拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

中音の演奏会(菱本さんと秋風先生がいて、松戸で一日が終わった話)

2018-05-27 11:47:41 | 音楽
中音(中世音楽合唱団)の演奏会の第三部(世俗曲)は団員が普段着で登場する。昨日は、その中に赤いワンピースを着た方がいらして、咄嗟に菱本さん!と思った私はかなりの重症である(その方は実は私の知人である)。彼女が菱本さんなら皆川先生は秋風先生である。だが、卒寿を過ぎられた皆川先生は、第1部(デュファイ)の後、指揮を代わりの方に託して退席された。退席前、座って指揮をなさることについて申し訳ないというようなことを仰っていたがとんでもない。どうぞ、お楽に、というのが聴衆の心持ちである。カラヤンもベームも80代で指揮するときは座っていた。私はそのいずれも生で体験したことが生涯の自慢である。アンチだった私が生カラヤンを体験して手のひらを返した話はなんども書いたが、ベルリン・フィルのクラリネットのカール・ライスターについても同様であり、レコードで聴く限りあまり好きな音ではなかったのだが、そっくりかえって斜め45度で咥えた楽器から泉のように音が湧き出るのを生体験して、あっという間にファンになった。中音の演奏会に戻る。第1部で歌われたデュファイのミサ(アヴェ・レジナ・チェロールム)を聴いて思ったことをいくつか。その1。デュファイのミサは、各節がドで始まってドで終わる。きわめて「正調」だなと思った。因みにベートーヴェンはドで始まってソで終わる(問いを投げかけて次節につなげる)ことが多い(ドミナント進行と言うんだそうだ)。その2。キリエ以下の各部において、同じ定旋律がテナーで繰り返される。バッハのコラール・カンタータを思い出した(歌いまくる会の次回は第4番。コラール・カンタータの初登場である……としっかり会の宣伝をする私である)。その3。その定旋律にからむソプラノのメロディーはデュファイ節と言われるものだそうで、なるほど、ミサ「ス・ラ・ファセ・パル」にも似たメロディーがあったよな。その4。これはデュファイに限った話ではないが、ミサの通常文に「sub pontio pilato(ポンツィオ・ピラノの下(もと)で)十字架につけられた」という部分がある。これをバカ田大学の某学生(私かもしれない)は、ポンツィオ・ピラト山の麓で十字架に付けられたと思っていた。本当にバカである。そのバカは40年経っても治っておらず、中音の美しい調べにわきたった心をいやすべく仲間と浴びるようにワインを飲んだ私(あっ、言っちゃった)は、千代田線の大手町のホームのベンチに腰を下ろしたのが運の尽き。気がついたら終電が目の前に止まっていた(飲んだら座るな(今回作った標語))。それに乗れて、え?乗れたの?よかったじゃん、って話はここから。空いてる座席に座って(だから、飲んだら座るな)、気がついたら松戸。KMCはもう終わったというのに。高くついた一日であった。

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1 コメント

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Unknown (テラコッタ)
2018-05-30 21:34:42
松戸なら近い方でしょ~(^o^)
昔、姉の会社(田町)で、朝になっても来ない社員がいて、皆でどうした?と話していたら、本人から電話。「すみません、目が覚めたら、雪が降っていたんです。」(爆)
うちの某氏も新婚のころに、新宿から山手線グルグル回った挙句、埼京線の終電に乗り、浦和あたりで気付き、慌てて降りた駅でタクシーに乗って「すみません、ここ、どこですか?」(--;A

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