CRIブログ カノア建設・教育プロジェクト&リンダウバ&ウテさん招聘プロジェクト

①07~08年ブラジル・北東部漁村でのプロジェクト②08年9月、ブラジルから3人の強く生きる女性が日本にやってきました!

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平成28年ゆうちょ助成金カノア修繕 自立支援プロジェクト 始まる

2014年11月26日 11時14分24秒 | カノア文化センター建設 教育プロジェクト
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リンダウバ 2013年

2013年04月01日 23時47分56秒 | 日々
デュッセルドルフにて
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リンダウバについて

2009年04月20日 22時44分09秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘



ブラジルにいた時、仕事から帰って来て「今日も疲れた~!!」って言うと、
「何が『疲れた』よ!!私なんてまだまだ働けるわよ!!疲れたっていうから疲れたような気になるのよ!」
と必ず、リンダウバに怒られました。
彼女は、「怠ける」とか「疲れた」とか「出来ない」って言葉が大嫌いで、そんな言葉を連発する僕はいつも怒られていました。
そんな彼女は、朝から晩まで一生懸命、誰よりも働いて、小さい頃学校に行けなかったから、仕事から帰ってきたらすぐに近くの高校に勉強に通っていました。
学校から帰ってきた後も一人黙々と宿題や勉強をし、次の日も朝早くおきて、仕事に出かけます。

リンダウバは、ブラジルの北東部の貧しい農村部に生まれ育ち、極度の貧しさから逃れるために、資財の全てをバス代に代えて、旦那さんと4人の子どもたちと共に希望を求め、サンパウロにやってきました。
はじめは、ファベーラ(スラム街)に住んでいた彼女も一生懸命働いて、今ではファベーラの外にでっかい家を構え、モンチアズールのボランティア責任者兼台所の責任者としてモンチアズールの名物肝っ玉母さんとして有名です。
彼女の口から「無理」だとか「出来ない」とか弱音を聞いたことはありません。
リンダウバの家にいた約一年間、たくさん怒られたし、叱られたけども、いつも温かい愛情で包まれていました。

そんなリンダウバが今日(9月1日)、日本に着きました!!
ブラジル、モンチ・アズールのリンダウバの家には常に毎年数名の日本人ボランティアが滞在しています。
今まで20年に渡り、たくさんの日本人が彼女の家に滞在し、

その度に日本人ボランティアを本当の息子・娘のように想い、

日本人ボランティアたちは彼女を本当の母親のように想ってきました。
日本と深く繋がったリンダウバ。
ずっっっっと日本に来たがっていました。
長女がドイツで結婚式を挙げるから、それに出席するために初めてパスポートを取った時も「私が初めていく外国は日本だと思っていたのに・・・」とすごく寂しがっていたようです。
リンダウバを日本に呼ぶために、CRIで動き出したのが、もう去年のことだったと思います。
2008年。この記念すべき日本ブラジル交流年にリンダウバを日本に呼べること。
ウテさんの70歳の記念の年に再び、ウテさんを再び日本に呼べること。
すべてが重なっていて、それでも一つの流れの中で起こった必然であると思えてなりません。
今まで、たくさんの日本人ボランティアがウテさんが作り上げたモンチアズールで学び、リンダウバの下で成長してきました。
僕を含め、あの時のボランティアたちが日本に帰った後、今、モンチアズールで植えた種をどう成長させてるのか、そのことを2人に見て欲しいと思っています。

リンダウバに日本をたくさん見て欲しい、感じて欲しい。

僕はブラジルも好きだけど、ブラジルに行った時に思ったもう一つのことは、「やっぱり日本もいいよな」って思った。その日本の国が持つ良さを少しでも感じて欲しいなと思います。

これがブラジルで受けた恩の恩返しの全てだとは思わないけれど、
でも、あの時たくさん迷惑かけて、たくさんお世話になったから・・・。
自分に出来ること、この一ヶ月、リンダウバのために、ウテさんのために、そして自分自身のために最高の一ヶ月に出来ればと思います。

Tsubasa(ASA!).

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9月27日神戸にて  ~震災の記憶に触れて~

2008年10月05日 06時37分20秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
更新が大変遅くなってしまいました。
翼です。
もうタイムリーではないのですが・・・。
リンダウバ、ウテさん、エビーニャは最後まで日本を満喫して、ウテさんとエビーニャはスイスへ講演活動に、リンダウバはブラジルに無事に帰って行きました。

この一ヶ月、本当に濃く、そして楽しかった。
少しずつ振り返っていきたいと思います。

まず、僕が書かなければいけないのは、9月27日(土)の神戸観光のこと。

リンダウバは関西大学での講演会があったため、25日からすでに関西入りをし、永久子さんの家に滞在していました。
ウテさんとエビーニャは26日にすでにスイスに向けて出発していました。

関東組みはリンダウバを追いかける形で、(節約のため)夜行バスにて関西入りし、
永久子さんの家にいるリンダウバと再会しました。
リンダウバはもう永久子さんの家を自分の家みたいにしていました。

この日は、それまで雨続きだった空模様に比べ、嘘のように快晴でとても気持ちのいい日でした。
リンダウバを含め、関西からは俊紀くん、リンダウバと一緒に関西入りしていたリサ、関東からたけし、純子さん、春菜、そして僕、の一行は永久子さんの家のある大阪から神戸へ向かいました。




神戸の鷹取という駅で、リサの友達でその日一日神戸を案内してくれたエドくん、そして、久しぶりに再会したタンザニアが好きすぎて今度タンザニアに二年間仕事で行っちゃう真弓と合流しました。


鷹取に着いて、エドくんの案内で向かったのは、NPO法人「たかとりコミュニティーセンター」というところ。


このたかとりコミュニティーセンターは、1995年に起こった阪神・淡路大震災の後に出来た組織で、地域の在日外国人の人たちのためにFMわぃわぃというラジオを使った情報発信や、子どもたちの母語教室の場、地域交流の場として活動していました。
震災の際、言葉がわからず何も情報が得られず、困った外国籍の方々がたくさん居たそうです。

施設は、最近建て替えられたそうで、日の光が入るとても明るい構造になっていて、言葉では表現できないぐらい素敵なところでした。ここで働く職員の方々は、とても感じのいい方ばかりで、また、外国人の方もボランティアとしてたくさん入っていました。

実は、僕は学生時代にやっていたボランティアサークルの活動でFMわぃわぃとちょっとした繋がりがあって、こんなところで再びまた繋がれるとは思ってもみなかったし、実は、以前から知っている関西ブラジル人コミュニティという団体と「たかとりコミュニティーセンター」も繋がっていて、逆になんで今までここを知らなかったんだろうと思うほどでした。

その施設には、周辺に住むたくさんの外国人の方々が集まり、地域と一体になって活動していました。なんだか話を聞いていて、とてもモンチ・アズールと通じるものがありました。リンダウバも同じようなことを言っていました。

リンダウバは「震災という困難をきっかけに、人々が力を結束させ、このような力が生まれるんだ」ということを言っていました。


施設には、教会が隣接していて、この辺は神戸の長田区といって震災の際、火災による被害が大きかった地域ですが、その家事で唯一残ったキリストの像がありました。



施設を案内してもらった後、なんと急遽、リンダウバと私たちがお昼のFMわぃわぃの番組に生出演することになりました!!!!なんとインターネットを通して全世界に配信されるそうです。これにはリンダウバもドキドキ・・・!!
喋るのはリンダウバとリサだけでいいのに、みんな収録スタジオに入ってしまい、ちょっと迷惑だったと思います。
でも、相変わらずリンダウバは生収録にも関わらず、堂々としていました。



無事にラジオ収録がおわった後は、超低価格でカレーが食べられました。
みんなお腹が空いていたから、これがおいしいのなんの・・・!!

と、その時、このコミュニティでポルトガル語の通訳をしている日系の方が現れました。
なんと、つい3日ぐらい前にブラジルから帰ってきて、そして、なんとモンチ・アズールに訪問したというではありませんか・・・!!しかも、昔に娘さんがモンチ・アズールでボランティアをしていたと・・・!!!


「モンチ・アズールで創始者のウテさんがいなくて、しかも、モンチ・アズールで仕入れたお人形をここで売ろうと思って物品販売の責任者(エビーニャ)にも会えなかったのに、まさか日本に来ていたなんて・・・!!」




なんという偶然なことでしょう!!
改めて人の繋がりの不思議さに驚かされました。
もちろん、リンダウバによってその場で人形を売ることが許可され、モンチ・アズールで作られた人形がこのコミュニティセンターでも売られるそうです。





人の繋がりに大満足した僕たちは、エドくんの案内で阪神・淡路大震災のことが知れる「人と防災未来センター」へ。実は、ここは僕が通っていた高校と目と鼻の先にあったりします。

エドくんはリンダウバにあの震災のことを知って欲しかったようです。
実は、僕も当時、震災の被災者でした。
神戸は、今年神奈川に仕事で移り住んでくる前までずっと住んでいた故郷です。
それほど深くは考えず、僕はただリンダウバに同行する形でこの施設に入っていきました。
恥ずかしながら、震災後もずっと神戸に住んでいながら、ここには来たことがなかった。
でも、14年も経っているし、大丈夫だろうと思って軽い気持ちで入っていきました。

結果、・・・けっこう大丈夫ではなかったです(笑)
震災の再現映像、また再現映画がとてもリアルに流されていました。
目から、耳から、体から、あの時の記憶が呼び覚まされ、掻き乱され、嫌でも当時のことを思い出しました。

ここからはちょっと僕の話になります。
すみません。

1995年1月17日、僕は当時、小学校5年生でした。
朝5時46分頭の上に物がたくさん落ちてきて、目が覚めたと同時に、経験したことのない揺れに身動きが取れませんでした。
揺れがおさまったら母の声がしました。
家の中は、立っている家具が一つもなく、足の踏み場がないほど、床は液体やガラスで散乱していました。
階段は傾いていましたが、何とか這いつくばるように外に出ると、外はもっとひどい事になっていました。家の前の木造の家はぺしゃんこになり、たくさんの人が家の下に埋まっていました。
大人たちは協力して、生き埋めになっている人たちの救出作業をしていました。
まだ子どもだった僕はそれをただ見ているだけしかありませんでした。
そんな時、地震発生から2時間ぐらい経って、3軒隣くらいの家から火の手が上がりました。
倒れた家で道はふさがれ、消防車は入ってこれず、なんとか出たホースの水も焼け石に水。
とうとう隣の家まで火が回ってきた時、僕たち家族は家を諦め、家の中から最低限生きていくのに必要なものを取り出しに行きました。
あの時の炎の熱さ。今でも忘れません。
お金、通帳、服が何着か、毛布、自転車、そしてなんとか見つかった車の鍵。
他に持ち出したい大切にしていたものはたくさんあったけど、火の手はもうすぐそこまで来ていて時間がなく、諦めました。

寸前で逃げ出し、新築たった一年の家が徐々に焼けていくのをただ呆然と立ち尽くし、見ていました。
僕はその時子ども心に「バチが当たったんだ」と思っていました。
人間が自然を犠牲にして快適すぎる生活を送って好き勝手やっているから、神様が人間を懲らしめているんだと。

地震の後、発生した火の手は全てを燃やし、やっと火が消えた後は、家の周りは一面焼け野原になっていました。
僕は、自分と家族の命以外、全てを失いました。

その日は正月の連休が明けた日で、学校が大好きだった僕は、明日も学校で友だちと会えるとワクワクしながら眠って目覚めた朝の出来事でした。
明日もきっといつも通りの日常がやってくると信じて疑わなかった。
けれど、突然それはやってきてこっちの事情も何も考えず、全てを奪っていきました。
そんな経験でした。


震災記念館で震災で無くなった神戸の人々の名前の中に、知っている名前がありました。きっと生きたかったのだろうと、何とも言えないやるせない気持ちになりました。僕は今でもこうして生きているのに。

あの時、6千人もの人が亡くなって、前の家に住んでいた友だちのお姉ちゃんや、学校の同級生。たくさんの人が亡くなって。
あの時、自分も死んでもいてもおかしくなかった。なのに、なぜ生き残ったのか。
自分には何か生きる意味のようなものがあるのではないかと感じながら生きてきました。
大学生になって、気がつけば海外の家を持たない人たちに家を建てるというボランティア活動に没頭するようになり、国際協力、海外ボランティアに興味を持ち、巡り巡ってモンチ・アズールを知りました。


震災の僕の記憶をこのブログに書くことは適していないかもしれないけれど、
たかとりコミュニティーセンターで未だ震災の事を忘れずに外国籍の人々のために懸命に働く職員の方々の想いや、震災記念館で震災のことを決して忘れないように人々に伝えようとしている語り部の方々の姿に触れて、自分が恥ずかしくなったし、どこかで伝えなければならない気がしました。


その帰り道、久しぶりに帰ってきた故郷の町並みと、震災の頃の記憶がよみがえり、何とも言えない気持ちになりました。自分が恥ずかしく、惨めに思えました。
そんな時、リンダウバは何も言わず、ただ黙って僕の隣を歩いてくれました。
それがとても温かかった。そして、隣に誰かが居てくれることが嬉しかったのです。


私たちの命は常に誰かの命の上に成り立っていて、こうしている今も、この日本や世界中で困難や苦しみに直面している人たちがたくさんいる。生きたくても生きれない人々がたくさんいる世の中で、だからこそ、今を生きている僕たちは精一杯生きていかなければならないんだと思います。



翌日28日には、神戸の震災孤児のために作られて神戸あしながレインボーハウスにて、リンダウバの講演会がありました。

僕は何回かリンダウバの講演会には参加しましたが、リンダウバはいつも自分のライフヒストリーを繰り返し語っていました。
「パライーバの北東での極貧の生活は、食べるものがなくて本当に苦しかった。父が泣いている姿を何度も見た。1日のうちに1度しか食事は取れず、たとえネズミが入ったものでも食べた。」「長男のジョアンが事故で死にそうになって必死の思いでサンパウロまでやってきた。」「サンパウロのファベーラでやっと手にいれた家が何度も何度も大雨の洪水で流されてしまった。」「でも、流された残骸や瓦礫を集めてまた家を何度も建てた。」



リンダウバは彼女の人生で何度もたくさんのものを失ってきました。でも、決して未来への希望を失わなかった。諦めようとしなかった。
リンダウバは言います。「困難があったからこそ、それを乗り越えて強くなってきた。乗り越えられない困難など一つもない。不可能な事なんて一つもない。もし、不可能なことがあるとすればそれを決めるのは自分の心よ。」と。

そして、講演会の最後にリンダウバは必ず言っていました。
「あなたたちに伝えたいことは、闘い続けなさいということ。闘うことをやめてはいけない。何でもマイナスに考えるのではなく、前向きに考えて生きることが大切です。諦めなければ、あなたたちが願うものは何だって叶うのだから。」
リンダウバの言葉は深く、胸に残ります。

リンダウバはブラジルにいる間もいつも同じことを言っていました。
「一番ダメなことはプレギッサ(怠惰)なことだ」って。
いつでも僕はリンダウバにそうやって怒られているような気がします。
人間やろうと思えば何でもできる。それが叶わないのは、出来ないからではなく、やらないだけ。

日本行きをずっと夢見て願っていたリンダウバ。
彼女の願いは、僕たちモンチ・アズール日本人ボランティアを再び集結させ、結束させ、見事に実現させてしまいました。
この事実だけでも、リンダウバの言葉は説得力たっぷりです。
日本行きを実現させて、再び彼女の力強いメッセージを僕たちに伝えてくれました。
僕たちがこのメッセージをどう受け止めるかはやっぱり僕たち次第のようです。


でも、僕は思います。
この一ヶ月、リンダウバ、ウテさん、エビーニャと再会できて本当によかった。
三人にも喜んでもらえて本当によかった。
それと同じくらい、世代が違うけれどモンチ・アズールの同じ元ボランティアの仲間たちと一緒に何かが出来て、時間を共有できて、本当に楽しかった。
リンダウバたちと過ごした楽しい時間、モンチ・アズールにいた時のような刺激的な経験、そして、元ボランティアメンバーたちとの繋がり。これらはやっぱりリンダウバのたった一つの願いがもたらしてくれたもの。
やっぱりリンダウバってすごい!!!

この一ヶ月、
いや、準備を含めると、この半年間で得たものを僕はこれからも大切にしようと思っています。


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第2部 『ウテ・リンダウバ9月8日~10日の名古屋訪問記』

2008年09月26日 03時32分35秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
文 しもちゃん(下郷 けい子)とまっさ
9月8日私(マッサ)は朝5時半に定者さんに駅まで送ってもらい、芸備線ヂーゼル機関車に乗りました。
私は青春18切符で移動のためウテさん・リンダウバを定者さん家族に託して半日先に出発です。

名古屋に午後3時半に着き、同時にウテさんたちが新幹線で到着、大輔さん、エビーニャも同時刻にばらばらの方角から到着してみんなうまく合流できました。

そこから山里保育園の車で園に向かい夕方6時半から大輔さんの通訳でウテさんの講演。リンダウバ・エビーニャもそれぞれ聴衆に向けて話しました。
ウテさんの講演は毎回、話の導入に使用する例が新しく聞く度に物事を捉える深さ、独自の哲学の説得力の強さを感じます。

滞在先は山里保育園が用意してくれたホテル。今回の講演で唯一のホテル滞在にリンダウバとエビーニャは子供のように大喜び。
「シッキ、シッキ(高級とか、かっこいいとか言う意味)」と連発してベッドに身体を投げて大喜びしていました。
隣室の私たちの部屋に何度も電話してきてまるで中学生の修学旅行のようです。
翌日9月9日、朝食を食べて大輔さんは大学の授業のため神奈川へ戻り、ウテ・リンダウバ・エビーニャ一行は
ロビーに迎えてきた下ちゃんの車で彼女の働く総合福祉施設へ見学に向かいました。
最初の施設では驚いたことは重度の障害者の方たちがTシャツの作成やデザイン・販売ポスターを障害者たちそれぞれの方法で行っていることでした。


口でコンピューターを操作したり、寝そべった状態でコンピューターを駆使してティーシャツのデザインをしていました。
ウテさんもこの施設での障害者の人々に可能性の追求と人間としての尊厳を尊重した活動に感激して、
見学が終わるとき案内してくれた責任者の男性にモンチアズールから持ってきた折り紙でできた大きな細工品をプレゼントしました。
そしてその案内してくれた男性に
「私は18年前にここで講演をしてからいつもこの施設で受けた印象を忘れたことがありません。ここで受けた印象はいつもモンチアズールの活動を考えるときに大きな影響を与えてきた。私たちはブラジルという遠くの地で活動しているがあなた達の活動を忘れることなく活動していきます。
そしてお互いに社会がよくなっていくようにがんばっていきましょう。
この折り紙のオブジェは私たちモンチアズールの職員の1人、食堂に働くエジソンが心を込めて作ったものです。
私たちの団体との友情の印、社会を良くしていくための戦いのシンボルとしてプレゼントします」。
プレゼントを受け取った50代の男性の目がうっすら潤んでいました。

そのあと下ちゃんが働く施設へ。
そこはまさしく18年前にウテさんが施設の住人さん(障害を持つためにそこで暮らして自立支援を受けている人々のこと)にむけて講演をしたところでした。
そこで昼食を頂きました。

昼食後、下ちゃんの働く施設を出て老人保健センターを、訪問しました。
施設は明るい色の木材を多用した建物で天井が高く、明かりが沢山入るまだ出来て間もない施設でした。
それとともに案内してくれた40代後半の人が建物に似合うようにとてもさわやかな人でした。
あまりにさわやかなためウテさんとリンダウバは個人的な質問と断って彼の職歴やここで働くことになった経緯をわざわざ尋ねるほどでした。
最後にその方はさわやかに「この施設は資金難なんですよ」ともおっしゃっていました。

・下ちゃんの文章

 次の知的障害者の施設では、音楽療法のプログラムが、始まっていました。
・・・・と、リンダウバは踊りだし、さりげなく溶け込んでいました。
住人さんもそんな彼女の踊りを、嬉しそうに見ていました。
裏の昔つくりの家では、織物を織っている住人さんもいて、そちらも見学させて頂きました。
裂き織り、結び織り等、1人1人にあった織り方で、仕上がった織物は、ボランティアさんが、
スリッパや服などに仕上げてくれていました。そのスリッパを記念にプレゼントしてくれました。 
 最後に、昼食を頂いた療護施設に戻り、見学させて頂きました。
 ウテさんは、どの施設に行っても、案内した人に、職員の働く姿勢を称え激励していました。
・又マッサの文章にもどる

下ちゃんの働く施設には一番最後に訪問しました。重度障害を持った住人さんたちが暮らす施設。
ここにウテさんは19年前に日本に来たときに講演したそうだ。その19年前、ウテさんはこの講演にどんな反応が出るのだろう不安があったそうです。しかし講演が終了して質疑応答の時間になると沢山の質問が飛び出したそうです。そしてその質問内容もとても深いものが沢山あったと私に言っていました。

住民さんの生活を案内してくれた青年もさることながらそこで働く職員の年齢がとても若いことも私たちの印象に深く残りました。ウテさんもリンダウバも彼らの笑顔を持った働きに深く感心していました。

そこの施設は入り口を入るとその先に住民さんたちが食事や交流を深める大きな吹き抜けのホールになる。広さにしてバレーボールコート一面が取れるほどです。
19年前にウテさんが講演を行ったのもそこで、その講演がきっかけで下ちゃんはその後数年悩んだ末に一大決心のもと施設を退職してモンチアズールに行ったそうです。ホールは私が行ったときちょうど昼食でした。
正直な話、私にはそこが野戦病院に見えました。もしこの言葉が失礼に聞こえたら素直に謝ります。でも私にはそう見えました。あまりに激しい様子に見えたのです。
何十人もの住人さんが今まで私が見たことの無いような状態で食事を摂っていました。ベッドから半分身体をはみ出しながら職員の若者の介助を受けて食事していました。フロアに特別なかっこで寝そべって食事している住人さんもいました。始めてみるその様子に私にはショックであした。この豊かな時代といわれている日本の中で沢山の人がいろいろな形で自分の人生と戦っていました。
そしてその姿は日常社会の中ではあまり目にすることが無い。私たちの認識が足らないから社会の中で見ることができないのか、隠蔽されてしまっているのか。
そんなことを考えさせられる場所でした。
そしてそこで介助する若者達がじつにいいふんいきでしごとしていた。それはモンチアズールのボランティアを見ているような感じだでした。
今日下ちゃんに提案したのですが、一度モンチアズールのメンバーで見学、
そしてその若者と交流会の場を下ちゃんに作ってもらえたらと思っています。

下ちゃんの文章に戻る
 
夜は、秋刀魚パーティー!!
買い物をしながら、家に戻りました。
軽くつまみ食いをして、ゴロゴロ・・・・・
リンダウバとエビーニャは、犬の散歩に出かけてくれました。
近所の学生をはじめ、いろいろな友人が15人ほど集まり、パーティー開始です。
ウテさんと、話をする人達の輪が1つできました。
どう話したらいいのか分からない人の中に、リンダウバとエビーニャが入ってくれ、
ポル語の歌を教えてくれていました。
リンダウバが、アルバムを見せてくれ、身振り手振りで話もしてくれました。
それぞれが、帰り始め、ウテさんが休まれ、終わったのは12時半でした。
話は、尽きず。素敵なひと時を、過ごすことができました。
感謝でいっぱいです。

まっさの文章

この秋刀魚パーティーでのウテさんの周りにできた輪の若者は昼間見学に行った施設の職員でした。
年齢は23~30歳ぐらいの若者でした。
最初何気ない質問から始まったこの座談会がそれは丸で大学での講義以上に中身の濃い熱いものでした。
この下ちゃんの同僚の若者達がとても印象的だったことはリンダウバやウテさんからの感想からもうかがえます。
曰く「大変な職業なのに沢山の若者が働き、そしてみんなさわやかな笑顔で働いているね」
ウテさんはここの見学が終わったときもモンチアズール職員のエジソンが作った折り紙の大きなボールオブジェをあげていた。
やはり職員のさわやかさに感動したからだと思います。



施設職員の若者達は特にシュタイナー等の精神世界を学んだり経験したりしたわけでもないのウテさんの話す精神世界の話を食い入るように聞いていました。
「障害者の一人ひとりの中にある、人間としての尊厳を大切にしてください。その中には日々の成長への希望と喜びが一人ひとりの中にあることでしょう。
それを見ることができたら、あなた達の心の栄養になるのです。それは障害を持っていない人々が成長するのとは違うなかなか目に見えない形で存在することでしょう。
それを良く観察して感じること、見えるようになることが大切です」
若者達は大きくうなずいていた。

その横で言葉も通じないのに完全にリンダウバのペースに載っているもう1つの輪があった。
「♪オレ・オレ・ヘンデーラ・・・・・♪・・・」


熱い夜は更けていく・・・

-しもちゃんの文章-
名古屋3日目

 6時起床
のんびりと過ごし、リンダウバは、散歩に出かけました。
まったりと朝食を食べ、みんな、昨日のかたずけを、手伝ってくれました。
母が、抹茶を点ててくれくれ、飲み方も教えてくれました。
マサとエビーニャは、10時ごろ鈍行で小田原に、出発しました。

ウテさんとリンダウバには、ちょっと素敵な和食の店で、
大学生を通訳(英語)に、母と、施設の創設者である皿井さんを交え 、
昼食会を、催しました。
皿井さんは、1人の障害を持った、子供と出会い、45年間障害を持った人達と、歩んできました。
ウテさんからの質問に答えながら、時間が過ぎていきました。
19年前にウテさんが、のぞみの家を訪れたことは、
ウテさんにとっても、考えふかいものがあったことを、知りました。
天ぷらを、たくさん食べたリンダウバは、さすがに後半の料理に手が出なくて、
ヒロ(リンダウバのなかで、3人目ヒロのとなった、大学生)に、食べてもらっていました。
 
お店を後にして、豊橋まで2人を送り、新幹線で、小田原に向かっていきました。

最後にマッサの感想

若者としもちゃん、本当にすばらしい人々でした。とても楽しかった。
ウテさん・リンダウバ・エビーニャも楽しい名古屋のときを過ごしたと思う。
下ちゃんありがとう。そして私たちと彼らの交流の場・施設見学の機会をお願いします。
ウテさんが19年間頭から離れなかった思い出の施設です。何か大切なものがそこにはありました。
皆さん見学に行きましょう!


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東京観光 by JIN

2008年09月24日 01時02分21秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
 20日の土曜日はエビーニャ、リンダウバは東京観光をしました。
前日は台風でどうなるか心配でしたが、リンダウバの竹墨のおまじないのおかげか見事に晴れました。
 
 お昼頃恵比寿にみんな集合し、ヒロの奥さんが働いているblooomというブティックへ向かいます。モンチの人形を置いてもらえるように交渉するためです。
 エビーニャが人形の意味を詳しく説明し、リサが訳します。小一時間位だったでしょうか。その間リンダウバは彼女から見た日本とドイツブラジル社会の違いを話していました
 「日本人はお金のある人も無い人もみんな電車やバスに乗っているのがいい。
  ブラジルの金持ちはバスや電車は使わないんだ。」 
 「日本人の会社員はみんなスーツを着ているのが不思議だ。」
 「ドイツではある商品をみんなが買うと、その商品の値段が下がる。
  だから安くなるまで待って買えばいい。
  ブラジルではよく売れる商品の値段は高くなる。」
 このドイツの話はヒロもゆうきも私も頭をひねりましたが。

 その後、青山通りや表参道を通って明治神宮へ。リンダウバとエビーニャは道ゆく人々やお店を見て“chique!chique!”の連続。
 途中見知らぬおじさんが「元気なおばちゃんだ!」といいながらリンダウバに近づいてきて、彼女も「日本の私の彼氏よ!」といいながらツーショット。
 明治神宮到着。暑いアスファルトの上から涼しい森の中へ。蚊にさされながらのんびり休憩。時間が遅かったので参拝場所までは行かず。日本人参加者のほとんどが明治神宮に入るのは初めて。そういえば観光客の半分以上が外国人だったかも。
 
 夜はブラジリアンバーPLAZA11でお食事とライブ。フェジョンを食べたらリンダウバは一言「まずい!」 ちみんさんの歌声はとても心地よい空間を作ってくれました。素敵な歌を素敵な仲間と聞いているうちに体や心のいろんなものが溶けて涙となって流れていきました。私がモンチ・アズ-ルに出会い、ペケノー・でプリンシペで働けたのは偶然の出会いの重なりです。誰か一人でも欠けていたらブラジルやモンチを知らないままボリビアへ直行していました。人生って不思議だねえ。出会いって大事だねえ。
 
 始めは上野・浅草観光の予定でしたがこんな流れで土曜日の東京観光は終了しました。日曜日の江ノ島、鎌倉観光はどうでしたか。そして23日の講演会どうでしたか。みなさん教えてくださいね。

 BY JIN
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冒険あそび場訪問 (by JIN)

2008年09月19日 01時07分22秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
 リンダウバ、エビーニャ、まっさが草加市にある冒険松原あそび場を訪問してくれました。天気は何とかもちました。
 
 冒険あそび場とは「子どもが自分の責任で自由に遊ぶ」ことをモットーにしているあそび場です。自分の住む地域に冒険あそび場がほしい!と強く願う市民と行政の協力によって運営されています。

 ウテさんの子どもに対する捉え方と冒険あそび場を運営する人々の考えは共通するものがあります。
 子どもにとって遊びは大事である。
 子ども時代をのびのびと生きていける環境が必要である。
 そういったことです。
 ウテさんに会えるのを楽しみにしてきた方もいて、彼女が来られなかったのは残念でしたが、みんなブラジルの現状や市民活動の話を興味深く聞いていました。

 日本で市民活動をする人々にとって、モンチ・アズ-ルで働く職員に給料が支払われていることは驚きだったようです。日本でももっともっとNPOやNGOで働く人や組織を運営する人々の生活が保障されるべきだと言っていました。

 今日は「どんぐりこ」という乳幼児と保護者を対象にしたイベントでカレー作りと水遊びをしました。リンダウバは子どもを見るとすぐに駆け寄って愛撫します。子どものほ うは突然のことできょとんとしていました。
 
 リンダウバとエビーニャにカレー作りを一緒にするか尋ねたら、あっさり断られました。日本では料理をしないと決めているんですかね。
 草加煎餅の生地を焚き火で焼こうと提案したら、「もう焼けている煎餅がいい」 面倒なことは嫌いなんですかね。

 運営さんたちからハンモックを一緒に編もうと誘われたら、リンダウバは3回教えただけですぐに編み方をマスターして驚かれていました。
それだけではなく彼女はハンモック用のロープを使って公園にある馬の銅像に手綱をつ けてしまいました。
パライバに住んでいたときたくさんの馬を飼っていたから手綱を作るのはちょちょいの ちょいだそうです。
 
 二人ともカレーをおいしいおいしいと喜んで食べ、あそび場に来たことを喜んでいました。あ~よかった。

   
 
  
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あしがら山キャンプ2 (by Tsubasa)

2008年09月18日 02時48分33秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
報告が遅くなりました。
マルシカルチャーキャンプ@足柄山、無事に終わりました。

「ブログ、みんなで書こう!」と呼びかけつつも、何も書けずに今日まで来てしまったのは、
あの三日間の怒涛のような素晴らしい時間から現実に引き戻され、心が半分まだ放心状態であること。また正直、まだキャンプのことが自分の中で消化不良で何から書いていいか全く見当がつかないこと。色々あって書けませんでした。



このキャンプの案が出た当初、正直「150人も一緒にキャンプするなんて無理!」なんて思っていました。いや、実を言うとキャンプの1週間前までそう思っていたかも・・・。
でも、大輔さんの「なんとかなる!」勢いに押されて、蓋を開けてみれば、参加者170名!!
しかも、日本だけじゃなく、ブラジルを始めとする様々な国にルーツを持つ人々が集まりました。



何とかなるものですね。
というか、このキャンプ、大体のスケジュールは組まれていたけど、そんなにきっちりきっちり1分1秒まで綿密に計画されていたわけではなく、けっこうアバウトな感じで、予定変更あり、3日間かなり臨機応変に進みました。
そりゃ170名も、しかも色んな国から、しかもしかもブラジル人がたくさんいるんだから、そうしなきゃやってけない!!

そのせいでスタッフは色々その場その場で判断して対応しなければならず、その度に参加者の皆さんには迷惑かけたけど、そのことを謝ると群馬のICSの人たちなんて「いいわよ!私たちこういうのには慣れてるんだから!」と笑って言われたほどです!!



終始、そんな感じのキャンプでしたが、でも、これが奇跡的に3日間なんだかうまくいったんです!
何でうまくいったのかよくわからないけれど、3日間みんなが心から楽しめて、とても温かい空気が流れ、のんびりした、でも、時にとても刺激的でダイナミックなキャンプでした。
昼は子どもたちは遊び中心、大人はワークショップやプレゼン中心に進み、夜は夜が更けるまで国を超えたドンチャン騒ぎ。

そして、そのドンチャン騒ぎの渦中にはいつもリンダウバがいました。
とにかく、リンダウバはこのキャンプ、寝ませんでした。
もったいなくて寝てられないって感じでした。
スタッフたちがMTをしてると「寂しいから一人にしないで!!」と乱入してきたり、
あっちでみんなが踊っていると聞くと、一人すっとんで行って数分後には遠くからリンダウバの歌声と大勢の大きな笑い声が聞こえて来る程でした。


僕が朝、リンダウバに「昨日は何時に寝たの?」って聞くと、
すかさず、「cala boca!!(だまらっしゃい!)」って怒られちゃいました。でも、リンダウバに「cala boca!!」って言われると何だか嬉しいんですよね。

永久子さんがこのブログでリンダウバはまるで女子高生みたいだって言ってたけど、まさにその通りでした。
僕は、約2年半ぶりぐらいにリンダウバに会ったけど、彼女は何にも変わっていなかった。いつものリンダウバ、どこに居てもリンダウバはリンダウバで、日本だろうとブラジルだろうと関係ない。


それでも、ブラジルにいる時にこんなリンダウバは見たことない!!ってくらいに幸せそうでした。


本当に日本に来れて楽しくて仕方ないんだな、幸せなんだなっていうのが体全体から溢れていて、リンダウバはキャンプ中何回も僕たちに「呼んでくれて本当にありがとう!私今、とっても幸せよ!!」と言っていたけど、そんなこと口に出さなくてもリンダウバを見ていれば十分にその気持ちは伝わってきました。
そんなリンダウバを見ているだけで、こっちまでとっても幸せで、今回ほんっっっとに呼んでよかったなって心の底から思いました。

僕は小学校教師という職業柄、キャンプ中には子どもたちのプログラムに参加することが多く、子どもたちの面倒を見ているうちに、自分のことを「先生は・・・」って何度も言いそうになりました。
でも、子どもたちを見ていて思ったことは、日本人もブラジル人も入り乱れて遊んでいて、子どもたちの間に言葉や国籍は関係ないなって何度も思いました。
人はいつから自分の国籍はどこで、自分は何人(なにじん)で、だから、あっちの国の人たちとは違うんだって線を引いちゃうんでしょうか?
この子どもたちがこの感覚のまま、この空間のまま大きくなっていったらきっと世界は今より少し平和になるのだろうか。










今回のキャンプで多文化共生などについてたくさん議論したし、考えたけど、子どもたちはそんなこと教えなくても理屈ではなく、感覚でわかっているんじゃないか、なんて思ってしまいます。
本来、人は憎しみや欲ではなく、彼らのように純粋な愛情で手を取り合えるはずなのに。
ウテさんが「子ども時代を守ろう!」と常に社会に訴えかけている意味、こういうことなんじゃないのかなって。



ウテさんは相変わらず、穏やかだけど強い意志を感じる空気を持った人でした。
僕は、ビオダンサも、子どもたちの部屋一面の絵も、ICSのプレゼンも、キャンプファイヤーも、夜のドンチャン騒ぎも、シュハスコも、どれもとっても良かったけど、

でも、このキャンプの中で一番濃い時間だったなって思ったのは、モンチ・アズールのプレゼンとCRIのリサを中心とした多ルーツの人たちのお話。

実はCRIのリサのプレゼンなんて、大輔さんもマサさんも直前まで何も考えてなかったっていうのは裏側の話で、あれは本当に全員アドリブで偶然の産物だなんてことはここだけの話なんですが、それでも、色んな人の話が自然に繋がって、このキャンプの持つ意味があの時間に集約されていたように思います。詳しい内容はここではちょっと書ききれないんですけど・・・。





キャンプの最後には、たくさんの参加者が「本当に来て良かった!」「来年もまたぜひやって欲しい!」「次も呼んで欲しい!」と言ってくれました。中には感動して泣いている人もいました。

難しいこととっぱらって言うと、ただ「色んな人が集まって一緒に何かをするってこんなにも楽しい!!」の一言です。




僕はモンチ・アズールでボランティアが終わろうとしていた時、最後にウテさんに言ってもらった一言をずっと忘れられずにいます。それは、

「あなたたち外国人ボランティアにとって一番大切なことは、ここで行った仕事よりも、ここで培ったものをあなたたちの国に帰ってからもしっかり育てて、いつかそこからなにか別の形でも芽を出すことなのですよ。それこそが皆さんの使命なのです。」




僕は日本に帰って来てからもそのことばかりを考えていました。
ウテさんはモンチ・アズールを通して、世界中に平和の種を蒔いています。
きっと今回のキャンプもウテさんが蒔いた種の一つが芽となって出たんだろうなってそんな気がしてなりません。

今回のリンダウバやウテさん、エビーニャが日本に来たことだってその一つ。
それによって、たくさんの日本の人が三人に触れ各地で感動を覚えていることだって、モンチ・アズールのボランティアたちが再集結してることだって、そこから新しい人と人との出会いが起きていることだって、すべては連鎖し、繋がっている。


キャンプが終わり、リンダウバ・ウテさん・エビーニャの旅も後半戦です。
いよいよあと半月。
自分の時間が許す限り、自分に出来ることをしたいなと思っています。


Tsubasa


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あしがら山キャンプ(by HIRO)

2008年09月17日 10時53分44秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
いよいよ待ちに待ったあしがら山キャンプ。申し訳ないことに写真もなく、ポル語もできないので日本語による文章だけで報告とします。皆さんどんどん書き込みましょう!

僕は12日の深夜に僕の働く武蔵野美術大学の学生3人と一緒にあしがら山に入りました。早く入ったのは、13日の午後から始まるアートワークショップの手伝いのためです。
13日は朝から準備。壁や天井を全てシートで覆い、その上に紙を貼り、部屋全部が巨大キャンバスに変身しました。
昼頃には続々と参加者が集まってきました。一体ここはどこなんだろうと思わずにはいられない程、多種多様な人々。まるでモンチ・アズールにいるようです。そんな中昼食のお弁当を食べてから、世界の挨拶、自己紹介を経て午後のワークショップに突入です。

子ども達を対象にしたアートワークショップのリーダーは東海大学学生のタマちゃん。彼女はその小さな体に似合わずとても情熱的で、必死に取り組んでいました。今時中々出会えない程のアーティストです。彼女の用意したワークショップは、まず自分を友達に「型」を絵の具でトレースしてもらい、壁に写し取られた「自分」に好きに絵を描くというもの。ちょっと変わった、でも分かりやすい自己表現を体験できるワークショップです。
いざワークショップが始まってみると、想像以上の白熱ぶり。壁中絵を描けるという開放感なのか、友達をトレースする面白さなのか、絵の具が大量にあることへの興奮なのかは分かりませんが、とにかく大熱狂。参加した子ども達の国籍、肌の色はバラバラ。でも全く関係ありませんでした。皆存分に楽しんでいただけでなく、実際絵の具が部屋中、体中に飛び散り、もはやカオス状態になっていたからです。そして気づくと、遊びの天才である子ども達はある発見をしていました。それは床を覆っているシートの上に絵の具を大量にまき散らすこと。そうするとシートのツルツルと、絵の具のぬめりで何ともいえない不思議な感覚が創出されるのです。これに子ども達(大人達も)大ハマり!全員が絵の具を床に、壁にまき散らし、辺り一面泥水のようになっていました。
ブルーシートや白い紙で覆っていた床は、もはや一体そこが何色であったかなど分かるはずもなく、ただただ、絵の具の海へと変貌していました。

子ども達が絵の具の海に溺れている間、大人達は隣の部屋でビオダンサを楽しんでいました。こちらも相当素晴らしかったようで、皆大量の汗をかきながら笑顔で踊っていました。

13日の夜は群馬インターナショナルスクールのプレゼンテーション。僕は最初の方に出ておらず、途中参加した所、多文化共生時代を迎えた日本の新しい国旗、挨拶などを考えようというワークショップでした。それぞれに思い描く、新しい日本に必要なものを出し合い、話し合っていました。次の日にウテさんがこの日のワークショップについて言及し「ただ昔、伝統を顧みるのではなく、新しい未来について考え、つくりだしていくことの大事さ。そしてそれこそがモンチ・アズールで目指したものだ」とおっしゃっていましたが、このワークショップはまさにそのような場となったのだと思います。

その日の夜は皆でキャンプファイヤーをし、夜遅くまで呑み語り合っていました。一つ気づいたことがあります。それはリンダウバというのは場所や人種に限らず、誰にとってもアイドルになるのだということ。いついかなる時でもリンダウバ歌い、踊り出すと空気がパッと明るくなり、皆笑顔になります。そのパワーには毎回驚かされました。きっと美空ひばり級のパワーを備えているような気がします。
僕は1時過ぎまで呑んでいましたが、部屋に戻ると、暗くなった部屋の隣の玄関で遅くまで作業をしているスタッフに遭遇しました…。正直言葉を失う程驚きました。皆、疲れているのに遅くまで…。事前準備、当日、終わった後、と常に一生懸命なCRIのスタッフを見て、僕は申し訳なくなると同時に、それでも眠たくなってしまう自分に少し嫌気がさしました。本当に有り難うございます。おかげで本当に楽しい、素晴らしい場ができたのだと思います。

次の日の14日は昼にバーベキュー。モンチ恒例の焼きそばが振る舞われました。そしていよいよ待ちに待った三池パパ(キム父)によるシュハスコ!僕は彼を、尊敬を込めてシュハスコおじさんと呼ばせてもらいました。(最初間違ってカシャーサおじさんと呼んでしまいました)シュハスコおじさんが準備を始めると、それまで皆でわいわい話していたはずが、どこからともなくブラジル人達が集まってきます。そして見事な連係プレーが始まり、みるみるうちにシュハスコが焼かれていきます。シュハスコおじさん曰く、「彼らは本能でシュハスコの焼き方を知っているんだ。誰も説明しなくても、もう生まれた時点で知っているんだよ」とのことです。その言葉がまぎれもない真実であることはこの目で確かめることができました。実際、すごいです。そして当然味は、超美味!もう感激ものです。

皆でシュハスコをつまんでいると、元モンチボランティアのエミちゃんが残念ながら帰宅の時間となってしまい、皆でお見送り・集合写真を撮りました。この集合写真がまた最高でした。言ってしまえばただ、以前モンチに行っていたことがあるという繋がりに過ぎないのに、あの一体感、心地よさ…。正直とても驚きました。こんなにも楽しい気持ちになれるとは、今まで知っていたけど、きちんと実感していなかったのだと思います。この感覚を味わえただけでも、モンチに行って良かったなぁと思ってしまいます。

14日の午後はCRIプレゼンテーション。ウテさんの話しを中心に、映像を交えてモンチ・アズールの紹介をしました。僕はモンチ・アズールに半年いたのですが、ポルトガル語がからっきしだめだったこともあり、殆どウテさんの話しを聞いていませんでした。唯一マサさんに通訳してもらって、ウテさんの話しを聞く機会が1度ありましたが、それだけでした。ですが今回広島の講演会に同行したり、あしがら山での話しを聞いたりしていると、とても素晴らしいのです。皆さんには今更何を…と言われるかもしれませんが、素直にそう思えたのです。
この日の話しではブラジルの伝説を紹介してくれました。その伝説はとてもわかりやすく人類の拡散と、今後の進むべき方向性を示唆していました。神話や伝説に感じられる時空を超えた眼差しにはいつも不思議な気がしてしまいます。でも多くの場合が、その指し示す方向は同じだと思います。そこから学べることを見落としては、それこそ足場を欠いた議論になるのでしょう。ウテさんの紹介してくれた旗は、とても興味深く、意味深いものでした。
ウテさんのお話しとモンチ紹介映像のあと、モンチのボランティアと職員が参加者とディスカッションをグループに分かれて行いました。その後、リンダウバ、エビーニャ、ベロニカ、マサさんが自分の経験をお話ししました。そのどれもが平坦な人生ではなく、でもとても輝いており、皆真剣に聞き入っていました。特にベロニカの人生にはモンチ・アズールとブラジルと日本を、その人生で繋ぐものがありました。また本人も思いを込めて語ってくれたように思います。とても色々な現実を突きつけられ、また考えさせられました。でも不思議とそこには悲壮感のような類いはなかった気がします。

夜は日本に住む外国籍の子ども達についてのワークショップが開かれました。参加者の多くが当事者であるという状況で、理沙の体験や思いを中心に話しは進みました。理沙が「私という一つのモデル」の構築といったあたりに言及した際、それは恐らく僕だけではないでしょうが、理沙のもつ強さに少し触れた気がしました。そしてそれは理沙だけではなく、多くの人たちが持つものなのだと思います。僕らが生活している中で、確実に、でもあまり目に見えない状況で存在している現実の一端に触れられた気がしました。

今回の合宿を通して感じたことですが、いろんなルーツを持つ人たちが同じ場所で生活するというのはとても楽しいものです。そのことを分かりやすく実感できたのが今回の合宿だった気がします。そしてそれは一つの答えなのではないでしょうか。
多文化共生をうたい、色々勉強し、様々な問題に具体的に取り組むことも勿論重要ですが、「いろんな人がいたら楽しい」という感覚を共有し、それを前提に取り組んでいくことが一番重要な気がします。モンチで僕が学んだと思っていることも、そういったことです。多種多様な人が集まればそれは勿論様々な問題が噴出するでしょう。でもそれは同じ家族内でも、同じ民族同士でも、友達同士でも生まれる当然のことです。ただ、それに取り組む姿勢として、眉間にしわを寄せて侃々諤々やるよりは、「楽しいよね」ということを前提に進めていけば、きっと光明が差しやすくなるのではないのかな、と楽観的に考えています。そんなことをしみじみと感じた合宿でした。
僕は14日の夜に先に帰ってしまったので、僕の触れていない部分や他の側面もどんどん写真付きでアップしてくれたら嬉しいです。

最後にスタッフの皆さん、お疲れさまでした。有り難うございます。

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足柄山キャンプ以降のスケジュール

2008年09月12日 02時35分58秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
いよいよ明日からマルシカルチャーキャンプ2008@足柄山ふれあいの村です。

総勢150名。日本人だけでなく、ブラジルを始めとする様々な国の人たちが参加し、二泊三日様々なアクティビティー、プログラムがあります。
もちろん、ウテさん、リンダウバ、エビーニャの3人も参加します。


詳細は後日、報告と共にこのブログにアップさせて頂きます。
合宿に参加される方は存分によく遊んで、よく語り合いましょう!!


さて、キャンプ以降のウテさん・リンダウバ・エビーニャのスケジュールを下に載せます。
足柄山キャンプが終われば、いよいよリンダウバ・ウテさん・エビーニャの旅も後半戦です。前半は主に西日本中心でしたが、後半は関東が中心になります。参加できる方はぜひ折を見つけて参加して下さい!



12(金)~15日(月)  足柄山マルチカルチャーキャンプ2008
                 @神奈川県足柄山ふれあいの村

16日(火) 埼玉・自由の森学園訪問・講演

17日(水) フリー(休息日)

18日(木) 冒険松原遊びの場「どんぐりこ」訪問

19日(金) 藤野シュタイナー学校訪問・講演会 10:50~15:00

20日(土) ウテさん 東京シュタイナー子どもの会@代々木・ボランティアセンター
        リンダウバ・エビーニャ(別行動)  東京(上野・浅草観光)

21日(日) ウテさん ブラジリアンスクール全国大会
        リンダウバ・エビーニャ(別行動)  鎌倉・江ノ島観光

22日(月) ウテさん 休み
        リンダウバ・エビーニャ(別行動)  あしながレインボーハウス訪問@日野

23日(火) 東海大学 講演会  夜:フェアウェルパーティー

24日(水) ウテさん・エビーニャ 休息日
        リンダウバ  大阪へ移動

25日(木) ウテさん・エビーニャ 関西国際空港へ移動
        リンダウバ  大阪観光

26日(金) ウテさん・エビーニャ 帰国@成田
        リンダウバ  関西大学講演会

27日(土) リンダウバ  夜:フェアウェルパーティー

28日(日) リンダウバ  神戸あしながレインボーハウス訪問 13:00~

29日(月) リンダウバ  帰国@関西国際空港







あしがら山マルチカルチャー・キャンプ2008
「日本にいながら世界発見」の旅

人類が5万年の歳月をかけて築いてきた「多様性」。世界の様々な地域で生まれ発展してきた、様々な人種、言語、文化ですが、今、日本の中にいながらにしてその多様性と出会える時代がやってきました。様々な背景を持ちよって足柄山に集う人々の中に、自分にとっての「驚き」、「違い」を発見し、それを愛で楽しむ体験をしてみませんか。

日時:2008年9月13日(土)~15日(月・祝)
場所:足柄ふれあいの村(電話:0465-72-2010)

9月13日(土)    10:00 スタッフ絵の具セッション準備開始(会議研修室)
11:00 足柄ふれあいの村(管理棟前「ふれあい広場」)に集合
12:00-14:00 昼食(お弁当)
14:00-15:00 出会いのワークショップ(全員で:プレールーム)
15:00-17:30 ☆プログラムA(子どもと学生向け自然・芸術体験)
- マスの手づかみ競争(近隣のマス池)
- 絵の具で部屋いっぱいに絵を描こう(会議研修室)
☆プログラムB(大人向け多文化ワークショップ:プレールーム)
- ビオ・ダンサ(命の踊り):多様性・普遍性の「触れあい体験」
18:00-19:00 夕食・入浴
19:00-20:00 International Community Schoolのプレゼンテーション
「イマージョン教育について」(ガイダンス室)
20:00-21:00 キャンプ・ファイアー

9月14日(日)     9:00 朝食(お弁当)配布
10:00-14:00 バーベキュー
群れ遊び・外遊び(バレーボール、大縄跳びなど)
「Ijime Zero」グループのミーティング(ガイダンス室)
14:30-17:30 ☆プログラムA(子どもと学生向け自然・芸術体験)
‐ 森の中をハイキング・崖登り
‐ 大雄山最乗寺でスタンプラリー
☆プログラムB(大人向け多文化ワークショップ:ガイダンス室)
- 文化・文明の交差点としてのブラジル(ファベーラでのボランティア活動から)
- ワークショップ「日本で生きるということ」
18:00-19:00 夕食・入浴
19:00-20:00 CRIのプレゼンテーション(ガイダンス室)
20:00-21:00 きもだめし

9月15日(月・祝)
8:00-9:00 朝食
10:00-12:00 子どもの描いた絵の鑑賞/振り返りの会(プレールーム)
12:00 昼食(お弁当)配布/解散
オプショナル・ツアー
* 近隣の温泉(徒歩2分)
* 大雄山最乗寺訪問(徒歩30分)
* アサヒビール工場見学(タクシー15分)

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9月9日 名古屋2日目

2008年09月10日 20時17分24秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
こんにちは、名古屋の下郷です。
朝、10時に宿泊先に、車で迎えに行きました。
ほとんどポル語を、忘れている(いや、あまり学んでない・・・)私は
最初に会うのはマサが、いいなとどきどきしながら、ロビーに足を踏み入れました。最初に会ったのは、ウテさんでた。
笑顔でゆっくりと、会話してくださって、ほっとしました。

荷物に埋もれながら、知多郡にある、施設へ向かいました。
 施設に関する詳しいことは、ご覧下さい。               
 http://www15.ocn.ne.jp/~aikouen/sub2.htm
最初に訪問したのは、障がい者活動動センターです.

トーキングエイドやパソコンで、意志を伝えるかたのグループに、どんな活動を
どんな風にしているのか、質問していたウテさんでした。
特にウテさんたちが、興味をもって、みていたのは、陶芸のグループでした。

職員の関わり方の工夫や、デザインをどのようにサポートしながら、表しているのかなどの質問をし、彼らの作品を、頂いてきました。

お礼に、ブラジルで作り、ドイツを旅した、折り紙の作品を、置いていって下さいました。

 そして、19年前にウテさんが、訪れた、身体障害者療護施設で住人さん(入所している方)と、昼食を頂きました。
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広島講演会2日目

2008年09月08日 15時15分47秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
こんにちは、ひろです。
昨日の広島での様子をご報告しようと思います。
また写真がないのですが、あとでアップしますのでお許しを。

昨日は午前中かんかん照りの中、リンダウバはマサ,トシと平和記念公園見学。
記念館では悲惨な情景の連続で、リンダウバは「このような写真を小さな子どもに見せるのはとても良くない、とても重い」と漏らしていました。
ウテさんは午前中定者さん宅でゆっくりした後、午後からの講演会会場で皆、合流しました。

今日の会場は広島県海田町。広島でもブラジル人の多い街として知られています。お客さんの中にもブラジル人の姿が見えました。また、2005年にモンチでボランティアをしていた高橋加奈子さんも来て下さいました。
会場ではまず「ファベーラの丘」の上映。上映前、音響のセッティングがうまくいかず、少し遅れてのスタートとなりました。会場の設備があまり整っていなかったことが原因ですが、小畑さんをはじめとして主催者の方々の懸命な努力により、無事開演にこぎつけました。その間、ウテさんはテレビ局のインタビューへの応対をされていました。

映画上映後の午後2:50よりウテさんとリンダウバの講演会がスタートしました。通訳は昨日と同じマサさんです。
一通りウテさんと映像によりモンチ・アズール、ファベーラのなどについて解説があった後、会場の方々からの質問を受け付けました。始め中々出なかった質問も、一人のブラジル人による質問をきっかけに、様々な意見が飛び出しました。
「言葉や文化の違う日本において、ブラジルから来たことども達が日本の学校に溶け込むには一体どうしたら良いと皆さんはお考えでしょうか」
「一体何に一番困っているのか、日本人側が分かっていない状況がある」
「私は初めて海田町で学校に入学したブラジル人の支援から、これまで多くのブラジル人、外国から来た人たちのお世話をしてまいりました。海田町でお困りのブラジル人の方々、私とお友達になりましょう!」
「日本では現在多くの自殺者、殺人事件が毎日のように起こっている。日本自体コミュニティが崩壊していると言わざるを得ない。このようになってくると、日本人の中に、外国から人たちを助ける程のゆとり、余裕がないのではないか」

それらの問いに対し、ウテさんは
「私は日本の状況がそれほど分かっていません。ですから、今回日本を訪れて、日本の各地を見、そしてブラジル人学校の大会に出席し、そこでまた色々な話を聞いてから考えようと思います。ですが一つ言えることは、このような問題に一人で立ち向かうことはとても大変です。コミュニティ、グループをつくって、皆で取り組んでいくことが重要だと思います。」などと応えました。
また、リンダウバは、昨日にも増して力のこもった声で次のように述べました。
「私はこれまで世界中の若者たちの面倒を、自分の大勢の子どもと一緒に面倒を見てきました。確かに世界は広く、距離は離れています。でも決して遠くはないのです。今回私はブラジルから日本へ来ました。でも何もブラジルとは全く異なる別の場所に来たとは思いませんし、私は変わりません。皆さんだってそうです。」
リンダウバを見ていると、今回の訪日で全国に、今までの自分の経験から得たメッセージを必死に伝えようとする思い、力にみなぎっているように感じます。その声は力強く、言葉は簡潔で心に響きます。
ウテさんリンダウバと接していると、ここはブラジルなのか日本なのか、分からなくなります。そうすると「あぁ、どっちだっていいや」という気になってくるから不思議です。でも今日思ったことは、きっとこの二人が何も変わらず、何もブレていないから、接する僕らも何の違和感なく接することができるのだろうなぁと思いました。

また質問には「ブラジルでは子ども達に広島の原爆のことをどのよう伝えていますか」というものがありました。
それに対しウテさんは「今まで原爆のことを伝える機会はありませんでした。確かに世界中で起こっている悲しみを、私たちは子ども達に伝える必要があります。ですがそれには子ども達の年齢と、どのように伝えるのか、について深く考える必要があります。ただやみくもに悲惨な映像や写真を子ども達に与えては、かえって逆効果です。いつ、どのように伝えるかがとても重要な問題です」と答えていました。
横でリンダウバが「ブラジルには一度も爆弾が落ちていないのよ」と言っていましたが、リンダウバの平和記念館でのショックも察するに余りがあります。

最後に「モンチ・アズールでの活動をどのように広めていきたいと考えていますか」という質問がありました。
対してウテさんは次のように答えました。
「現在『KID'S GUERNICA』という日本からやってきた活動があります。これは世界中のさまざまな地域の子どもたちによってパブロ・ピカソの「ゲルニカ」1937年と同じサイズ(3.5 m× 7.8m)の巨大なキャンパスに平和の絵画を描くというプロジェクトです。ピカソはスペイン市民戦争のときゲルニカの町への残虐な爆撃に抗議してその作品を制作しました。参加した子どもたちはイマジネーションと創造力によって平和の力強いメッセージを表現しています。このように表現活動を通して、他のグループ達と一緒に平和への活動を広げていくことが可能であると考えています。」

様々な意見が飛び交いましたが、時間となり講演会は終了しました。最後の挨拶に主催者の一人である定者さんにより「今回このようなイベントを開いたのには、日頃見過ごしてしまっているであろう在日ブラジル人の問題などへのきっかけをつくりたいと思いました。ブラジルでファベーラの生活の向上へ向けて長年取り組んでいる方々の話しを参考に、我々も生活の向上に向けて取り組みましょう。」という言葉で締めくくられました。
会場から温かい拍車があり、そしてウテさん達もお辞儀をしても、皆中々席を立とうとしません。おそらく、まだ聞き足りない、言い足りない、そのような気持ちがあったのでしょう。今回の講演会が、広島の人々のなんらかのきっかけとなることを僕自身期待し、勿論、自分にとってもきっかけとしたいと思います。

講演会終了後、会場の外で楽器を演奏していたブラジル人達とリンダウバが何やら話し込んでいました。何を話したかは聞いていませんが、リンダウバはどこでも変わらないなぁ、とつくづく思います。
その傍らでウテさんがパンをほうばっていました。長丁場の講演会でお腹もすいたのでしょう。ウテさんの子どものような可愛らしい笑顔を見ていると、とても嬉しくなりました。

僕は昨夜広島から埼玉へ戻りましたが、まだまだ続く全国行脚、より豊かに充実したものになるようお祈りします。

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広島講演会1日目

2008年09月07日 00時43分32秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
こんばんは。
今日の昼過ぎに東京から広島へ飛び、リンダウバ&ウテと再開することのできたヒロです。
お二人とも元気そうで安心しました。
そして何より二人が実に自然に日本のお店の中で食事をしている様は、とても嬉しいものでした。不思議と違和感がなかったように思います。

午前中のことは後でまた追加で記すとして、今日の午後からの講演会について報告します。
映画館で行われた今日の講演会ではまず映画「ファヴェーラの丘」を鑑賞。
続いてウテ、リンダウバのトークとなりました。通訳は、ずっと同行しているマサさん。

と、ここまで書いて宿の消灯時間が…
今日は申し訳ありませんが、ざっと記すに留めます。

さて今日の講演会、会場は満員でした。
始めに上映された映画によって、リオのファベーラの悲惨な状況に多少気が滅入った方もいらっしゃったかもしれません。
対して、ウテとリンダウバの講演は個人の生き方や想いが、ひいては世界的な状況の改善に役立つのだという、希望に満ちた内容になっていたと思います。
特にリンダウバの講演は大そう熱の入ったものでした。
ついつい話が長くなってマサさんの通訳が追いつかないほど。
それでも会場はマサさんのアドリブもあり温かい雰囲気、少しマサさんとリンダウバの漫才にも見えるような、に包まれていました。

会場からの質問の中にはモンチ・アズールの識字率に関してであったり、日本人ボランティアへの質問などがありました。
最後にモンチ・アズールをレポートしたテレビの映像を流し、多くの拍手に包まれて終了しました。
時間があまりなかったので、ウテ・リンダウバも話足らず、観客も質問を途中で打ち切られた感じになってしまったように思えます。ですが明日も広島での講演会があり、さらに今日より長く時間があるので、明日はよりお互いに満足のいくものになると思います。

講演終了後は会場近くの「甑(こしき)」という居酒屋へ。味のあるご主人自らのお手製の店内で、ゆっくりと打ち上げをすることができました。

ウテ・リンダウバはもちろんのこと、ずっと二人をアテンドしている方々にも、多少疲れが見えてきたように感じます。
あしがら山では自然に囲まれてゆっくりと過ごしてほしいと思います。

それでは、また明日に写真や今日書ききれなかった部分も追加しようと思います。
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珍道中@奈良!!

2008年09月04日 00時45分01秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
みなさん、こんばんは。
来日3日目、今日は一日観光デー@奈良県でした!


朝9時頃、リュックにお菓子をいっぱい詰め込んで、
帽子をかぶって、傘を持って、
いざ出発!!




なぜ奈良県を観光先に選んだかというと、
今、ブラジルにいる里依さんが、
「ウテさんは奈良が大好きなんだよ!」と教えてくれたので、
ウテさんが唯一関西でゆっくりできる今日、
奈良に行くことにしたのです。

奈良の私鉄やバスが1日乗り放題のチケットを買って、
なぜか私の母もくっついて、総勢7人でぞろぞろと。
遠足みたい!とウキウキしていた日本人は私だけではないはず☆

駅に着くと、さっきまで降っていた雨も止んでいたので、
お弁当を買ってどこかで食べることにしました。
日本人たちはどこかの店に入って食べようと思っていたのですが、
ウテさんとリンダウバにもったいない、と怒られてしまいました。
見習わなければいけませんよね、本当に。

初めて入ったコンビニで、
リンダウバとエビーニャは、一つ一つ商品を見ながら、
あーでもない、こーでもないと言っていました。




奈良といえば大仏様!
世界最大の木造建造物の世界遺産・東大寺大仏殿へ。



まずはその入り口の公園で鹿たちとしばし戯れました。
リンダウバは果敢に角のある鹿に近づいて行って、触れることができたので、
「今まで鹿のことは嫌いだったんだけど、これで好きになったわ!」と、
子どものように大はしゃぎでした。

私は名物の鹿せんべいを買って、
リンダウバに渡しました。
するとその時!!!
鹿たちが猛烈な勢いでリンダウバの周りを取り囲み、
カバンを噛み、服を噛み、挙句の果てにはお腹まで噛まれてしまいました(涙)

写真はその時の、逃げ惑うリンダウバ(笑)




その後、多分、私しか見ていないのだけれど、
大仏殿の入り口で、
二人の小さな子どもを連れた若いママが、乳母車を押して歩いていました。
リンダウバは入り口の段差に立ち止まってしまったママに手を差し伸べて、
乳母車を持ち上げるのを手伝っていました。

リンダウバはいつでもどこでも、周りのみんなに神経を向けています。
私の母が一人で先に行った時も、
マサさんが電話のためにその場を離れた時も、
誰かがさっきまで手に持っていたものを、持っていなくなったことに至るまで、
「ママはどこ!?」「マサはどこ!?」「あなたの●●はどこ!?」と聞きます。
いつでも人のことばかり、気にかけてくれているのですね。


大仏殿の入り口には、お線香を立てる台があり、
煙を頭にかけたり、体の悪い所にかけたりします。
同じようにやりたいと駆け寄ったエビーニャ、
思わず手に持っていたうちわで、勢い良く煙を自分の頭へ(笑)
リンダウバがすかさず「そんなに欲張っちゃダメよ!」と一喝。
そして二人で女子高生のように大爆笑☆
とっても仲良しの二人です。


大仏殿の中には、下部分にぽっかりと穴の開いている柱が一本あります。
その穴は大仏様の鼻の穴と同じ大きさの穴で、
大人の肩幅くらいの大きさです。
そこを通り抜けられると幸せになれる、と言われているので、
修学旅行生や子どもたちが通り抜けてはしゃいでいます。

そんな説明をして「さぁ、リンダウバ行こう!」と、素通りをして歩いていると・・・
あれ?リンダウバは?いない?
気付くと、なぜか靴を脱いで腕まくりしているリンダウバ・・・
まさか・・・。
でもカバンをエビーニャに渡した。。
いやいや、まさか・・・!!!
私は咄嗟に、失礼だとは思いつつ、
「リンダウバ、絶対無理だよ!!通れないよ!」と言いました。
だって、大人は通るのは本当に大変だから・・・。
でもリンダウバはできると言って聞きません。
まぁ、入ってすぐに諦めるだろうと思いながら順番を待っていると、
リンダウバは前に並んでいた外国人の男性が途中であきらめて出てきたところを、
押しのけるように穴にエントリー・・・。

その後の展開は、ご想像通り!

途中でつっかえてしまって、
前にも後ろにも動けない!!!
足はジタバタ、半分だけ出てきた腕もジタバタ(笑)
見かねてマサさんとエビーニャが、二人がかりでリンダウバの腕を力いっぱい引っ張りました。
そしてついに・・・。

「・・・生まれた!!!」といった感じの感動が、
その場に居合わせたみんなに広がって拍手喝采☆
一緒に行った私たちは大爆笑だったけど、リンダウバは大満足の顔☆
今日一番の笑顔でした!




その後、電車を乗り継いで、薬師寺へ。
観光客の多い東大寺とはまた雰囲気の違うゆったりとした薬師寺。
みんなで芝生でゆったりと休憩を取りました。



みんなは帰りの電車の中で船をこいで寝ていたのですが、
リンダウバとエビーニャは元気元気☆
二人でコソコソと何かを話しては笑い、また笑い。
本当にリンダウバの辞書に「疲れた」という言葉はありません。


夜はリンダウバとエビーニャ、俊紀くんと母と5人でうどん屋さんへ。
リンダウバはご飯はいらないけれど、
夜の街を歩きたい!とウキウキしながら出かけました。
そこでもリンダウバとエビーニャはずっと女子高生のようでした。
「箸が転げても楽しいお年頃」というように、
お互いのお箸を使って日本食を食べている姿がオモシロいのか、
笑いっぱなし。
昨日は少し緊張気味だったエビーニャの笑顔を、
今日はたくさん見れて、ホッとしました。




今日はこのメンバーみんなで過ごす、関西での最後の夜。
今もリンダウバとエビーニャは明日からの旅のために、
モンチアズール&カノアグッズの値札付けと荷物の整理をしています。

明日は、ウテさん&リンダウバは一路、九州へ。
エビーニャは午前中は俊紀くんと京都観光をした後、静岡の掛川へ。
明日は3人はそれぞれ、新幹線の中では3人だけです。

「私は●●で降ります。」というメモを渡して、
滞在先の連絡先を渡しました。

きっと、3人なら大丈夫!ね!
無事に到着の連絡がきたら、
またみなさんにお知らせします。

それでは・・。
おやすみなさい☆彡


とわこ☆彡
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ウテさん、リンダウバ講演会@滋賀

2008年09月03日 02時17分15秒 | リンダウバ・ウテ・エビーニャ日本招聘
深夜1時を回りました。

ウテさん、リンダウバ、エビーニャ、永久子ママはもう寝ました。マサさんも先ほど寝ました。永久子さんは入浴中です♪
こうして、モンチアズールっ子と一緒に夜遅くまでワイワイできるって、ほんとに幸せです。恵まれています。

では、今日のウテさんとリンダウバを振り返ってみましょう。

マサさんと僕は2人と一緒に、滋賀の大津、琵琶湖のほとりにある本日の講演会場「琵琶湖ホテル」へ。早めに着いた僕たちは、少し琵琶湖を散策し、大輔さんと合流&昼食、そしていよいよ今回のイベント初講演。




今日の講演では、大輔さん、マサさん、ウテさん、リンダウバの順で4人が話しました。辛口のコメントですが、前の3人はなにか口の動きがもたついていたように思います。一方、リンダウバはというと、それは見事なものでした。涙が出てきました。堂々と力強く語りかけ、まるで通訳の大輔さんと2人3脚でリズミカルに走っているかのようでした。





「いま、私はとにかく幸せなんだ。とても幸せに生きているんです。」
幸せとはなにか。そんなことをごたごたともめている世の中を、一蹴するかのような言葉でした。

さて、みなさんが気になっているモンチアズール、カノアグッズ、CRIグッズの販売はどうだったかって??

昨夜、値札をつけた商品を、特大のスーツケースに詰め込んで持って行き、講演会場の後ろで広げさせてもらいました。魚釣りをする人はわかると思いますが、僕は今日釣り人の気分でした。ばっちり釣竿と仕掛けとエサを用意していって、釣れるのかな?釣れないのかな?というちょっぴり不安な気分。売れなかったらどうしよう。。。



さらに、販売用意をしていると、ウテさんが僕を呼んで、
「もう講演会が始まっちゃうわよ!早く売り始めないと!」
すごいプレッシャーをかけてきました。てっきり講演後を主として販売すると思い込んでいた僕はあわてて売り込み開始。
それを見てすかさずリンダウバは、販売を手伝いに駆けつけて来てくれました。すると、六十をすぎたくらいのおばあさんが、リンダウバにむかって、
「はう、まっち?」
衝撃的におもしろかったです。

で、商品は売れたかって??

ちゃーんと売れましたよー。つり銭も用意していない無防備の僕たちを襲うように売れました。特に小貫大輔『耳をすまして聞いてごらん』とウテ・クレーマー『クリスマスに咲いたひまわり』は完売したくらいです。

釣りをする人はわかると思います。魚がたくさん釣れた帰り道のあの気分です。家に帰り、ちゃんとエビーニャが着いていて、みんなで食卓を囲んで。今日も、昨日に引き続きとてもHappyな一日になりました。


昨日投稿させてもらった記事に5つもコメントが来ていてとてもうれしかったです。だから記事を見た人は時間が許せばコメントお願いします。
他人が喜ぶだろうことをしてあげる。まさに今回のプロジェクトそのものですよね。


2008.09.03
Toshinori loves Monte Azul
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