飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

「悪魔のDNAー園子温」(速水由紀子・著)を読む

2013-11-29 | Weblog

いったい現役の日本の映画監督の伝記のようなものが書かれるなんて今まで何人あったのでしょうか?書かれたその人の名前は園子温。最近、私がすっかり惚れ込んでいる映画監督の一人です。ここまで熱狂させる監督はあまりいません。50歳にしてそうした人に出会えたことに感謝です(といっても実際にあったことはないのですが。出会いとは作品との出会い)。私と同世代の園子温監督ですが、全くすごい。ジェラシーさえ感じますし、お前は何して生きてきたんだと強く訴えかけてきます。以前も書きましたがサラリーマンを何年もやっていると組織の論理が染み込んでいます。中庸を取るサラリーマン、園子温監督を見ているとそう感じざる得ません。この本は速水由紀子という方が書いた園子温の伝記のようなものです。園監督に心酔した一人のライターが書いた園子温の人物伝なのです。これは凄いことです。それだけ吸引力を持った人物であるということです。しかし、残念ながら私はこの本を読んであまり心が踊ることはありませんでした。なぜでしょう。やはり私が求めているのは逸脱する男のハートのようなもので、そこが生々しく書かれている部分がなかったからだと思います。無難におさまっていました。それはそれで、充分面白いのですが、園子温となるとそれ以上を求めてしまう所があります。毒を求めているのでしょうか?あったことが無く映画と著作からしかその人物は正直わからないのですが、思うに園子温という男は、根は真面目なのに逸脱を求める男であり、逸脱することこそがその真面目さのあかしと本能的に感じているのではないでしょうか?真面目な部分(=謙虚な部分とも言えると思うが)がないと長編の映画なんて作れないでしょう。だって根が不真面目な大工が一軒の家を建てることができますか?途中で投げ出すか、手抜き工事をするのではないでしょうか?立派なオリジナルな家を建てるには真面目な部分がないと無理でしょう。そう思います。でも建てた家は誰にも真似ができない斬新な家。つまり常識的な視点ではなくどこか逸脱した視点を持たないと、人が驚くような家を建てられません。園子温はそれを生き様として実践しそのエッセンスを映画に盛り込んでいる、そんな気がしてなりません。ですから私が彼に求めるのは逸脱であり、その核心の部分なのです。本音というか。17歳の少年が家出する。その根本にあるものは?家族との確執などいろいろあると思うけれど、本能的に求めるのは女性となんとかHをしたい!童貞を捨てたい!それは本能の叫びです。そこにいろいろな確執が彩られてくる。で、実行したらホラー映画のような展開になるという…。これこそが神話というものですし、作品がそれと共震するのです。かつてロックの大御所・矢沢永吉が、同じく夢をみて高校卒業と同時に広島から夜行列車で東京に向かうも、お尻が痛くなりなぜか横浜で降りた。その偶然降りた横浜からキャロルが生まれる、矢沢永吉となっていく…、この矢沢永吉の神話は間違いなく彼の歌と共震しファンはそれを受け取っているはずなのです。それと同じような神話とそれに並列してある作品こそが、園子温の魅力なのだと思うからです。この本はそうした逸脱することによって生まれる神話性を表現しえなかったと感じたのがちょっと残念でした。でも充分面白かったのも確かですが。

悪魔のDNAー園子温
速水由紀子
祥伝社
非道に生きる (ideaink 〈アイデアインク〉)
園 子温
朝日出版社
けもの道を笑って歩け
園子温
ぱる出版

 

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