団塊亭日常

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「宇宙創成」サイモン・シン メモ1

2012年12月30日 18時00分43秒 | 幼年期の終わり

この宇宙には、一千億以上もの銀河があり、どの銀河にもざっと一千億の恒星が含まれている。 p13

神話と言う言葉は、物語を意味するギリシャ語のミュトスに由来するが、 p17

ミトレスのアナクシマンドロスは、地球のまわりには火で満たされた環が回っていて、太陽はその環に開いた穴だと論じた。・・・コロボンのクセノパネスは、地球は可燃性のガスを放出していてそれが夜のうちに溜り、臨界質量に達すると発火して太陽になると考えた。・・・ヘリオス神が御する燃えさかる馬車として太陽を説明したギリシャ神話等は質的に異なっている。 p18

サモス島出身のピタゴラスは、紀元前540ごろ、・・・簡単な数の比によって和音を説明した事だった。 p19

ヘンリー・ハクスリーは・・・「科学の大いなる悲劇  それは、美しい仮説が醜い事実によって打ち砕かれることだ」 p22

地球の大きさを測ると言う偉業をはじめて成し遂げたのは、紀元前276年ごろに、今日のリビアにあたるキュレネの町に生まれたエラトステネスだった。 ・・・シエネとアレクサマンドロスで同時に太陽が頭上にこないのは、大地が球形をしているためだときずいた。 p25

地球の周長の推定値は46250キロとなり、これは実際の値である40100キロをわずか15%上回っているにすぎない。 p27

アナクサゴロスは紀元前5世紀に生きた・・・彼は太陽は神などではなく、白くて熱い岩石だと論じた。 p30

フランスの数学者で科学哲学者でもあったアンリ・ポアンカレは、いみじくもこう述べた。「家が石でつくられるように、科学は事実を用いて作られる。しかし石の集積が家ではないように、事実の集積は科学ではない」 p33

科学にかかわる美は、各部分が調和した秩序からもたらされ、純粋な知性によって把握されるような、より深い美なのである。 p35

ピロラオスは紀元前5世紀に生きたピタゴラス派の学徒で、地球は太陽の周りをまわっているのであって、その逆ではないという説をはじめて打ち出した。 p39

紀元前310年・・・生まれたアリスタルコスである。地球はより支配的な太陽のまわりを勢いよく回っている。 p40

火星がたどる径路は、むしろ「ワルツアー」という乗り物の激しい動きに似ている。 P54

地球を中心とするプトレマイオスの宇宙モデルは、すべて地球のまわりに回転し、天体はみな円形の径路をたどると言う信念にもとづいて作られていた。そうしてできたモデルは恐ろしく複雑で、導円や離心円の上に周転円が重なり、またそれらはエカントの影響を受けることとなった。 P54

後に彼は、地球中心モデルの小細工を次のように非難した。「それはちょうど一人の画家が、自分の描く人物の手や足や頭や、その他身体の各部分を、個々別々のモデルからもってきたようなもので、各部分はみごとに描かれていますが、一個の人体を作るようにはなっておらず、均整が取れていないため、人間というよりは怪物を作り上げてしまうのに似ています。 P63

ルターはコペルニクスのことを「聖書に刃向う愚か者」と呼んだ P66

コペルニクス・モデルが生まれるために決定的な産婆役を果たした優秀な弟子、レティクスには一言も触れていないのだ。・・・レティクスはひじ鉄を食らわされたように感じ、「回転について」が出版されて以降、これに関与しようとはしなかった。 P68

この序文は、コペルニクスの仮説は「真であることも、また本当らしくある必要すらもない」と述べることで、本の残りのすべてを根底から突き崩したのである。 P68

コペルニクスの・・・序文には、・・・「猟犬のように騒ぎ立てる人はいるでしょう。・・・聖書のある箇所を盾にして自分の都合のよいように歪曲するでしょう。・・・」 P70

プトレマイオスのモデルは、周転円、導円、エカント、離心円を駆使して高い精度を達成していたことだ。そんな小細工が許されるなら、どんな欠陥モデルでもたいていは救いようがある。 P72

「オッカムの剃刀」は二つの競合する理論があるならば、よりシンプルなほうが正しい可能性が高いというものである。(必要なしに多くのものを立ててはならない) P73

父親はつむじ曲がりだったうえに犯罪者となり、母親も魔女の嫌疑をかけられて追放の身となった。そんな家庭環境にあったケプラーが、自分に自信のもてない、不安がちで心気症もちの大人になったのも驚くにあたらない。 p83

ケプラーが太陽中心モデルを完成するのに要した時間の長さ(8年!)は強調しておかなければならない。・・・ケプラーは、古代人の教義の一つだった「惑星はすべて円軌道または円を組み合わせた軌道上を動く」という信念を捨て去ることによりこの偉業を達成した。 p85

鳥たちは何のために歌うのかと尋ねられたりはしません。鳥たちは歌うために創造されたのであり、歌う事は彼らの喜びだからです。それと同じく、人間の心がなぜこれほど苦労してまで天の秘密を知ろうとするのかと尋ねるべきではありません。 p93

ケプラーによれば、惑星の運動速度はそれぞれ楽音を響かせている。地球はファとミを響かせているが、そこからラテン語のfames(飢餓)という言葉が生じ、これは明らかに地球という惑星の本質を表わしているのだと言う。 p93

フォン・バッケンフェルスはケプラーがかつて聞いた中でもっとも胸躍る知らせを届けてくれた人物でもある。・・・ケプラーは初めて望遠鏡の事を聞いた。ガリレオがそれを使って天を探り、夜空のまったく新しい様相を明らかにしつつあるということだった。ガリレオはこの発明品のおかげで、アリスタルコス、コペルニクス、ケプラーが正しかったことを示す証拠を発見するのである。 p94

ガリレオは、60倍という高倍率を達成することができたのだ。この望遠鏡のおかげでヴェネツィアは戦略上優位に立てただけでなく、抜け目のない商人たちは、香辛料や布地を積み込んだ船がまだ遠くにいるうちに知ることができたので、市場価格が落ちる前に在庫を売りさばくことができた。 p98

上左 コペルニクス 上右 ティコ・ブラーエ 下左 ケプラー 下右 ガリレオ

判決が下ったのち、ガリレオは跪いていた姿勢から立ち上がりながら、 「それでも地球は動く」とつぶやいたと伝えられている。・・・(1564年2月15日に生まれる)1642年1月8日、ガリレオは死んだ。教会は最後の処罰として、彼をカトリック教徒として葬ることを禁じた。 p116

サイエンス・ライターのバネッシュ・ホフマンは、この火急の事態を短い言葉でおもしろく表現した。

はじめに光エーテルがあった 次に電磁エーテルがあった 今やどちらもなくなってェーテル P150

大切なのは問いを発するのを止めないことです。好奇心はそれ自体として存在理由があるのです。永遠や、生命や、実在の驚くべき構造のことを考えるとき人は畏怖の念を抱かずにはいられません。日々、そんな不思議をほんの少しでも理解しようと努力すればそれで十分なのです。P152(アルベルト・アインシュタイン)

 アインシュタインによれば光は観測者に対して秒速30万キロメートルという一定の速度で進む。 P

 光電効果と言うよく知られた現象は、誕生したばかりの量子物理学によってきれいに説明できることを示した。・・・この論文はアインシュタインにノーベル賞をもたらすことになった。 P165

GPSは、カーナビなどの計器類で位置を特定するために衛星を利用するシステムだが、特殊相対性理論の効果を考慮に入れないと正しく作動しない。 P174

非常に重要なことが心を占領してしまい、手紙を書く時間も見つけられないほどです。昼も夜も、脳みそを拷問にかけるように絞り上げ、過去二年のあいだに少しずつわかってきたこと、物理学の基本問題において空前の前進となることを、もっと深く見通そうとがんばっています」 p179

アイザックは年を経るごとに、自分を捨てた母と義父に対する憎悪をつのらせていった。・・・「父母であるスミス夫妻を家もろとも焼き殺すと脅したこと」を認めている。 p180

現代の科学者たちは1966年に起こった正真正銘の奇跡だと考えている。ニュートンの「奇跡の年」には、微積分、光学、そしてもっとも有名な重力理論に大きな進展があったのだ。 p181

時空が伸びちじみするというのは馬鹿げた考えに思えるかもしれないが、アインシュタインはその正しさを確信していた。 p186

アインシュタインはこの試練に耐えぬき、1915年、ついに一般相対性理論を完成させた。 p189

天文学者たちはぐらつくニュートン理論を支えようと新たな解決策を持ち出した。ニュートンの重力方程式に含まれるr二乗をr2.00000016乗に変更すれば、ともかくも古典的なアプローチを救い、水星の起動を説明できるというのだ。 ・・・こんな小細工をすること自体、周転円に支えられた地球中心の宇宙という欠陥モデルにさらに円を付け加えていくプトレマイオスのやり方同様、視野の狭い思考の論理を匂わせるものだった。 p197

一つは、すでに行われている観測のすべてと合う理論的結果を出すことだ。・・・第二のテストは一層厳しく、まだ行われていない観測の結果を予測しなければならない。 p198

彼はよくフロイントリヒの家に夕食に呼ばれたが、あっというまに食事を終えるとテーブルクロスに走り書きを始め、・・・計算を念入りにチェックして、間違いの余地が残らないようにした。フロイトンリッヒの死後、彼の妻はそのテーブルクロスを洗ってしまった事を後悔した。アインシュタインの走り書きがそのまま残っていればひと財産になっただろうからだ。 p204

アインシュタインは母親に短い手紙を送った。「本日嬉しい知らせが入りました。・・・英国の探検隊が太陽による光の逸れを証明したと教えてくれたのです」 1919年11月6日、王立天文学協会と王立協会は合同会議を開き、エディントンの結果を公式に発表した。・・・ホワイトヘッドは次のように書いた。・・・舞台背景にはニュートンの肖像画が掛けられ、科学におけるもっとも偉大な一般化が、今この時、二世紀以上の時を経てはじめて修正を受けるのだということを私たちに告げていた」 P216

アインシュタインはこう述べた。「一人の人間がこのような仕事をすることを可能にする心理状態は・・・・・・宗教を信じる者や、恋するもののそれに似ています。日々の努力は、考え抜いた意図や計画からではなく、心からそのまま出てくるのです」 P222

アインシュタインの仮定は「宇宙原理」として知られているもので、宇宙はどこでもほぼ同じである」とする。・・・地球は宇宙の中で特別な位置を占めてはいない」ことの別の言い方である。 P223

ニュートンはこの問題を解決するために、神がときおり介入して、星などの天体が互いに距離を保つように采配しているのだろうと述べた。・・・アインシュタインは宇宙を収縮させないための数学的トリックを見出した。彼の重力方程式を修正して、宇宙定数という新しい項を含めればいいことに気がついた。 P225

宇宙定数は、アインシュタインが正解を得るために弄した小細工だという意味において、プトレマイオスの周転円と同じようなものだった。・・・つまり宇宙定数は、安定した永遠の宇宙という望ましい結果を得るために、アインシュタインが作り上げた虚構だったのだ。 p227

アインシュタインと彼の同僚達にとって、動的な宇宙とは、激烈な崩壊によって終末を迎える宇宙を意味していた。・・・しかしフリードマンにとって、動的な宇宙とは、膨張によって始まった宇宙であり、そんな宇宙には重力に対抗できるだけの勢いがある。これはまったく斬新な宇宙観だった。 p231

後年、彼(ルメール)はこの理論の大枠について次のように述べた。「原初の原子という仮説は、今日みられるこの宇宙は、一個の原子の放射性崩壊によって生じたと考えるものである」・・・「宇宙の進化は、終わったばかりの花火になぞらえることができる。一筋の霧と灰と煙。われわれは冷えた燃え殻の上に立ち、衰えゆく太陽を見、今は消えてしまった世界のはじまりの輝きを思い浮かべようとするのである」 P241

アインシュタインはルメートルに冷たくこう言った。「あなたの計算は正しいが、あなたの物理学は忌まわしいものです」 P243

1967年にはイギリスの天文学者ジョスリン・ベルが、今日では「パルサー脈動星」として知られる新種の星を発見した。・・・たとえばパルサーは一生の終わりに近づいた星であることや、中性子と呼ばれる原子内粒子でできていること、典型的には直径10キロメートルほどの大きさで、密度が極めて高いため、ティースプーン一杯分で十億トンもの重さになることなどである。 P253

ハーシェル(1738年生まれ)の主要な研究テーマのひとつに、自作の優れた望遠鏡を使って、数百個の星について地球からの距離を測定するというものがあった。そのために彼は「星はどれもみな同量の光を出している」というものがあった。・・・予想としては星はどの方向、どの距離にもまんべんなく分布していそうなものだった。ところがハーシェルのデータは、星はパンケーキのような円盤の内部にまとまって存在していることを強く示唆していたのだ。 P258

今日では、天の川銀河の直径は約10万光年、厚みは約1万光年であることがあわかっている。 p266

カントの立場からすれば、神が有限な天の川銀河しか作らなかったというのは馬鹿げた考えだった。 p270

極度の重圧がかかったこの時期、ヘールは幻覚をみはじめ、緑色の妖精が彼を訪れるようになった。まもなくこの妖精だけが、ヘールがこころを開いて望遠鏡のことを打ち明けられる相手になった。妖精はたいてい彼に同情的だったが、ときには厳しい言葉を投げつけることもあった。 p281

1839年にルイ・ダゲールが「ダゲレオタイプ(銀板写真)の詳細を明らかにした。 p299

ダゲールの発表からわずか数週間後、ジョン・ハーシェルはダゲレオタイプの反応過程を再現し、ガラス版の上に象を浮かび上がらせることに成功した。・・・ポジやネガなどの専門用語とともに、フォトグラフやスナップショットといった言葉も生み出した。 p300

もともとコンピューターという言葉はデータを操作したり計算する人たちを指していたのである。 p303

天文学者は三つの簡単なステップを踏むことにより、セファイドまでの距離を測れるようになった。第一のステップは、セファイドの変更周期をしることだ。これにより、そのセファイドの実際の高度がわかる。第二のステップは、見かけの明るさを知ることだ。そして第三ステップでは、どれだけの距離があれば、実際の明るさが見かけの明るさになるかをしればよい。 p315

ウィルソン山天文台に来てから4年後の1923年十月四日の夜、ハップルは百インチ望遠鏡を使って観測をしていた。・・・三つ目のシミは新星ではなく、セファイドだったのだった。・・・このセファイドを含むアンドロメダ星雲は―地球から90万光年のかなたにあるらしいのだ。 p327

超新星は、普通の新星とはまったくスケールの異なる大激変で、一生の終わりに大爆発を起こした星が、ほんのひととき十億の星にも匹敵するほどの輝きを発し、その後消えていく現象である。 p333

天文学者カールセーガンはこう書いた。「・・・それは果てしなく広がる冷たい真空の中の、永遠に終わらない夜の闇に沈む星間空間だけである。それはとりつく島のない荒涼たる風景だ。それに比べれば、惑星や恒星や銀河は、胸が締め付けられるほどの稀有で愛すべき存在に思えるのである」 p336

1895年に画期的な突破口を切り開いたのは、ロベルトブンゼンとグスタフキルヒホフの二人だった。ブンゼンとキルヒホッフは力を合わせて、物体から放射された光の波長を高い精度で測定するために、特別にデザインされた「分光器」を作り上げた。 p349

1860年代、ハギンスは太陽より遠い星たちに分光学を使い、星たちもやはり地球でみられるのと同じ元素を含むことを確認した。 p351

天文学をやりたいという初志を貫徹した元布地商人ウィリアム・ハギンスは、星の速度は測定可能であることを証明した。 ・・・分光器を使って波長を調べ、ドップラー効果による波長のずれを計測すれば、その速度がわかるのだから。 p361

ほとんどすべての銀河は赤方偏移を示し、これは銀河が後退していることを示唆していた。・・・ハップルはデータ点のあいだに一本の直線を引いてみた ー 銀河の速度は、地球からその銀河までの距離に比例するのではないかと考えてみたのだ。(のちのハップルの法則) ・・・今日ビッグバンと呼ばれているものを匂わせる最初の観測事実だった。 p371

 

宇宙創成 サイモン・シン メモ2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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