拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ジークフリートは「できちゃった」子か?

2014-05-16 08:41:47 | 音楽
ヴァルキューレについての疑問その2。第1幕が下りてジークムントとジークリンデは合体(釣りバカ日誌か!?)。で、第2幕があいた時にはジークリンデのお腹にジークフリートが宿っているのですが、(ここからが疑問)この子は、「できちゃった子」か?それとも意図して作られた子か?「できちゃった説」の理由:二人はこの後逃亡生活に入る。お腹の子は逃亡の妨げになる。これに対し「子作り説」の理由:歌詞(so bluehe denn, Waelsungen-Blut!)は子作りを匂わせている(この拙訳(意訳):産めよ増やせよ。)。関連した疑問。ジークムントがこれを歌った後の後奏(焼け付くような音楽)は、合体行為を描写したものか?「描写説」の理由:金管とこれにまとわりつく弦の感じがバラの騎士の第1幕への前奏曲(明白な描写)と同じ。「非描写説」の理由:(描写説の理由に対して)バラの騎士では、ホルンがオクタヴィアンで弦がマルシャリンを描写しているが、ヴァルキューレでは金管が描写しているのは剣(ノートゥング)であり、男女のからみになっておらず、バラの騎士と異なる。因みにこの場面、シェロー演出はかなりどぎつく(映画「ブリキの太鼓」の不倫場面を思い起こす。肌は見せませんが)、お子ちゃまには見せづらい(PG-12指定でもおかしくない?)。これに対し、ゲッツ・フリートリヒのトンネル・リング(生で観た)のヴァルキューレ第1幕第3場はメルヒェンの世界。ダダダダダンダンダと大きな音がして「Winterstuerme……」と始まるところ、舞台中央がばーっと開いてお花畑。問題の合体場面は合体せず二人が手をつないで走り去る。なんとも爽やか。この時のジークリンデはユリア・ヴァラディ(フィッシャー・ディースカウの奥さん)。ヴァラディは大きくないから私が相手でも大丈夫(アホー)。