にあんちゃん(1959年)
■製 作:日活
■製作年:1959年
■監 督:今村昌平
■出 演: 長門裕之、松尾嘉代、沖村武、前田暁子、北林谷栄、他
題名にもなっている、二番目のあんちゃん、高市こと“にあんちゃん”はとにかく力強い。今我々が忘れてしまっている芯からの力強さだ。これがこの映画の大きな特徴にもなっている。
そんなにあんちゃんの力強さを示した印象深い場面をピックアップすると、生活費に困窮し少しでもその足しにしようと地域の演芸大会に参加する。賞金のラジオをかっさらってそれを売ろうという算段だ。にあんちゃんは長兄をけしかけて舞台に上げる。にあんちゃん自らも率先して立ち上がり身振り手振りで観客席を盛り上げる。
にあんちゃん、お昼に食べる弁当がない。この飽食の時代子供でさえ糖尿病がはびこる今、弁当がないという現実だ。学校の生徒達、皆がお昼を食べている間、にあんちゃんは鉄棒にぶら下がりグッと堪えている。
にあんちゃんはアルバイトをしたいと鉄屑集めを始める、小学生にもかかわらず。そしてトロッコに乗りながら語るは将来の夢。医者になって貧乏人をタダで見てやりたい。目的はどんなに貧しくてもお金ではなく人助けなんだ。
こういった小さな力強いエピソードを重ねながら、にあんちゃん・高市は東京に行くと決心する。そして本当に行ってしまう。その行動力、そのひたむきさ、ボクはにあんちゃんの一つ一つの行動に素直に感動した。観ていて連想したのは、「スタンド・バイ・ミー」のリバー・フェニックスだ。(顔はリバーの方が男前だけど・・・)
ガンバレ!にあんちゃん!!とエールを送りたくなる。
そして、もうひとつこの映画を特徴づけているのが“別れ”である。人生に必ずつきまとう別れ。それはつらい感情を呼び起こす。しかし、人はこの別れを経験すればする程強くなっていくものでもあるし、逆にその別れが終生つきまといその呪縛から逃れられないこともある。それがトラウマとなって人格の形成にも多大な影響を及ぼすことだってある。
この映画には“別れ”がいっぱい詰まっている。時に妹の末子は、いつもこの別れを見送る立場として登場して、その幼い年齢から観るものに涙を誘わずにいられない。いきなり父との別れから映画は始まる。そして出稼ぎにいく長男・喜一を見送る。遠足で来た土地では、その地で働く姉に会おうと必死で探すが会えず、劇的にバスの車上から会うことが出来る。
しかし非常にも数言かわすだけでバスは出発だ。バスの窓から手を振る末子が痛々しい。今度はにあんちゃん・高一が東京へ行くという。幼い末子はいつも見送るばかりだ。それが観ていて胸を突く。映画はけっして悲しみを煽るのではなく、いつも明るさに満ちている。だから末子もそういった辛い別れの経験もプラスに転化して力強く生きていくのだろうと思わせる。
この映画には在日朝鮮人が受けた差別の問題についてはエピソード的に挿入され、それを問題視するという風には描かれていない。さりげなくわからせる、そんな演出である。それはそれでいいと思う。けして煽ることなくシビアな視線で映し出していく。(一般観客向けに文化や習俗を修整している感もあるのだが)今、時代は大きく変わってコリアン・ブーム、韓国ドラマが視聴率を稼ぐジャパンマネーが金を落としていく。
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■出 演: 長門裕之、松尾嘉代、沖村武、前田暁子、北林谷栄、他
題名にもなっている、二番目のあんちゃん、高市こと“にあんちゃん”はとにかく力強い。今我々が忘れてしまっている芯からの力強さだ。これがこの映画の大きな特徴にもなっている。
そんなにあんちゃんの力強さを示した印象深い場面をピックアップすると、生活費に困窮し少しでもその足しにしようと地域の演芸大会に参加する。賞金のラジオをかっさらってそれを売ろうという算段だ。にあんちゃんは長兄をけしかけて舞台に上げる。にあんちゃん自らも率先して立ち上がり身振り手振りで観客席を盛り上げる。
にあんちゃん、お昼に食べる弁当がない。この飽食の時代子供でさえ糖尿病がはびこる今、弁当がないという現実だ。学校の生徒達、皆がお昼を食べている間、にあんちゃんは鉄棒にぶら下がりグッと堪えている。
にあんちゃんはアルバイトをしたいと鉄屑集めを始める、小学生にもかかわらず。そしてトロッコに乗りながら語るは将来の夢。医者になって貧乏人をタダで見てやりたい。目的はどんなに貧しくてもお金ではなく人助けなんだ。
こういった小さな力強いエピソードを重ねながら、にあんちゃん・高市は東京に行くと決心する。そして本当に行ってしまう。その行動力、そのひたむきさ、ボクはにあんちゃんの一つ一つの行動に素直に感動した。観ていて連想したのは、「スタンド・バイ・ミー」のリバー・フェニックスだ。(顔はリバーの方が男前だけど・・・)
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そして、もうひとつこの映画を特徴づけているのが“別れ”である。人生に必ずつきまとう別れ。それはつらい感情を呼び起こす。しかし、人はこの別れを経験すればする程強くなっていくものでもあるし、逆にその別れが終生つきまといその呪縛から逃れられないこともある。それがトラウマとなって人格の形成にも多大な影響を及ぼすことだってある。
この映画には“別れ”がいっぱい詰まっている。時に妹の末子は、いつもこの別れを見送る立場として登場して、その幼い年齢から観るものに涙を誘わずにいられない。いきなり父との別れから映画は始まる。そして出稼ぎにいく長男・喜一を見送る。遠足で来た土地では、その地で働く姉に会おうと必死で探すが会えず、劇的にバスの車上から会うことが出来る。
しかし非常にも数言かわすだけでバスは出発だ。バスの窓から手を振る末子が痛々しい。今度はにあんちゃん・高一が東京へ行くという。幼い末子はいつも見送るばかりだ。それが観ていて胸を突く。映画はけっして悲しみを煽るのではなく、いつも明るさに満ちている。だから末子もそういった辛い別れの経験もプラスに転化して力強く生きていくのだろうと思わせる。
この映画には在日朝鮮人が受けた差別の問題についてはエピソード的に挿入され、それを問題視するという風には描かれていない。さりげなくわからせる、そんな演出である。それはそれでいいと思う。けして煽ることなくシビアな視線で映し出していく。(一般観客向けに文化や習俗を修整している感もあるのだが)今、時代は大きく変わってコリアン・ブーム、韓国ドラマが視聴率を稼ぐジャパンマネーが金を落としていく。
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