9月24日
朝9時半に集合して岐阜駅での展覧会の展示説明会を行いました。説明会と言ってもインスタレーション等の特殊な展示形態の作家にだけ集まっていただいたものです。
特殊な展示となる作品については、その展示許可申請を関係部署から得るためにも作家自身が現場を見て具体的な構想が見えてこないと申請する事も出来ないため先行して行いました。。
また、昨年度に行った岐阜駅での展覧会の経験から、彫刻や絵画等のオーソドックスな作品の展示に付いては10月に入ってからの参加者説明会での説明で十分と判断しました。
しかし、こうして大人(社会人)が集まって公園等で自分の作品展示に夢を膨らませワイワイガヤガヤの雰囲気をそばで見ていたのですが、何とも微笑ましく子供みたいでしたね。
国や歴史、社会情勢がどのように異なっていても自然発生するのが芸術の特性だと思うので、構造改革とか不況とかいろいろな変化があったとしてもこうした雰囲気は絶えはしないと思います。でも、こうした雰囲気を許さないような社会情勢が訪れないよう願いたくなるのは、今のご時世の根本にある「不安」を感じての事と思うのは考え過ぎだろうか?
朝9時半に集合して岐阜駅での展覧会の展示説明会を行いました。説明会と言ってもインスタレーション等の特殊な展示形態の作家にだけ集まっていただいたものです。
特殊な展示となる作品については、その展示許可申請を関係部署から得るためにも作家自身が現場を見て具体的な構想が見えてこないと申請する事も出来ないため先行して行いました。。
また、昨年度に行った岐阜駅での展覧会の経験から、彫刻や絵画等のオーソドックスな作品の展示に付いては10月に入ってからの参加者説明会での説明で十分と判断しました。
しかし、こうして大人(社会人)が集まって公園等で自分の作品展示に夢を膨らませワイワイガヤガヤの雰囲気をそばで見ていたのですが、何とも微笑ましく子供みたいでしたね。
国や歴史、社会情勢がどのように異なっていても自然発生するのが芸術の特性だと思うので、構造改革とか不況とかいろいろな変化があったとしてもこうした雰囲気は絶えはしないと思います。でも、こうした雰囲気を許さないような社会情勢が訪れないよう願いたくなるのは、今のご時世の根本にある「不安」を感じての事と思うのは考え過ぎだろうか?