実写映画版 『図書館戦争』 を見てきました。
いやあよかったですねぇ。
原作を先に読んじゃってたもんだから、原作優位派の私としてはあまり期待してなかったんです。
実はアニメ版 『図書館戦争』 はすでに見ていたんですが、こちらは全然ダメでしたね。
各キャラクターの絵はとても上手く雰囲気を表していると思うし、
ストーリー的にも基本的に原作に忠実にアニメ化されているんですが、
でも全然ダメだったんです。
たぶん有川浩っていう作家は登場人物の内面描写を得意としていて、
表に出てくるセリフと心の中で思っていることのギャップにこそ真骨頂があるのですが、
だから、そのセリフ部分だけを忠実にたどっていっても、
有川浩の描いた世界を再現することはできないわけです。
本人のあとがきによればこの小説は 「月9連ドラ風で一発GO」 というコンセプトで出発したそうで、
「図書館」 で 「戦争」 というむちゃくちゃな舞台設定にもかかわらず、
描きたかったのは甘々な恋愛ドラマだったのだそうです。
それはみごとに成功していて、言論・出版の自由とか武力による自由の防衛の可否といった、
ひじょうに硬派なテーマを織り交ぜながらも、根幹は登場人物ひとりひとりの心のひだを描く、
よくできた恋愛小説として仕上げられていました。
その部分をアニメ版 『図書館戦争』 は残念ながら描き切れていなかったのでした。
ですので、アニメ版をそのまま実写化しただけであれば、
映画 『図書館戦争』 も同じ轍を踏んでしまうだろうなあというのが私の予想だったわけです。
そういう私の予想はいい方向へもののみごとに裏切られました。
脚本家にはスタンディング・オベーションしてあげたいです。
監督と脚本家はたぶん私と同じ感想をアニメ版に対してもっていたのではないでしょうか。
そして、これを実写映画化するにあたってどう料理したらいいか、ものすごく悩んだことでしょう。
その結果としてアクション映画に特化するという道を選択したのだと思います。
主人公と王子様という基本設定は譲れませんが、恋愛系のエピソードは極力カットして、
2時間の尺に収まらないよけいな話も大幅に書き換えて、
小田原の攻防にいたる図書館の戦争を実写化することに主力を注いでいました。
そして、小説を読んだときに読者の誰もがちょっと肩すかし感を抱いたであろう、
ラストの誘拐事件におけるあっさりした解決の部分を全面的に改変して、
アクション映画 『図書館戦争』 のラストにふさわしい戦闘シーンに仕立て上げていました。
いや、本当にみごととしか言いようがありません。
小説を読んでいない人も読んだ人もどちらも同じように楽しめる、
小説とはまったく異なる 『図書館戦争』 の世界が作り出されていました。
ホームページには 「観客満足度98.2%」 とありましたが、その数字も十分納得できます。
原作を先に読んでいたにもかかわらず、あとから見た映画版をこんなに誉めたの初めてじゃないかな?
先日、映画 『阪急電車』 に関してキャスティングに文句つけましたが、
この映画のキャスティングは何と言ったらいいんでしょう、
ブラボー&ブーイングのプラスマイナスゼロといった感じでしょうか。
とにかく核となる4人は素晴らしかったです。
特に主役の岡田准一と榮倉奈々は文句なしです。
岡田准一はホントに榮倉奈々と並ぶとあんなに小さいんでしょうか?
ひょっとすると特撮やらCGやらを駆使しているのかもしれませんが、
笠原郁と堂上教官をみごとに実写化していました。
アニメなんてその点いくらでも大小描き分けられただろうに、
「チビ」 の堂上教官をあまり表現し切れていませんでした。
手塚と柴崎もナイスキャストだったと思います。
小説のなかでは柴崎麻子が一番好きなキャラクターだったので、
それで言うとアニメの柴崎のほうが小説の柴崎に近く、
栗山千明はキャスティング的にはいい線行ってるのですが、
もうちょっと陰のあるところを演じてほしかった気もしますが、
そのへんは脚本上すべて省略されていたのでしかたのないところでしょう。
とにかくこの4人はよくぞ選んできたという感じです。
あとはすべてことごとくダメでした。
小牧も玄田も司令も違和感しか感じさせないんだよなあ。
小牧はもっとすっきりとしたいい男でしかもクールな感じでなきゃいけません。
あれじゃあただの気のいいおニイちゃんだよなあ。
玄田はとにかくもっと身体のデカイ人でなきゃいけないし。
まあアニメの印象が強すぎるのかなあ。
しかし、何と言っても一番意味わからなかったのは石坂浩二です。
まず、登場人物に大きく変更を加えられているのが、関東図書基地司令の稲嶺和市だけでした。
原作では 「日野の悪夢」 を生き残った稲嶺和市が関東図書基地の司令を務めているわけですが、
映画では稲嶺はそのときに亡くなり、仁科とかいう小説には出てこなかった生き残りが、
関東図書基地の司令になったというふうに変えられています。
そもそもこんな設定変更をする必要がどこにあったのでしょうか?
そして、遺影でしか登場しない稲嶺が児玉清で、この新しい人物・仁科が石坂浩二なんです。
そのまま児玉清の稲嶺でいいじゃないですか。
石坂浩二なんかよりはるかに適役だったと思うなあ。
とここまで書いてきてハタと思い当たることがあり、ウェブ検索してみました。
そうしたら監督のインタビュー記事がヒットして、
こんなふうに書かれていました。
「図書隊の祖・稲嶺司令は、
原作の文庫版で有川さんと対談されていた故・児玉清さん以外考えられないという
有川さんの思いをくみ、仁科基地司令という映画オリジナルの人物を登場させ、
児玉さんと親交があった石坂浩二さんがその役にふんし、
児玉さんも稲嶺司令として写真による出演をするなどの心憎い演出がなされている。」
あれ? 児玉清さんって亡くなっていらっしゃったんですか。
そういえばなんかそんなニュースを聞いたことがあった気がして調べてみることにしたのでした。
そして有川浩も稲嶺司令は児玉清しかないと考えていらっしゃったのですね。
そこまでわかった上での仁科の登場だったのですね。
なるほど、たいへん失礼いたしました。
まあでも、できれば児玉氏の稲嶺司令を見てみたかったですね。
とまあ、キャスティングには若干の不平があるものの、
主役の2人が完璧にはまってたからオールOKといたしましょう。
今見た監督のインタビュー記事によれば、雑誌の読者投票による仮想誌上キャスティングで、
ふたりは1位を獲得していたのですね。
そして、そのことを知らないままこの2人がみごとにキャスティングされていたという。
誰がどう見てもこの2人でしかありえない映画化だったわけですか。
素晴らしい
見ようかどうしようか悩んでいて先送りにしていましたが、
思い切って見てみてよかったです。
『SP』 以来の岡田准一のアクションシーンは見応えがありました。
先の記事には 「映画化に当たり、原作では控えめだった恋愛線が強調され、
戦争アクションとしてはもちろん、恋愛ドラマとしても楽しめる仕上がりになっている」
と書かれていて、私の感想とズレていますが、
たぶん私の読みのほうが当たっているんじゃないかなあ。
2人のうちどちらか1人を選べと言われたならば、
小説であれば絶対に笠原郁が主役であり、したがって恋愛ドラマが中心ですが、
映画のほうは一番最初のクレジットが岡田准一でした。
それはやはりこの映画が第一義的にはアクションものとしてリメイクされているからでしょう。
久々に、いや初めてと言っていいくらい、小説 → 映画の順番でも、
両方を素直に楽しめる楽しいひとときでした。
もうすぐ終わってしまうかと思いますが、まだの人はぜひ大スクリーンでお楽しみあれ。
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