天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

山田盟子著『従軍慰安婦』映画監督小津安二郎は戦地便りで”酩酊力を借りなくては近よりがたい朝鮮舞姫”と

2013-07-02 21:17:15 | 日記
今日の日記は、今読んでいる山田盟子著『従軍慰安婦「兵備機密」にされた女たちの秘史』(2006年・光人社NF文庫版)に書かれている慰安所のことです。添付している写真は、その表紙です。
私は、<韓国人従軍慰安婦が日本軍に強制連行された>と韓国政府が主張している歴史的事実捏造問題に関して、いろいろな著作(それを援護する筆者のも含めて)を収集して、私なりに調査・検証しています。
その一環で、1993年1月(朝日新聞が告発する直前か?)に上梓したジャーナリスト山田盟子氏のこの著作(韓国人従軍慰安婦は強制連行されたと主張)を、今自宅で読んでいます。そのなかで、私がとても興味を持った慰安所関係の記述一部を、以下に引用・抜粋します。
『南京も、慰安所が開かれ、下関の第六師団管区では、一旗組の須川昭なども慰安所経営を許されている。彼の開いた慰安所の値段は、朝鮮人慰安婦で八十銭、中国慰安婦で七十銭、下士官一円五十銭、将校三円、泊まり十円だった。・・市内にはまたたく間に、慰安所や将校用慰安所が増えていった。・・次ぎは、棟田博が記した映画監督小津安二郎軍曹の戦地便りにある慰安所風景である。「これが押すな、押すなの大繁盛であるが、猛り狂う意馬心猿をもち、聞くによほどの酩酊力を借りなくては、うかうかと近よりがたい朝鮮の舞姫たちである」・・当時、中国大陸における相場は、前借のない慰安婦で楼主が三、慰安婦七、五百円以下は業者四、慰安婦六、千円以下は五分五分、三千円以下は業者六、慰安婦四、三千円以上は業者七、慰安婦三であった。・・昭和十一年、鹿児島県警部長坂信弥が、鹿屋海軍航空隊を重要な基地と見て、基地航空隊長服部の申し出通り、慰安所設置にのりだしていた。坂は、「かわいそうだ。飛行機に乗って、そのまま死ぬかもしれぬ若者なのだ。ぜひ、男にしてやりたい」と語っている。この坂は、敗戦時に元近衛内閣が押した警視総監で、進駐軍用慰安所をつくるのに、さかさとんぼになって立ち働いた男である。』
この著者は、韓国人従軍慰安婦は日本軍に強制連行されたとする韓国政府の主張に賛同しています。しかし、その自己の主張を補完する証拠や証言を、この著書にはあまり引用していません。逆に、慰安所は民間業者が運営しており、韓国人慰安婦の値段や楼主との配分相場、映画監督の小津安二郎が語った”朝鮮人慰安婦には酩酊していなければ利用できない”とのエピソードなどを、自著で紹介しています。
だから、これらの事実では、『韓国人慰安婦は日本軍に強制連行された』とは、全くならないです。また、終戦時の対応をした坂信弥警視総監を”さかさとんぼ”と表現していますが、著者は全く歴史的な事実を理解していないです。
坂信弥警視総監は、<1945年8月19日。東久邇内閣の近衛文麿副総理が、坂信弥警視総監に対して「君が先頭に立って、日本の娘の純潔を守ってくれ」と懇願>したから、その懇願に沿って、進駐軍用慰安所を造ったのです。その根拠として、私の5月19日付日記『橋下代表”世界各軍に慰安婦制度があったは事実”発言傍証は広岡敬一著「戦後性風俗大系―わが女神たち―」』を参照して下さい。
私は、この著書を読んで、やはり”韓国人従軍慰安婦は日本軍に強制連行された”との歴史的事実は無かったと、今強く確信しています。
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