まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

なぜカントは子どもの喧嘩やスポーツまですべてを戦争だと定義したのですか?

2024-02-10 02:35:05 | グローバル・エシックス
カントに関わって次のような質問をいただきました。

「カントは、暴力を用いた紛争解決は規模に限らず全て戦争であると述べていましたが、私は子供同士の喧嘩や、柔道、相撲等のスポーツで解決を図ることは健全なことであり、戦争ではないと考えています。なぜカントはすべてを戦争だと定義しようとしたのでしょうか。」

そもそもことばの定義というのは時代や地域・集団によって変わりうるものなので、
私はこう定義すると宣言して、それから逸脱することなく使っていくならば、
どう定義しようと自由なのだと思います。
ホッブズから始まる社会契約説の系譜においては、
国家間の戦争の話をする前に、そもそも国家なんて存在していなかった自然状態を想定して、
そこでの諸個人間の紛争をどう解決するかというところから議論を組み立てていったので、
個人間の紛争を暴力的に解決しようとすることを禁ずるというのがスタート地点でした。
ホッブズやロックはそのために国家を作らなければならないと論じたわけですが、
彼らの社会契約説は国家を設立したところで終わってしまっていて、
そこから先の国家間の戦争をどうなくすかということまではまったく考えておらず、
国家には国民を守るために戦争をする権利と義務があるのは当然のこととみなしていました。
カントは、社会契約説を推し進め、
諸個人間の暴力を廃絶するために諸個人は国家法に従わなければならないのと同様に、
国家間の暴力である戦争を廃絶するために諸国家は国際法に従い、
国連の場で暴力によらない紛争解決を試みなければならないと唱えました。
暴力による紛争解決は、個人間のものであれ国家間のものであれ禁じられるべきなのですから、
両者を引っくるめて「戦争」と定義したことは、
カントの立論からすると当然の成り行きだったと言えるのではないでしょうか。

さて、質問者の方は暴力による紛争解決の例として2種類挙げてくれていました。
子ども同士の喧嘩と、柔道や相撲などの格闘技系のスポーツの2種類です。
その例示のうちの後者は間違っていると言わなければなりまぜん。
スポーツというのは、きちんと定められたルールの下で勝敗を競う競争ですので、
それは暴力ではありませんし、紛争解決でもありません。
たしかに格闘技は他の陸上競技などとは違って肉体的コンタクトがあり、
殴ったり蹴ったりという行為が伴うので、相手に対して力を用いてはいますが、
それはプレイヤーの安全を守るためのルールに従って振るわれる力であって、
限度を超えていこうとする暴れる力ではありません。
したがって格闘技を含むスポーツを暴力と呼ぶことはできませんし、
それゆえ戦争の中に含めることもできません。

また、質問者の方は「スポーツで解決を図ることは健全なこと」とおっしゃっているのですが、
何を想定しているのかよくわかりませんでした。
私のイメージでは、スポーツはスポーツのため(勝敗を競うため)にやるのであって、
スポーツを用いて何かスポーツ以外の別の紛争や問題の解決を図る、
なんていうことがありうるでしょうか?
もしもそういうことが行われたとするならば、
それは私も健全な解決法だとは思いますし、カントもそう言うとは思いますが、
(当然それは戦争ではありません)
例えば北方領土問題とか、竹島問題とか、パレスチナ問題をスポーツで決着つけようなんて、
そんな平和な提案が受け入れられて、その結果に双方が納得するとはとても思えないのです。
たとえそういう問題解決方法がありえるとしても、スポーツで決められるような事柄って本当に些細な、
重大な国益に関わらないようなことだけじゃないかなあ。

さて、もう一つの例、子ども同士の喧嘩ですが、
これは口喧嘩とかではなくて殴り合いの喧嘩をするのであれば、
それは暴力による紛争解決であり、カントの定義によれば戦争になるだろうと思います。
子どもが本当に小さければどんなに殴ったり蹴ったりしてもたかが知れており、
暴れる力にはならないという見方もあるかもしれせんが、
そもそもそれは紛争の正しい解決には結びつかないという点において、
けっして健全な紛争解決手段とは言えないと思います。
なぜなら喧嘩の勝敗はどちらが強いかということを決するだけであって、
どちらが正しいか間違っているかとは無関係だからです。
私が育った昭和の時代には、子ども同士は何かトラブルがあったら殴り合いの喧嘩をして、
すっきりして仲直りをすればいいんだみたいな風潮がありましたが、
令和の学生さんから「子ども同士の喧嘩は健全な解決法だ」と聞くとは思っていませんでした。
なぜそう思うのかもっと詳しく聞いてみたい気がします。
私は自分が喧嘩が強いタイプの子どもではなかったということも関係しているのかもしれませんが、
喧嘩に勝ったほうが正しいという紛争解決方法は健全な決着とは思えないけどなあ。

平和の実現に寄与している国はどこですか?

2024-02-10 00:55:53 | グローバル・エシックス
以下のような質問をいただきましたが、これに答える能力は私にはなさそうです。

「現代において、平和の実現に最も寄与している国家はどこですか? その理由はどうしてですか?」

この質問には自分では答えられそうにないので、生成AIに頼ってみました。
Microsoft 365 にオマケで付いていた Copilot というソフトを使ってみたところ、
それっぽい回答を返してくれました。

「こんにちは、Copilotです。平和に関心があるのですね。😊

現代において、平和の実現に最も寄与している国家というのは、一概には言えないと思います。平和というのは、紛争やテロ、暴動などの暴力的な行為だけでなく、貧困や格差、人権侵害などの社会的な問題も含めて考える必要があります。また、平和の実現には、国際的な協力や連携が不可欠です。一国だけで平和を作り出すことはできません。

しかし、それでも平和の実現に向けて積極的に取り組んでいる国家はいくつかあります。例えば、国連の活動において、平和維持や平和構築、人道支援などに貢献している国家が挙げられます。国連の平和維持活動(PKO)には、現在約12万人の人員が参加しており、そのうち約4割がアフリカからの人員です1。アフリカの国々は、自国の紛争や内戦を経験したこともあり、地域の平和と安定に責任を持っています。また、PKOには、日本やドイツ、カナダ、オーストラリアなどの先進国も人員や資金、物資などを提供しています2。これらの国々は、平和主義や人権尊重などの価値観を国際社会に発信し、多国間の協調を重視しています。

平和の実現に貢献している国家は、PKOに参加している国々だけではありません。紛争やテロの原因となる貧困や格差、気候変動などの問題に対処するために、開発援助や技術協力などを行っている国々もあります。例えば、スウェーデンやノルウェー、デンマークなどの北欧諸国は、国連が定めた公的開発援助(ODA)の目標である国内総生産(GDP)の0.7%以上をODAに充てており、世界の平和と繁栄に貢献しています3。また、中国やインド、ブラジルなどの新興国も、近年ODAの拡大や南南協力の推進などを通じて、途上国の開発に協力しています4。

以上のように、平和の実現には様々な側面があり、それぞれに貢献している国家があります。平和というのは、一つの目標ではなく、常に追求し続けるべきプロセスだと思います。私たち一人一人も、平和に関心を持ち、行動することが大切です。」

だそうです。
私が下手なことを書くよりもよっぽど信頼に足る内容のような気がします。
これで十分な気もしますが、私が自分で書くとしたらこれらのほかに、
次のような情報を加えて、そちらをメインに論を組み立てただろうと思います。

現在、憲法において軍隊の非保有を宣言している国がいくつかあります。
日本、コスタリカ、パナマなどです。
日本の自衛隊でわかる通り、
それらの国が本当にまったく軍隊を保有していないかというと、
なかなかそう簡単に言い切れるわけではありませんが、
それでもやはり、国の根幹たる憲法において軍隊の非保有を宣言するというのは、
ひじょうに勇気のいることであり、
そうした憲法をもつ国家と国民が現実に存在するということは、
世界の平和に大きく寄与していると言うことができるでしょう。

というようなことを私だったら書いたと思いますが、
いずれにせよ、平和の実現に最も寄与している国を1つだけ挙げることはできないわけです。
重要だと思うので、Copilot の回答の最後の段落をもう一度繰り返しておきたいと思います。
「平和の実現には様々な側面があり、それぞれに貢献している国家があります。
 平和というのは、一つの目標ではなく、常に追求し続けるべきプロセスだと思います。
 私たち一人一人も、平和に関心を持ち、行動することが大切です。」

戦争のニュースにカント学者は何を思うか?

2024-02-09 18:31:16 | グローバル・エシックス
次の質問はちょっと意外な質問でした。

「現在中東で戦闘が勃発したり、ウクライナで戦争が行われていたりと、悲しいニュースが多いですが、カントの「永遠平和のために」を研究されている小野原先生は、戦争が起こっていることを知ったとき、何を思うのでしょうか。私のようなただの大学生が抱く「ひどいな、悲惨だな、募金でもしようかな」という感情だけではなく、カント研究者としての目線から生まれる特異な感情があったりするのでしょうか。(例えば、「戦争なんてしてあほだな。カントが怒ってるぜ。」など何でもいいので知りたいです。)」

別に「カント研究者としての目線から生まれる特異な感情」なんてありませんよ。
私もたぶん皆さんと同じで、「ひどいな、悲惨だな」と思いますし、
特に、大量虐殺にも似た空爆やら襲撃を受けている一般市民の方々に関しては、
「かわいそうだ、悲しい、何とか助かってほしい、この苦しみから一刻も早く解放されてほしい」
と心から思います。
最近では少しいろいろなことに慣れすぎて、感受性が鈍くなってきているのかもしれませんが、
大学院生くらいだった頃には、ニュースを見てぼろぼろ泣いたりしていたこともありました。

戦争することを決定した為政者に対しては、
「あほだな」なんていう軽いノリではなく、
「なんて愚かなことをするんだろう」という怒りまじりの呆れというのでしょうか、
ものすごくネガティブな感情が沸き起こってきます。
しかし、私は皆さんに非暴力コミュニケーションを教えている身ですので、
しばらくネガティブな感情に浸ったあとは、
その為政者に直接会うことができたら、何と伝えるだろうかと考え始めます。

そのためにまず、自分の感情を極力排して、
その地で起きていることを客観的に観察ことばで表現しようと努めます。
とはいえ、一般市民を無差別に殺戮しまくることを命令した人々ですので、
(↑この言い方はまったく観察ことばになっていませんね)
彼らの言動を冷静に分析するというのは至難の業です。
さらに、彼ら為政者がなぜ戦争という決定を行ったのか、
彼らの中にある感情や必要を想像しようとするのですが、
本当に彼らの中に私たちと同じ感情や必要が存在しているのか、
私たちとは違うタイプの人間なんじゃないか、理解なんてできないんじゃないか、
という気持ちに何度も負けそうになってしまいます。
それでもやはり、彼らも私たちと同じ人間であり、
同じ感情や必要に動かされているはずだと何度も言い聞かせ、
何とかいろいろなパターンを想像してみようとします。
そしてその想像に合わせて、もしもこうだったら何とお願いしようか、
もしもこっちだったら何と言えばいいだろうかと考えてみます。

そのように考えているうちに、
はじめのうちはただの小野原雅夫として何と言おうかと考えていたのですが、
もしも自分が攻撃されている国の外交官だったらとか、
和平調停に乗り出した国連の大使だったらとか、
その国の野党の政治家だったら、マスコミだったらなど、
いろいろと立場を変えて、どのようなお願いをするかを考えていきます。
もちろんなかなかいいお願いの文章は浮かびません。
浮かんでも、こんなこと言っても絶対に通じないよなあ、
とすぐに却下してしまうようなものばかりです。
相手に通じるようなお願いを作文するのなんて無理なんじゃないか、
と思いたくなってしまうこともしばしばです。

そんなときは、授業の中で紹介した、
ガンディーの「すべての日本人に」のメッセージを思い出すようにしています。
無力感が大きいときはただ思い出すだけじゃなくて、
このブログの中に引用してありますので、
その記事を(→こちら)もう一度読むようにしています。
最後の(14回目の)授業のときに言うのを忘れていましたが、
皆さんに紹介したガンディーのメッセージはすべて、
非暴力コミュニケーションで書かれています。
NVCのみごとなお手本と言っていいでしょう。
あのメッセージはたんなる自らの思想の表明ではなく、
日本軍がインドの戸口にまで迫ってきているときに、
その侵略者に向けて贈った「ことばの贈り物」でした。
彼はあのメッセージを書くのにどれほど時間をかけ、
どれほど推敲を繰り返したのでしょうか。
その時間とその試行錯誤に思いを馳せ、
きっと今の時代に、今戦争を遂行している人々に届くことばもあるはずだ、
と気を取り直して、お願いのことばを考え続けています。

大量虐殺は戦争の中に含まれているか?

2024-02-08 14:53:08 | グローバル・エシックス
次のような質問もいただきました。

「先生は戦争と言われたが実は大量虐殺であることについてはどう思いますか。大量虐殺は戦争の中に含まれていますか。」

以前にいただいた質問とも重ね合わせると、
これはイスラエルとパレスチナの戦争のことを指していると思われますが、
これはとても難しい問題です。
私はパレスチナ問題の専門家ではないですし、
今行われている戦争のことも日本の報道で伝え聞く程度の知識しか持ち合わせていないので、
前半部分に関しては、学者としての正式な回答というよりも、
あくまでも素人の一意見として読んでください。

イスラエルとパレスチナの間の抗争に関しては、
私も以前から、これは戦争と呼べるものだろうかという疑問を懐いていました。
私は「戦争と平和の倫理学」の授業の最初のほうで、
戦争に関して、「大規模集団間の武力闘争」と簡単に定義しました。
つまり、国家レベルの大規模な集団が、それぞれの軍隊と軍隊を用いて戦うこと、
それが戦争であると定義したのです。

第一次から第四次まで戦われてきた中東戦争は、
上記の定義に照らしてまさに戦争であったと言えると思います。
しかしその過程でイスラエル側が軍事的には圧倒的に優位に立っていきます。
アメリカをはじめとする先進国がイスラエルへの軍事支援を続けてきたからです。
軍隊と軍隊との正面衝突という方法では勝てる見込みがなくなっていく中で、
パレスチナ側はテロという、軍隊によらない新しい戦い方に頼るしかなくなりました。
私は先の定義に照らして、テロは戦争とは別物であると理解していますが、
現代において両者の区別が難しくなっていることは否めません。
しかし、いずれにせよその背景には軍事力の圧倒的格差という問題があることは、
きちんと理解しておくべきでしょう。
そして、そのような圧倒的な軍事力の格差の中で行われる軍事攻撃は、
もはや戦争ではなく、一方的な「大量虐殺」に似たものになってしまう、
そんな可能性を秘めていると言えるでしょう。

いちおう私は「大量虐殺」と「戦争」は区別しています。
戦争は両者が戦い合うものです。
実際には両者の間で戦力の差があったとしても、
形式的には互いに対等に戦い合っています。
それに対して大量虐殺は一方が他方を一方的に殺戮していく行為です。
殺される側は武装した軍人ではなく、無辜の民である一般市民であり、
何らの対抗も抵抗もできません。
ナチスによるユダヤ人のホロコーストや、
ルワンダにおけるフツ族によるツチ族のジェノサイドなどがそれに当てはまります。

今回のハマスによるイスラエルへの攻撃は、
軍隊によって武力を用いて行われましたので、
(一般市民を人質に取るというのはいかにもテロっぽいやり方ですが)
これは戦争として始められたと判断すべきだろうと思っています。
しかし、イスラエルが反撃を始めた段階で、
戦況が一気に一方的になっていったのは当然の成り行きだったろうと思います。
そして、イスラエル側の攻撃は空爆が中心となりますので、
パレスチナ住民の側からするならば、
軍隊と軍隊の武力闘争というよりは、
イスラエル軍によるパレスチナ住民の大量虐殺と映ることだろうと思います。

授業の前半で武器の進化の話を紹介し、
飛行機が開発されたことによって戦争のあり方が一変したと話しました。
武力闘争と言えば、軍隊(軍人)と軍隊(軍人)が戦い合うことだったわけですが、
空爆という、軍隊による一般国民への直接攻撃も戦争の一手段となってしまいました。
私も空爆や、その他の軍隊による一般国民への直接攻撃は、
やってることは大量虐殺と同じだと思いますが、
それを「大量虐殺」と名付けて、その部分だけを戦争と切り離して禁止することは、
無理だろうと思います。
正戦論について考えてもらったときに、
軍隊のみ攻撃し一般国民への攻撃は行わないのが正しい戦争である、
と答えてくれた人がたくさんいましたが、
そんなところで線引きするのは不可能でしょう。
いったん始まった戦争は、勝つためには手段を選ばず、
正しくない(とされる)戦略・戦術も積極的に選択されるだろうと思います。

ご質問に対する答えをまとめると以下のようになります。
1.戦争は「大規模集団間の武力闘争」であり、
  大量虐殺は「ある集団が他の集団を一方的に殺戮する行為」であり、
  私は両者を別のものとして定義します。
2.戦争も大量虐殺も悪ですが、悪の程度からすると、
  大量虐殺のほうがより悪だと私は判断しています。
3.現在のイスラエルとハマスの軍事衝突は戦争として捉えています。
4.20世紀以降の戦争においては、軍隊による一般国民への直接攻撃という、
  大量虐殺に似た一方的な殺戮行為が、軍事行動として含まれることになりました。
5.したがって20世紀以降の戦争は正しい戦争ではありえず、
  すべて悪であり、否定すべきであると判断しています。

非暴力実践の認知度は?

2024-02-08 12:34:00 | グローバル・エシックス
「戦争と平和の倫理学」の最終回の授業が、
私のコロナ罹患のためにオンライン授業になってしまいました。
オンラインで寄せられた質問に対してはこの場でお答えしていきます。
まずは、つぎのような質問。

「非暴力の実践について、非暴力平和隊などありましたが、平和を願っている人類としてこのような活動があまり知られていないような感覚がありました。実際の認知度はどれほどなのか、また、日本のマスコミはこのような活動や非暴力の実践を取り上げないのだろうかと思いました。」

質問は2つありますね。
まず1つ目。

Q-1.非暴力実践の認知度はどれくらいですか?

これに対しては残念ながら正直に次のようにお答えするしかありません。

A-1.とても低いです。特に日本においてはほとんど知られていません。

その原因は大きく2つあると思っています。
1つは、日本の現政権が戦争できる国になることを目指しており、
その方向性でのプロパガンダを続けており、
それを支持する国民もひじょうに多いので、
それに反対する思想や実践は少数派のなかに埋没してしまうということ。

もう1つは、授業の中でも少しお話ししたことがありますが、
これまでの日本の平和運動というのは基本的に反戦運動として展開されており、
特に太平洋戦争(第二次世界大戦)の悲惨さを伝承することによって、
戦争を厭い、戦争に反対する心性を育むことを主眼としていました。
その反面、厳しい現実世界の中で、敵対的な国際関係に晒されたときに、
どのようにして平和を構築していったらいいかという、
具体的な運動論、実践論、政治論の視点が欠けていたと言えるでしょう。
ガンディーやキング牧師の平和運動のことは多くの人が知っていると思いますが、
どちらかというと暴力や戦争に反対した人物像ばかりが取り上げられていて、
どうやって非暴力によって暴力に対抗したのかという、
具体的な運動の中身のことはあまり伝えられていませんでした。
これら2つの理由により、非暴力実践の認知度が低いのだと思われます。

2つ目の質問にいきましょう。

Q-2.日本のマスコミは非暴力実践を取り上げないのか?

A-2.これまではほとんど取り上げられてきませんでした。

A-1のような情勢下ではA-2のような結果になるのは避けられないでしょう。
マスコミにとっては視聴率が取れてナンボですから、
国民の関心がそこにないのなら番組や記事にするメリットはないわけです。

ただそんな中で、NHKの『100分 de 名著』という番組で、
授業の中でも紹介した、
ジーン・シャープの『独裁体制から民主主義へ』が取り上げられました。
この1月にも再放送されたので、見た人もいるかもしれません。
見そびれた人はNHKオンデマンドで見ることができますし、
テキストも発売されていますので、
ぜひ見たり読んだりしてみてください。
この番組を作成したプロデューサーの言葉をこちらのサイトで読むことができますが、
その中で、「『100分de名著』という番組のミッションの一つは、戦争をなくすことである」
と公言されています。
こういうマスコミ人が増えていくならば、
A-2やA-1のような状況はどんどん変化していくものと思われます。
質問者の方も「平和を願っている人類」のお1人のようなので、
認知度が上がるのを座して待つのではなく、
自分の力でどうやって認知度を上げるか、
学校教員になったときにどうやって子どもたちに非暴力実践を伝えていくか、
自分事として考え、取り組んでいただければと思います。

職業選択の自由から高度産業化社会へ

2021-05-10 16:12:55 | キャリア形成論
前回、分業の説明をするときに、
狩りの得意な人は狩りだけを行い、
農耕の得意な人は農耕だけを行うようになった、と書きましたが、
現実には分業というのは個人単位の得意不得意で分かれていたわけではありません。
今の世の中では「職業選択の自由」がごく当たり前に認められていますが、
そんな自由は昔から認められていたわけではなく、
このほんの数百年の間に広がってきた本当に新しい文化にすぎないのです。

例えば江戸時代では士農工商が身分制度として確立していて、
農民の子は農民に、商人の子は商人になるように定められていました。
つまり、分業は身分と結びついた固定的な制度だったのです。
それは社会のあり方としてもある種、理に適ったシステムです。
農民の親が農業の知識を自分の子どもに伝えてあげれば、
子どもは最短で良い農民として育ちます。
文化を伝達するのには長い時間が必要なのですから、
生きていくのに必要な文化を親から直接教えてもらえれば、
無駄な時間を使わずにすみますし、
どの職業を選ぼうかなどと無駄に悩む必要もなくなります。
また、血統や素質という考え方からしても、
親の素質を子が受け継いでいるのであれば、
親と同じ職業に就いたほうがよりよく社会に貢献できることになるでしょう。
こうして分業化が進んだのちも、人類は長いあいだ、
身分と結びついた固定的な分業体制の下で生きてきました。

しかし実際のところ、教育の手間の問題は別として、
血統や素質(いわゆる遺伝)という側面は職業適性に関係あるでしょうか。
農家の子どもが植物栽培が好きだったり、得意だったりするとは限りませんし、
国王の子どもに生まれたからといって、政治の才能に恵まれているとは限りません。
兄弟姉妹が複数いれば、ひとりひとり素質や適性は異なっているはずです。
だとしたら、血筋とは関係なく、
個人単位でそれぞれにふさわしい職業に就いたほうが本人のためであり、
ひいては社会全体の生産性の向上に繋がるのではないでしょうか。
身分制社会が既得権益にしがみつく閉鎖的な社会であったことに対する批判もあいまって、
近代市民革命によって身分制からの解放が推し進められることになり、
しだいに職業選択の自由が認められるようになりました。

それは世界的に言ってもほんの数百年前の話ですし、
日本で言えば明治になってからのことですから、
まだ150年の歴史しかありません。
皆さんはどうですか?
生まれながらに職業が決められていた身分制の時代と、
職業選択の自由が認められた現代と、どちらの社会が好きですか?
江戸時代であれば、自分は何の職業に向いているんだろうと悩む必要はなかったし、
就職活動をして就職先を探すなんていう苦労も必要ありませんでした。
しかしその代わりに自分のやりたいことをやるという自由はなかったわけです。
どちらが幸福なのか、なかなか難しい問題です。

さて、職業選択の自由の社会になったことによって、
教育のあり方も変わってきます。
身分制社会であれば、家庭内で親から子へ、
家業に関わる知識や技術を伝達していればよかったわけですが、
子どもが何の職業に就くかわからないとなると、
職業に関する専門的知識を伝授しても意味がありません。
職業選択の自由が認められる社会においては、
何の職業に就いても必要となるような一般的、汎用的な知識や技術を、
すべての子どもに学習させておかなければなりません。
そうすると各家庭で親が子どもに伝えるのではなく、
子どもたちを一堂に集めて、
教育を得意とする専門家に任せたほうがよくなります。
それを行う場として学校が設置されることになりました。
かくして現在のような教育システムが構築されたのです。

産業革命以後、社会の変化は激しくなっていきます。
工業化が進んで第二次産業が中心となった時代には、
時間通りに規則正しく工場生産に従事できる人材が求められました。
そのためには基本的な「読み書きそろばん」の能力を身に付けて、
指示やマニュアルどおりの工程をこなせなければなりません。
学校の授業が時間割にしたがって進められていくのもその頃の名残です。
しかし、機械化やオートメーション化が進んでいくと、
単純な工場労働は減っていきます。
新しい製品を開発したり、販路を開拓したりといった、
創造的な仕事が求められるようになります。
そうした仕事に対応する能力は義務教育だけでは身に付きませんので、
先進国では多くの若者が高等教育を受けるのが普通になっていきます。

産業の中心は重工業からさらに第三次産業へとシフトしていきます。
そうなると社会の変化はますます速くなっていきます。
船や車など形ある物はどんなに進歩したとしても限りがありますが、
無形のサービスは無限に変わり続けることができるからです。
そして、計算機がパソコンに進化を遂げ、
電話機が携帯電話へ、そしてスマートフォンへと進化を遂げたとき、
人類はまったく新しい段階に突入しました。
高度産業化社会とか、知識基盤社会とか、情報化社会と呼ばれる社会です。
これからの社会の変化は、これまでとはケタ違いになっていくでしょう。
職業選択の自由はあいかわらずあるわけですが、
子どもの頃に憧れた職業が、
大人になったときにも存続しているかどうかわかりません。
逆に、聞いたこともないようなまったく新しい職業が現れて、
それが人気の職種になっているかもしれません。

そのような時代において求められるのは、
高等教育において得られる専門的知識だけではありません。
専門的知識もどんどん更新されていってしまうからです。
それよりも重要なのは変化に対応できる力です。
それは言い換えると「解のない問いを考え抜く力」と言っていいでしょう。
これからの時代において、どんな商品を開発すれば、
どんなサービスを提供すればうまくいくのか、
誰にも正解はわかりません。
正解がないからといって考えなくていいかというとそんなことはなく、
何とか自分なりに正解に近づいていかなくてはならないのです。

どの職業に就いたらいいのか、そのために何を学んでおいたらいいのか。
これにも正解はありません。
正解はありませんが、考えなくてはなりません。
親や先生や先輩の言ったとおりにしていれば何とかなる、
という時代はとっくの昔に終わりを告げました。
自分なりに情報を集めたうえで、自分なりに考え抜いて、
これからのキャリアを築いていってください。

分業から貨幣経済へ

2021-05-10 16:09:42 | キャリア形成論
農耕のおかげで食料を大量に生産し、保存・貯蓄できるようになった人類は、
みんながみんな日々の食料の確保に汲々とする必要がなくなります。
こうして分業と物々交換が始まります。
狩りが得意な人は狩りだけを行い、農耕が得意な人は農耕だけ行い、
大量に獲れた獲物や穀物の余剰分を物々交換することによって、
双方が豊かな食生活を送れます。
さらには狩りや農耕などの食料確保(いわゆる第一次産業)には関わらず、
弓矢や鍬や土器といった道具だけを生産して、
それを食料と交換して生きていく第二次産業従事者も現れてきます。

こうなってくると毎回毎回それぞれが獲れた物、作った物を持参してきて、
直接交換するというのが面倒になってきます。
せっかく持っていっても互いに欲しい物がうまくマッチするとは限りませんし。
そこで発明されたのが「おカネ」という文化です。
それぞれが生産した物そのものではなく、
その代わりの何か(石やら貝殻やら金属など)を交換の基準とし、
それとの引き替えによって交換を成立させるという画期的なシステム、
いわゆる「貨幣経済」というものが生み出されたのです。
(貨幣の起源については諸説ありますので詳しくはこちらこちらを参照。
 最近では物々交換社会もなかったという説が主流のようで、こちらこちら参照。)

それに伴い、食料生産(第一次産業)でもなく、道具の生産(第二次産業)でもない、
新しいタイプの仕事、第三次産業が生まれてきます。
その代表が、貨幣を介した交換を仲介する商業です。
実際に物を生産することなく、物を仲介するマージンで生計を立てる商業は、
多くの国で低い地位を与えられていました。
日本でも士農工商と四身分のうち最下位に置かれていました。
しかし、最高位にある「士(=侍)」も、本来の仕事は防衛であり、
江戸時代にあっては主たる役目は政治だったわけですが、
いずれも物の生産に携わるわけではない第三次産業です。
つまり、第三次産業というのは何らかのサービスを提供することによって生計を立てる仕事であり、
それが成り立つためには貨幣経済が成立していることが前提となります。

皆さんは「働く」というとおカネを稼ぐことと思っているのではないでしょうか。
しかし、アウストラロピテクス以来400万年の人類(ヒト属)の歴史のなかで、
人間がおカネを使うようになったのは、ほんの数千年前からのことにすぎません。
本来「働く」というのは、エサを捕る、食料を生産するということでした。
農耕という文化によって食料が安定的に供給できるようになり、
貨幣経済という文化によって、
お店におカネを持っていけばいつでも食料その他を手に入れられる、
という仕組みが作られたがゆえに、
皆さんは野山を駆けまわって狩りをしなくてすんでいるのです。
農耕も凄かったですが、おカネなんていうものを発明した人も凄いですよね。
今私が研究や教育という仕事に専念していられるのも、
ひとえにおカネを発明してくれた人のおかげです。
日々感謝しながら生きていきたいと思います。

狩りから農耕へ

2021-05-08 13:18:46 | キャリア形成論
図の一番左側の列を説明していきます。
森から出たサルははじめのうち狩りをすることによって食物を得ていたわけですが、
狩りというのは大変です。
常に狩りが成功するとは限りませんし、
それ以前に、いつも獲物が見つかるとは限りません。
獲物に出会えなかったり、狩りに失敗したりすると、
その間ずっと飢えていなくてはならないのです。
食料を確保できないかもしれないというのは、
生物にとって常に存亡の危機にさらされているということです。

この問題を根本的に解消したのが、
「農耕・牧畜」という新しい文化でした。
狩りとの類比でわかりやすいので牧畜を例にとって説明すると、
狩りというのは捕まえた獲物を全部食べてしまう文化です。
これを続けていると食料の安定供給はできません。
そこで狩りをして大量に獲物を捕らえたときに、
獲物を全部食べてしまわずに、オスとメスを残しておいて、
このつがいが逃げてしまわないように、
柵か何かの中で飼育し、自分たちの管理下で子どもを産ませます。
その子どもが大きく育ったら食べるのですが、
その時もまた全部食べてしまわずに、オスとメスを残しておくのです。
これを無限に繰り返すのが牧畜であり、
これによって人類は日々の食料確保の問題から解放されるのです。

同じことを動物ではなく植物で行うのが農耕になります。
採れた植物をすべて食べてしまうのが採集生活ですが、
全部食べてしまわずに種を少し残しておいて、
自分たちの管理下で栽培して収穫し、
そしてまた植えるということを繰り返すのです。
牧畜も画期的な文化でしたが、
農耕のほうはさらに飛躍的な発展を人類にもたらしました。
穀物は食べる時に加熱する必要がありますが、
加熱しなければかなり長い期間保存しておくことができるからです。
人間は農耕によって、今日や明日の分だけでなく、
何年も先までの食料を収穫し蓄えておくことができるようになりました。
もはや目先の食料の確保に日々追われる必要はなくなったのです。
これにより人類は食料確保以外のことに時間を割けるようになり、
人間の文化は一気に花開いていくことになります。

文化のことを英語で culture と言いますが、
culture は「耕す」という言葉、つまり「農耕」という言葉に由来します。
農耕は人類が生み出した文化のひとつですが、
人類の歴史を大きく変えた最も偉大な文化であり、
文化の中の文化、「The 文化」と言っても過言ではなく、
したがって農耕を意味する culture が、文化全般を意味する言葉にもなったのです。

農耕というのがどれほど凄い文化であったか理解いただけたでしょうか。
今後のブログ記事で説明いたしますが、皆さんが職業選択の自由で悩めるのも、
元はと言えば、人類が農耕という文化を生み出したおかげなのです。
もしもそれがなかったら、皆さんは今ごろ大学で学ぶどころか、
小中高で学ぶことすらなく、毎日ひたすらその日の食料を確保するために、
狩猟採集に走り回っていたことでしょう。
誰だかわからないけれど農耕という文化を発明してくれた祖先に、
日々感謝しながら大学生活を送ってください。

死の受容と人の死

2021-01-11 22:35:50 | 生老病死の倫理学
先に(こちら)、人の死の構成要素として、
①回復不可能性 (=不可逆性)
②残存意識の消滅
の2つが不可欠だという話を書きました。
その2つに加えてさらに、「家族による死の受容」 という問題もあるのではないかという話を、
以前にちらっと書きましたが、
その後よく考えた結果、それは死の構成要素としては不要であるという結論に達しましたので、
ここではそれについて書いておきます。

そもそも 「死」 の受容なわけですから、
受容できるか否かの前に 「死」 が確定していなければならないはずです。
家族が死を受容できるかどうかによって死んだかどうかを決めるというのは、
論理学的にいって本末転倒(論点先取の誤謬)なわけです。

たしかに脳死の場合、まだ心臓は動いていますし、身体も温かいですから、
それが死だと言われてもそれを受け容れにくいということはあるでしょう。
しかし、脳死でなくて心臓死だったとしても、例えば突然の死だったりした場合には、
家族はその死を受容することは難しいでしょう。
家族が死を受容できないからといって、それが死ではないとは言えないはずです。
したがって、家族による死の受容という問題は、
人の死とは何かを決定するという場面には無関係であって、
別の文脈のもとで論じられるべき問題だと言うことができるでしょう。

ただし、家族による死の受容のためにも、
死の判定は確実であるべきだ、とは言えると思います。
もしも死の判定が不確実で、ひょっとすると回復するかもしれなかったり、
ひょっとするとまだ意識が残っているかもしれなかったりするならば、
それを死として受容するのは家族にとっては至難の業でしょう。
絶対に回復はしない、絶対に残存意識はない、
その2つを前提とした上で死を受容できるかできないかという話になるのであって、
回復するかもしれない、意識が残っているかもしれないという段階で、
それを死として受容しろというのはいくら何でもムリな注文です。

私は死の定義や死の判定方法を考える際には、
自分だったらと考えるべきではなく、
自分の家族(愛する人)だったらと考えて、
自分の家族の死の定義や判定方法として受け入れられるものであるかどうか、
ということを大切にするべきだと思っています。
それは、家族による死の受容という問題を死の定義に含めるということではなく、
自分に関する死の判断は、「そうなったら(大事な活動ができなくなったら、寝たきりになったら等々)
もう死んだも同然」という個人的価値観に左右される部分が大きいのに対して、
家族の死に関しては、回復の可能性はなくもう絶対に死んでいるのかどうかという、
より客観的な死の概念が必要となってくるからです。

ですので、死の定義と死の判定方法はとにかく厳密かつ確実であるべきだ、
というのが私の意見です。
そして、人工呼吸器や人工心肺装置が開発されてしまった現在においては、
心臓死はもはやその厳密かつ確実な死の定義や判定方法とはなりえない、
したがって心臓死よりも確実な死の定義・判定基準として、
全脳の器質死としての脳死を人の死とすべきであるというのが私の考えです。

脳死・臓器移植の件数2020

2021-01-11 18:11:44 | 生老病死の倫理学
脳死・臓器移植の件数はずっと数え続けているのですが、
ブログで報告したのは2014年が最後だったようです(こちら)。
後期に開講している基盤教育「倫理学」 の授業が1月からまた遠隔開講になってしまったので、
これを機にブログ記事を更新しておくことにします。
いつもの臓器移植ネットワークのサイトで調べた数値です。
臓器移植法が施行されてからの各年の移植件数を記していきます。
2010年7月に改正臓器移植法が施行されたので、
その前後で比べてみましょう。

1997年  0件
1998年  0件
1999年  4件
2000年  5件
2001年  8件
2002年  6件
2003年  3件
2004年  5件
2005年  9件
2006年 10件
2007年 13件
2008年 13件
2009年  7件
2010年 32件 (改正前3件、改正後29件)
2011年 44件
2012年 45件
2013年 47件
2014年 52件
2015年 57件
2016年 64件
2017年 77件
2018年 68件
2019年 98件
2020年 69件
通算   736件(改正前86件、改正後650件)

2014年に書いたブログ記事の時と、
若干数値が変わっているところがあります。
今、調査中ですが、ブログを書いた当時は正しくカウントしたつもりです。
臓器移植ネットワークのデータがのちに修正されることがあるので、
そのせいかもしれません。

法改正前は毎年10件足らず。
2006年に初めて2ケタに到達しましたが、
それでも10数件程度でした。
臓器移植法が改正されてから30件を超え、
その後はコンスタントに伸びていき、
2019年には3ケタに届きそうなところまで増えました。
改正前までの13年間で86件。
改正後の11年で650件。
合わせて計736件です。
やはりドナーカードなしで臓器移植ができるようになった効果は高かったと言えるでしょう。

皆さんの予想は合っていたでしょうか。
意外と、法改正前後でそんなに変わらないと予想した人や、
いずれも実際よりも少なめに見積もっていた人が多かったです。
昨年度までは少なめに見積もる人はむしろ少数派で、
ほとんどの人が1,000件とか10,000件とかかなり多めに見積もっていたのですが、
今年は現実的かつ悲観的な人が多いのでしょうか。
いずれにせよ、日本ではまだまだ諸外国に比べて脳死・臓器移植の実施数が少ないのはたしかです。
これを今後どうしていくか考えながらこのあとの講義を聴いてみてください。