって、そうしたことがユダの裏切りを表していて、イエスはそのことを言ったのかもしれない(某姐さんはもっといろいろなことを教えて下さったのだが、不肖の弟子の私の理解が追いつかなかった)。ちなみに、最近のドイツ語の訳だと「Du hast es gesagt.」で英語と同じ現在完了形になっている(イタリア語もそうだった)。そう言えば「神々の黄昏」で(話が急に飛ぶが)、ジークフリートを倒したハーゲンに対して、直後に放たれた言葉は「Hagen!Was tust du?」(ハーゲン、何をするのだ?)、その2秒後には「Hagen!Was tatest du?」(ハーゲン、何をしたのだ?)になっている。2秒たっただけで過去の話になる。

カセットで聴くイエスタデイ・ワンス・モア

2016-12-21 10:51:43 | 音楽
母のところに備え付けた「お薬カレンダー」はこれまでのところ威力を十分発揮。毎日薬を届ける必要はなくなったが、ちゃんと飲んでるか見に行く(と言って、実は自分のウォーキングのため。最近は、ジョギングも混ぜている)。で、母のところにCDラジカセがあったことに気がつく。せっかくあるんだからこれで音楽でも聴けばいいのに、と思って母のところにあったCD(ほとんどが日本の曲だが、どういうわけか、ブランデンブルク協奏曲があった)を聴こうと思ったがCD再生部分は壊れてるっぽい。じゃあ、カセットはどうだ。カーペンターズのカセットテープがあったので、再生。おおっ!びっくり!なんて深くていい音だろう。アナログの良さがはっきり感じられる。最近、カセットが復権しているそうだがうなずける。母はこういうのを聴いていればよい。と思い、使い方を指南。「カセットは入れっぱなしにするから、聴きたいときは再生ボタンを押して、止めたくなったら停止ボタンを押して、巻き戻しボタンで巻き戻して、で、また再生ボタンを押せば」「ララララー(ドドレミー)って始まるわけだね」。そう、お分かりですね。第1曲は「イエスタデイ・ワンス・モア」でした。

内野聖陽の家康=しかみ像

2016-12-21 10:16:26 | 音楽
「真田丸」完結。いろんな個性的な役者さんが登場して楽しかったが、私的には、年間MVPには内野聖陽さんの家康に一票。あんなに臆病者で頼りない家康、ドラマで初めて。どっしり構えた肖像画とはほど遠い感じだが、私は「しかみ像」(足を組んで苦虫をかみつぶしてる)を思い出した。この肖像画は、家康が三方原で武田方にボロ負けして逃げ帰ったとき描かせたと言われている(この敗走中、家康は(恐怖のあまり)おもらしをしたと伝えられている)。最終回、幸村の猛攻におそれをなす様など、最後まで「ぶれない」(=歳をとっても臆病者のままの)内野家康だった。その他、最終回の感想。二代将軍(星野源)が反撃を命ずるときの笑顔が、勝利を確信した笑顔というよりも「LIFE」(コント番組)のコントのときの笑顔だった。それから、千姫を敵陣に送り届けた後姿を消した「きり」はどうなったかは描かれてなかったが、「信繁(幸村)様と共に死にまする」なんてありきたりの筋でなくて逆によかった。池波正太郎の「真田太平記」に出てくる女忍者は幸村戦死の後も生き残るが、それを思い出した。因みに、この女忍者はかなり年輩だがものすごく若く見える、という設定。池波正太郎は「そういう人は現実にいるものだ」と書いているが、私もそう思う。私の回りのお姉様方は(お姉様って言うんだから私より年上)みなさんとーってもお若い。

ネギ焼き(のつもり)

2016-12-21 10:04:29 | グルメ

ネギのマイ・ブーム継続中。ネギの青いところに免疫を高める物質がわさわさあるそうだ。で、その部分をふんだんに使う料理の一つが大阪の人が大好きだというネギ焼き。真似して作ってみた。ネギ焼きと言えるかどうかは不明だが結構旨かった。それにしても、一生かかっても消費できないと思っていたお好焼粉(朝ドラの「てっぱん」のとき買い占めた)も、あと一袋を残すのみ。千里の山も一歩かな。

ママさんコーラス

2016-12-20 08:05:02 | 音楽
以前、母のケアマネさんから母についてのレポートを見せてもらった。「本人の希望欄」に「好きな合唱でもやりたい」とか書いてあった。うそだー、母が合唱好きだなんて聞いたことがない。音感のいい人ではあるが。大昔、実家でカルタをしたとき、母は、ラララララー、ラドドドドドラー、ララララソー、(ン)ミミミミミソソ、(ン)ソソソソソソソーと完全な西洋音階で節をつけて詠んでいた。私はそれが当たり前だと思って真似をしてた。で、元旦にテレビで見る歌会始で歌を詠むどこかの「偉い人」がえらく音痴に思えた(「土俵が違う」ということは後で知った)。でも、私の知る限り母は合唱なんてやってない。なぜそういうレポートが作られたか。分かる気がする。以下、私の推測。「何かご趣味は?」「何もありません」「音楽とかお好きですか?」「ええまあ」「合唱とかお好きですか?」「ええまあ」(母はすぐ人に迎合する。あるいは、耳がかなり遠くなってて質問がよく聞こえなかったのかもしれない。それでも迎合して「はい」という姿を何度も見た)。これで「合唱好きな母」ができあがったのだ、と私は思う。因みに、私が合唱をやっている、と母に言ってもよく理解できない。行ってお金をもらうのか?と聞く。逆だ。お金を払って歌わせてもらってるのだ。そのことを理解させるため「ママさんコーラスみたいなもの」と言ったら分かったようだ。それ以降、ママさんコーラスで通してる(カウンターテナーでアルトパートを歌ってるんだから当たらずとも遠からじ?)。多くの面で私は母と正反対だが似てるところがある。いやになったらすぐ「ケツをまくる」ところ。最近、母と会うようになって、あっ、これは母譲りだと気づき反省。最近は母を反面教師にして我慢すべきは我慢しようと心がけている。

カナブンの幼虫君が住みついていた

2016-12-19 10:41:17 | 日記

(承前)泥ネギを挿すべくプランターを掘り返してて出くわした客人は、カナブン(コガネムシ)の幼虫(だと思う)。カブトムシの幼虫と似てるが、あっちはもっと大きいからきっとカナブンだ。よくきた、Willkommen! 起こしてごめんよ、とまた土をかけてほっこりしつつカナブンでぐぐる。そしたら、カナブンの幼虫は害虫で、プランターの中に潜んで植物の根っこをみんな食べてしまうんだと。そういえば、ここにこないだまで植わってた大葉ちゃんが枯れたので抜いてみたらほとんど根っこがなくてすぽっと抜けてしまった。数年前にここで育てた雑草ちゃんに比べるとなんとか弱いものよと思ったが、もしかしたら幼虫君が根っこを食べちゃったのか。しかし、そう聞いたからと言って既に幼虫君にしっかり情が移ってるから成敗する気にはなれない(タントリスという偽名を使ったトリスタンの正体を見抜きながら仇を討てなかったイゾルデのごとし)。仕方がない、こっちのプランターは幼虫君のベッドにするか。

ネギ泥棒

2016-12-19 10:40:40 | 日記

泥ネギ、今度は皆さんから教わった通りプランターに挿す。よしよし、この後、食べるごとに一本ずつ抜いていこう。泥ネギは緑の部分の先まであってよい。「長ネギ」としてきれいな状態で売られてるやつって、緑の部分の大半を切っちゃってるでしょ?なんともったいないこと。その緑の部分の裏側の「ヌル」こそが免疫をたかめる物質の宝庫だそうだ。母に「泥ネギ」って知ってるか?と聞いたら、「あー、畑から直接もってくるやつ」。言い方がよくない。それじゃ、まるでネギ泥棒だ。そしたら「あー、ビニールでまいて売ってるやつ」。そう。すると、なおさら「畑から直接もってくるやつ」はネギ泥棒だ(「泥ネギ」→「ネギ泥」→「ネギ泥棒」……ふむ。もともと「泥ネギ」という言葉自体に「ネギ泥棒」が内包されているか)。さて、泥ネギを挿すべくプランターを掘り返してたら、思わぬ客人に出くわした(続く)。

咽には真似したくない(スクラップ・アンド・ビルド)

2016-12-19 10:38:12 | 音楽
(承前)そのドラマ「スクラップ・アンド・ビルド」では「筋肉は一度ぼろぼろにするとさらに強くなって再生する」ってことも言っていた。それで思い出した。長澤まさみさんは今度始めてのミュージカルに挑戦。真田丸で共演した石田三成(を演じた、えーと、だれだっけ、ぼけてないことの自己確認のため必死に思い出す。ほら、梅ちゃん先生の亭主の……出てこない。もともとあんまり知らない役者さんだったから……あっ、思い出した、山本耕史さんだ)から歌のアドバイスをもらったそうで、その内容が、「声帯も筋肉。筋肉は一度ぼろぼろにするとさらに強くなって再生する。だから、家で布団をかぶって絶叫して一度咽をつぶす。すると強くなって再生する」というもの。思わず、え~~~~っとうなってしまった。長澤まさみさんもそれは実践しなかったそうだ。そう言えば、声のでかさでは当時日本の合唱団で随一だったと思われる某大学のグリークラブ(炎のこばけんにも使ってもらってた)に友人が入って、まさに、その「スクラップ・アンド・ビルド」をやってて声ががらがらになっていた。私は野蛮だなー、と思った。今でも、絶対真似したくない(一度つぶれて元に戻らなかったらどうすんのさ?高見山大五郎さんは、子供の頃はきれいなボーイソプラノだったのが一度声がつぶれてからずーっとハスキーボイスのままだという)。まてよ、合唱の練習の後飲みに行って大騒ぎして声ががらがらになって、でもその後回復して歌ってるって、これ、結果的に「スクラップ・アンド・ビルド」?

お薬カレンダー(頭は使わないとダメになる)

2016-12-19 10:36:58 | 日記

ドラマ「スクラップ・アンド・ビルド」(羽田圭介さん原作)は介護の話で思わず見入る。しょっちゅう「死にたい」と漏らすじいさんの言うことを真に受けた孫が願いをかなえさそうとして使う方法が「目一杯優しく介護をする」こと。頭と筋肉は使わなければどんどんだめになる、だめにしてあげて本懐成就という目論見だ(その後、孫はじいさんの本心(生きたい)を悟って改心するのだが)。考えさせられた。母が薬を多い目に飲んでしまって、それが続いたからといって、少し過保護がすぎたかも。母のためにももう少し自分のおつむを使わせなければ。と思い、「お薬カレンダー」と「日めくり電波時計」を購入。「お薬カレンダー」もいろいろあるが、ネットの評価で、「マチがあって取り出しやすい」とあったのでこれ(写真1枚目)を購入。しかし、今日の曜日が分からなければ意味がない。ということで、日にちと曜日が大きく表示されそうなものをやはりネットで購入。これまで母に使わせていた電波時計は時刻と日付のどちらもデジタル表示だからこんがらがっていたので、デジタル表示は日付と曜日だけ、時刻はアナログ表示なのを選んだ。これが思いのほか大きくて、ってことは日付も見やすくてなかなかのヒット。さて、首尾の程は?今朝、様子を見に行く。あちゃー、昨夜の分を飲み忘れている。しかし、まだ始めたばかりだ。時間をかけて慣れさせよう。

成猫から飼い始めること

2016-12-18 06:59:12 | 
少し前のブログに書いた、真田丸で大倉卿局を演じてる峯村リエさんは、猫と暮らしてるそうで、で、その猫はヴォランティアさんから譲渡を受けた猫で、何匹も子猫を産んだことのあるお母さん猫なのだそうだ。譲渡会で、その猫が峯村さんを見てぷいっとして、で、もらう気になられたそうだ。成猫はなかなか人になつかない。峯村さんはそれを承知で覚悟を決めて飼われたのだろう。1年くらいたった最近、ようやっとお腹を撫でさせた、とおっしゃってた(スタジオパークでこんにちは)。私んとこ、先代の4にゃんは母猫と娘3にゃんだった。私はその母猫(クリという)が死ぬほど好きだった。亡くなってしばらくは「幽霊になって出てきておくれ」と念じていた。今の2にゃん(当時生後2か月)をヴォランティアさんからもらうとき、私の歳を聞かれた。つまり、猫より先に逝かれちゃ困るということだ。私はそのことは百も承知。20歳位まで生きてもらって、そのとき私は70際位だから(多分)大丈夫、で、「もーっと年上だったら子猫はもらいません」と言ったら、ふむ、よく分かっているわい、とうなずきながら「その場合は、成猫とかね」とおっしゃっていた。

中山小学校

2016-12-18 06:58:39 | 言葉
BSのちゃりんこ旅でどこかの廃校の校歌が刻まれてるのを見て思わずわが母校の小学校の校歌を口ずさんでみた。「おーかーのみーどりーに」(ソーソーラソーミドード)「みーわたーすはーらにー」(レーレミーソラーラソ)。「丘の緑」かぁ、学校は少し高いとところにあったっけ。銀杏の木がたくさん植わってた。「見渡す原に」?回りは家がたくさん建ってて野原など見渡せなかったけどなぁ。私が通うずっと前の風景だろうか。「丘」を「おーか」と歌うのはアクセント的に正しいのだろうか?「おかーをこーえー、いこうよー」のように「おかー」の方が丘っぽい気がする。さて、歌い進むうちに記憶があやしくなってきた。ネットにあるかしらん、と思ってぐぐったら、ありゃー。わが母校(中山小学校)は移転したんだと。で、名称を「森の台小学校」に変えたんだと。そんなの聞いてないぞ(当たり前か)。さらにあらびっくり。通ってた中学校も他所に移転し、その跡地に「第二中山小学校」ができて、で、上記のように「中山小学校」が「森の台小学校」になったので、「第二中山小学校」が「中山小学校」になったのだそうだ。まるで合併や名称変更を繰り返した銀行のようだ。すると、現在の「中山小学校」は私の母校ではないわけだ。はてさて、もし今私が小学生だったらどちらに通うことになるのだろう。で、その私の母校の方の(旧)中山小学校だが、移転を望む声が多かったそうだ。そう言えば、校庭がやたらに狭く、体育館もプールもなかった。水泳の授業は中学校まで行っていた。卒業文集には、私を含む多くの生徒が「私たちの母校は体育館もプールもないぼろい学校です」と書いたものだ。で、それに続けて「でも、とてもいい学校です」と書いた。フォローの仕方を心得た子供達だった。

イエスは「du」なのに「あなた」

2016-12-18 06:56:45 | 言葉
あべさんとプーチンさんの共同記者会見を見て思ったこと。あべさんはプーチンさんに対してしきりに「ウラジーミル」「君」と呼びかけていた。ドイツ語でいうところのduzenだ(「Sie」は「あなた」、「du」は「君」。後者は親しい間柄での呼びかけ)。対してプーチンさんはどうか?私はロシア語は「ダー」「ニエット」「ハラショー」「ピロシキ(?)」しか知らないくらいの門外漢だから、ロシア語にドイツ語でいうところの「Sie」と「du」に相当する区別があるのか、あるとしてどういう風に言うのかは皆目知らない。だが、プーチンさんの発言で聞き取れた言葉に「アーベー」があった。「シンゾー」じゃなくて「アーベー」なんだぁ、と思った。私が以前、ドイツ人の先生とメールでやりとりをしてたときのこと。しばらく「Sie」で呼びかけていたが、ぼちぼち「du」でもいいかな、でも相手が女性だったのであまり馴れ馴れしいのもよくないかも、と悩んだ末、意を決して「du」で書いてみた。そしたら「du」で帰ってきた。結構、どきどきした。ところで「du」=「君」と書いたが、カンタータの歌詞などではイエスに対しても「du」を使う。それを日本語に訳すと「あなた」になる。じゃあ、日本語の二人称は「君」「あなた」以外にもいろいろあるがどっちになるのか。「おめー」「てめー」は「du」だろうなぁ。「きさま」はどうか?あまりお上品な言葉でもないような気がするが、漢字だと「貴」と「様」だからダブルでご丁寧だ。じゃあ「Sie」?