拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

「嘆き」三題

2021-10-28 09:12:24 | 音楽
その1。「嘆き」と言えば「嘆きの壁」。イスラエルにあってユダヤの民が触れて嘆く壁。もとはヘロデ大王が改修した寺院の城壁だったがローマによって破壊された。その際、あまたの血も流れたろう。ユダヤの民はそれを嘆くのである。だが、ヘロデ大王自身が殺戮者。イエスの誕生を知ってベツレヘムの2歳以下の幼児の皆殺しを命じた張本人こそヘロデ大王。だが、ヘロデ大王が没したのは紀元前4年(イエスが生まれる4何前)。時間が合わない気がする……因みに、ヘロデ大王の幼児虐殺のきっかけは、イエスの様子を見に行かせた東方の三博士が大王のところに寄らずに別の道を通って帰ったことである。学生時代、普段仲良く一緒に帰っていた彼氏又は彼女がある日別の道で独りで帰ったら、それは別れの合図である。その後、成人したイエスに洗礼を施した洗礼者ヨハネを処刑したのもヘロデだが、こっちのヘロデは大王の息子であり、リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」でテナーによってキーキー歌われる役である。因みに、サロメの「7つのベールの踊り」はストリップ。全然脱がない歌手がいるが、本場(ストリップ劇場)だったら「金返せ」の怒号がとぶところだ。
その2。「嘆き」と言えば「嘆きの天使」。ヒロインのマレーネ・ディートリヒは、母国語のドイツ語のほか、英語(彼女は、ナチスを嫌って祖国に戻らなかったから出演作は英語作品ばかり。本作は、ディートリヒのドイツ語を聴ける数少ない作品)やフランス語も話せた。ヴァイオリニストを夢見て音楽学校に行ったこともあるなかなかの才女である。美女で才女とくれば流した浮名も相当数。お相手の中には某有名大統領も含まれた。その大統領との情事は執務室で20分の短時間で行われたという(さすが大統領!仕事が速い)。ところで、「嘆きの天使」と聞くと、谷崎潤一郎の「痴人の愛」を思い出す。どちらもうだつが上がらない中年又は初老の男が若い女にのぼせあがって身を滅ぼす物語。それからもう一つ、漫画「ナニワの金融道」にも、教頭先生がホステスに入れあげて保証人になって身を持ち崩すエピソードがあってそれも思い出す。いくら「人の保証人になってはいけません」と教わったところで、目の前で胸をはだけつつある美女に「ねえ、保証人になってくださらない?」と頼まれたら断るのは至難の業。フェロモンの基がニャジラ(牝)と分かっても飛びかからざるをえない雄猫と同じだ。その前に危ない状況になりそうな現場に近づかないことが肝要。「男女三歳にして席を同じゅうせず」はそういう意味で至言である(とか言って、私はアルトで思いっきり男女席を同じくしている。だが、保証人になったことはない)。因みに、「痴人の愛」の魔性の女の名前は「ナオミ」。私はこの名前を日本固有の名前だと思っていたから、「Naomi」という名のハリウッド女優を見るたびに親が日本贔屓なんだなと思っていたが、もともとはヘブライ語の名前なのだそうだ。名前の話ついで。「ディートリヒ」は男性のファーストネイムが多いが、件の女優さんの場合は名字。そういう例はときどきある。例えば、「ミスフィガロ」という馬がいるが、「フィガロ」は通常は男性のファーストネイムだが、「ミス」の後にくるのは名字だろうから、この「フィガロ」は名字である(仮に、「フィガロ」をファーストネイムと考えると、男性名に「ミス」を付けたことになり、はだはだ不自然である)。
その3。あらま。これが今回のメインの話だったはずなのに、ここまでかなりの分量を書いてしまった。仕方なく手短かに。「嘆き」と言えば「嘆きの歌」。と言うと、マーラーの作品を思い出す人が特にオケ関係者には多いかも知れないが、今はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番の話。そのメロディーは深く人の心の底をえぐる。そして、これに続くフーガには天上の音楽の形容が相応しい。こないだ、ベートーヴェンの晩年のフーガの傑作を当ブログに列挙した中にこの曲を入れそびれたのは大失態。このフーガは、若い頃の私のピアノのレパートリーでもあった。こないだのSの会の反省会でこの曲の話が出たので思い出した。かように、Sの会の反省会では恋バナばかりしているわけではない、ということを言いたかった次第である。