とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

セカイノオワリ

2016-03-30 09:40:36 | 社会
 先週末、幕張メッセに仕事で行きました。仕事の合間にメッセの中のベンチに腰を下ろししばらく休んでいました。たくさんの人がそのそばを通りすぎて行きます。ふと気づくと、不思議な恰好をした人が多い。髪が赤かったり、変な着ぐるみを着ていた李、仮面をつけていたり。仮想パーティでもあるのかなと思っていると、隣の会場で「セカイノオワリ」のライブがあり、多くのファンがグッズを買うために往来していたのです。そのファンが仮装したり、異様な服装をしたりしていたのです。

 ライブなので、そのバンドメンバーの恰好のマネをして集めってくるのはなんの不思議もありません。しかし見ていてちょっと不思議な感覚になってしまったことがあります。そのバンドメンバーの真似をした恰好をした人たちに、若い女子高生、あるいは女子中学生が近づき一緒に写真を撮ってほしいとお願いしているのです。それに気軽に応じ、しばらくお話をしています。とても友好的な雰囲気でほほえましい光景です。ほほえましいのでしが、どこか変。素顔を隠した人たちに若い女の子が近づき、素顔をかくしたまま仲良くなっていく光景は、私のような年代の人間にとってはちょっと怖く感じられたのだと思います。

 このような光景をみながら、ふたつの相反する考えが生まれてきました。ひとつは批判的なものです。

 セカイノオワリというバンドは、一昔前ならば大人たちのバッシングがあったバンドだと思います。グループ名がおかしい。「セカイノオワリ」という名前は世界が終わることを望んでいるようなレッテルに思えてしまいます。調べてみたら違う意味合いだとわかりましたが、調べなければ誤解をうけてしまうような名前は、大人からは嫌われて当然です。

 また仮面をつけ怪奇趣味的な姿であったりするのも、生理的に受け付けない人もいるでしょう。迷彩服風のファッションは戦争をイメージさせます。これはやはりいただけません。

 そして、そのように外見を隠しながら自分の主張を歌い、仮面をかぶったまま友達になるような行動は大人に理解されません。自分の意見ははっきりと自分を名乗り、自分をさらけ出して正々堂々と言うべきだ。そんな価値観の中で我々世代は育ってきたので、どうしても違和感をかんじてしまうのだと思います。

 しかし以上のように感じつつももう一つの考えも生じてきました。これはこれでいいのかなという考えです。子供たちの世界は今、本当に大変です。ちょっと目立てばすぐにイジメの対象になってしまう。自分の意見を堂々と言う人間は変人扱いです。そんななかでは素顔を隠して友達を作っていくほうが安全で心穏やかでいられます。生きていくための知恵なのです。

 私自身こうしてこのブログでは名前を隠して文章を書いています。普段の生活でのストレスから逃れたいからという理由もあります。だから、わたしに彼らを批判する資格はありません。逆に、こうして自分を隠しながら自分を表現することができなければ息がつまりそうな現実に生きているという意味では同類なのです。そしてそういう意味では彼らを理解しなければいけないのかもしれません。

 一方では遠くから離れて見つつ、もう一方では自分を映す鏡のように見えます。そういう意味でセカイノオワリが気になりだしました。なぜ今かれらがこんなに受け入れられているのか、もっと知りたいと思うようになりました。そしてセカイノオワリの今後の活動が私たちに何かを示してくれるのかもしれないと感じてもいます。
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