天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

橋下代表”世界各軍に慰安婦制度があったは事実”発言傍証は広岡敬一著『戦後性風俗大系―わが女神たち―』

2013-05-19 18:42:22 | 日記
今日の日記は、最近の従軍慰安婦問題で、日本維新の会共同代表・橋下徹大阪市長が発言した『事実として、言うべきことは言っていかなければならない。慰安婦問題だってね。日本国軍だけでなく、世界各国の軍にそういう制度があったのは厳然たる事実。』に関する傍証、私の知っている補足資料・文献の公表です。
私は、橋下代表の非難されている一連の発言は、基本的には正しいことを言っていると思っています。ただ、相手を説得する資料や説明を判り易く提示せず、単にツィスターなどでつぶやくだけでは、逆に誤解されてしまいます。だから、私は、橋下代表が発言した”世界各国の軍にそういう制度があったのは厳然たる事実”を補足する文献を皆さんに自身の日記で紹介します。
その文献は、広岡敬一著『戦後性風俗大系―わが女神たち―』(朝日出版社・2000年刊)に記載された<1945年9月28日にGHQの軍医総監が東京都に対し占領軍兵士に提供する女性の調達命令>のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。以下に、それに関連する一部の記述を引用・掲載します。
『今、従軍慰安婦の問題がアジアの諸国から激しく批判されているが、その是非はともかく、こうした詮議に往々にして欠落しがちなのが時代背景だ。もともと日本は歴史的には、”売春公認”のお国柄であった。江戸の昔から”遊郭”があったし、戦時中には占領下の国々に”慰安所”があった。強制的かどうかを別にすれば、それまでは「売春は罪悪」という時代ではなかったのである。・・1945年8月19日。東久邇内閣の近衛文麿副総理が坂信弥警視総監に対して「君が先頭に立って、日本の娘の純潔を守ってくれ」と懇願している。・・東京の花柳界の代表は、これに応えて8月26日、「特殊慰安婦設備協会」を正式に設立。・・翌27日には大森海岸の料亭「小町園」を慰安所第一号に指定して、開業の準備を始めた。・・連合軍司令があらかじめ決めていた東京進駐の日程は、9月8日だった。しかし、米兵がジープで「小町園」に乗りつけたのは慰安婦たちが到着した日(28日)の夕方だった。予定よりも11日も早かったことになる。・・「特殊慰安婦設備協会」(RAA)経営の慰安所は、「小町園」を皮切りに、東京だけで25ヶ所。それを含めて全国の公的な慰安所は、約45ヶ所。慰安婦の数は東京で千三百六十人、全国であは四千人を超えた。・・米兵たちは、吉原や新宿二丁目の遊郭にも出没するようになる。・・皮肉にも、敗戦と戦災で廃墟と化していた東京の遊郭が、占領軍兵士相手の商売で息を吹き返したのである。わずか4か月の間に都内で9ヶ所の遊郭が商売を再開した。これは、占領軍総司令部(GHQ)の意向でもあった。9月28日、GHQの軍医総監が東京都に対し、占領軍兵士に提供する女性の調達を命令。ついで、売春婦の「性病予防規則」の立案も要請した。東京都はこれに応え、10月22日「占領軍兵士を相手にする女性の性器の洗浄と定期的な検診の義務付け」を盛り込んだ規則を制定する。戦後都政が発令した第1号の条例である。にもかかわらず、米兵が持ち込んだと思われる性病が、慰安所と遊郭の女性の間に蔓延する。感染者は、慰安婦の60%にも達した。』
このように、戦後の売春は、GHQの意向に沿った日本政府の占領軍対策から始まったのです。だから、橋下代表が”自国の事を棚に上げて、日本だけを批判するアメリカはアンフェアだと指摘しなければならない。アメリカはフェアを最も重視する国のはずだ。”と反論するのも至極当然のことです。
そして、広岡敬一氏がこの自著で指摘している”従軍慰安婦問題に欠落している時代背景”を、現在その捏造した事実を言わなく批判する全世界の人々(日本人を含めて)に、その現実を直視してもらう必要を、私は今強く痛感しています。

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