
■日時:2009年7月20日(火)16:30~
■劇場:歌舞伎座
■演出:戌井市郎、坂東玉三郎
■出演:坂東玉三郎、市川海老蔵、片岡我當、中村勘太郎、中村獅童、他
寺山修司に関心を持ち始めると泉鏡花の名前に突き当たった。数年前までは泉鏡花なんて名前は、意識に上ってこないような存在だったが、寺山がその鏡花の作品を映画化している(「草迷宮」)こともあり、鏡花を調べると文学的にも特別なポジションに位置する作家とわかってきた。
それはもう十年以上も前になることだが、当時、西武系列の会社に勤務していた頃、銀座セゾン劇場と呼ばれていた劇場で坂東玉三郎が演じたポスターがとても綺麗だったと印象に残っている作品があった。そうそうそれは宮沢りえが玉三郎と共演し話題となったものじゃなかったっけ。それが泉鏡花の作品であることは後から知った。そうやって記憶の糸を探っていくと篠田正浩監督による映画「夜叉ケ池」もテレビか映画館で見たことがある。確かこれも主演は坂東玉三郎だった。その時は泉鏡花という作家は気になることもなかった。何だか古い感じがする、そんな印象を持ったと思う。
しかし、江戸川乱歩から寺山修司へ興味を移すなかで泉鏡花の名前を何回か目にしたし、澁澤龍彦を再読するとそこにも泉鏡花の名前に突き当たった。次第にその名前はボクの中で熟成されていった。そして発酵直前に小説「高野聖」を読み、歌舞伎の「高野聖」を見た。それには静かなインパクトを受けた。それから鏡花の作品を読むようになったし、おまけに歌舞伎も見るようになった。本を読んで思うことは、鏡花は難しいけど変な魅力があるなと。
「天守物語」は鏡花の代表作と言われている。玉三郎が何度も演じている作品で、映画にもなっている。富姫を演じる彼は、現在、泉鏡花にもっとも近い場所にいるアーティストの一人なんだろうと思う。代名詞に近いイメージを持っているのはボクだけか?だから玉三郎が出演する「天守物語」はまだ見ぬ名作としてボクの中では幻の作品に近くなっていった。
だから、少しでもそのエッセンスに触れたいと、その玉三郎が「天守物語」を朗読する会にわざわわざ宇都宮まで聞きに行ったこともあった。ただしそれはあくまで朗読であり、本チャンのお芝居ではなかった。玉三郎の生のお芝居が見てみたい。今回の歌舞伎座の公演は、そんなボクの些細な願いを叶えてくれるものでありました。
で、その玉三郎はどうであったか?さすがに何度も富姫を演じているだけあって板についている感じだった。隙がないというか・・・。公演パンフレット(筋書き)によれば、海老蔵はそこで、“十九歳の時でした。天守閣で富姫に対峙して『誰』と言われた時の衝撃は忘れられません。お兄さんの圧倒的な存在感、美しさ。それは今もまった変わらないのですが、想像を絶するものでした。”と語っていて、その存在感、オーラは演じるものにしか感じることができない玉三郎の魅力なのかもしれない。
その玉三郎が演じる富姫、なかでも個人的には前半の亀姫とのやりとりの部分が一番よかったと思った。さり気ない玉三郎の仕草などが絶妙な感覚で演じられていて、それは素晴らしかった。得も言われぬ色気が漂っていた。やっぱり玉三郎は超一級品の女形だと。共演の勘太郎には可哀想だが、引き立て役になってしまっていたんじゃないだろうかとも思えてきた。
また後半の図書之助とのところは、彼を演じる海老蔵が思いのほか凛々しかったので違和感なく見ることができた。というのもオペラ版「天守物語」を見たときは、富姫に比べて図書之助が弱々しくすぎて、どうしても富姫が恋に落ちていくことを感じることができなかったから。そこを感じられないとこのお芝居はドッチラケしてしまう。そもそも妖怪が人間に恋する話なのだから。図書之助に富姫の価値観をひっくり返すような男性的な魅力が出ていないといけないのだ。
今回の歌舞伎は、この玉三郎&海老蔵のコンビで何度も演じられているからか、指摘した不自然さはなかった。意外とその前の演目が「夏祭浪花鑑」で、海老蔵が任侠者の団七を演じていたのがよかったのかも知れないなどと勝手に想像もしてみたりする。ヤクザもんを演じた勢いが残っていたなんて・・・。
演出面では、この「天守物語」は魑魅魍魎の物語だからか(暗くならないとダメな場面もあるので)、通常の歌舞伎と違って劇場内は暗くなった。妖怪らが住まう闇の空間を舞台に現出させた。そして、天守から見える背景は大きなスクリーンが張られていて、雲が動く。天上からやってくる富姫や亀姫もそこに映像で表していた。それが少しだけ漫画チックに見えてしまうといえば、そう見えなくもないギリギリの線の演出であると思った。微妙なラインで姫の姿をした妖怪の登場の仕方を観客にわからせていた。でもそれがなかったとしたら富姫も亀姫も妖怪であることがわかりづらいのは確かなのだ。
そして同じく歌舞伎には珍しくカーテンコールもあった。ボクはそれを見て(とてもあっさりしたカーテンコール)、なぜかわからないが玉三郎としてはこのカーテンコールまでがお芝居なんだと、ここまでが「天守物語」なんだと主張しているように直感的に感じた。近江之丞桃六が登場して富姫の恋の物語を終わらせるにはあまりにも渋すぎる台詞がそこに並ぶ。渋すぎる。だから、カーテンコールで現実に戻れた、そんな印象を持った。
◆過去の「天守物語」に関する記事です↓
鏡花幻想譚への接近#48・・・さまざまな「天守物語」論を探る
鏡花幻想譚への接近#47・・・オペラ「天守物語」(1992年・新国立劇場)
鏡花幻想譚への接近#46・・・漫画「天守物語」波津彬子
鏡花幻想譚への接近#45・・・オペラ公演「天守物語」(オーチャードホール)
鏡花幻想譚への接近#42・・・姫路城・播磨冨姫神/天守物語
鏡花幻想譚への接近#41・・・怪~ayakashi~「天守物語」
鏡花幻想譚への接近#40・・・坂東玉三郎が語る「天守物語」(栃木県総合文化センター)
鏡花幻想譚への接近#39・・・映画「天守物語」(監督:坂東玉三郎)
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■劇場:歌舞伎座
■演出:戌井市郎、坂東玉三郎
■出演:坂東玉三郎、市川海老蔵、片岡我當、中村勘太郎、中村獅童、他
寺山修司に関心を持ち始めると泉鏡花の名前に突き当たった。数年前までは泉鏡花なんて名前は、意識に上ってこないような存在だったが、寺山がその鏡花の作品を映画化している(「草迷宮」)こともあり、鏡花を調べると文学的にも特別なポジションに位置する作家とわかってきた。
それはもう十年以上も前になることだが、当時、西武系列の会社に勤務していた頃、銀座セゾン劇場と呼ばれていた劇場で坂東玉三郎が演じたポスターがとても綺麗だったと印象に残っている作品があった。そうそうそれは宮沢りえが玉三郎と共演し話題となったものじゃなかったっけ。それが泉鏡花の作品であることは後から知った。そうやって記憶の糸を探っていくと篠田正浩監督による映画「夜叉ケ池」もテレビか映画館で見たことがある。確かこれも主演は坂東玉三郎だった。その時は泉鏡花という作家は気になることもなかった。何だか古い感じがする、そんな印象を持ったと思う。
しかし、江戸川乱歩から寺山修司へ興味を移すなかで泉鏡花の名前を何回か目にしたし、澁澤龍彦を再読するとそこにも泉鏡花の名前に突き当たった。次第にその名前はボクの中で熟成されていった。そして発酵直前に小説「高野聖」を読み、歌舞伎の「高野聖」を見た。それには静かなインパクトを受けた。それから鏡花の作品を読むようになったし、おまけに歌舞伎も見るようになった。本を読んで思うことは、鏡花は難しいけど変な魅力があるなと。
「天守物語」は鏡花の代表作と言われている。玉三郎が何度も演じている作品で、映画にもなっている。富姫を演じる彼は、現在、泉鏡花にもっとも近い場所にいるアーティストの一人なんだろうと思う。代名詞に近いイメージを持っているのはボクだけか?だから玉三郎が出演する「天守物語」はまだ見ぬ名作としてボクの中では幻の作品に近くなっていった。
だから、少しでもそのエッセンスに触れたいと、その玉三郎が「天守物語」を朗読する会にわざわわざ宇都宮まで聞きに行ったこともあった。ただしそれはあくまで朗読であり、本チャンのお芝居ではなかった。玉三郎の生のお芝居が見てみたい。今回の歌舞伎座の公演は、そんなボクの些細な願いを叶えてくれるものでありました。
で、その玉三郎はどうであったか?さすがに何度も富姫を演じているだけあって板についている感じだった。隙がないというか・・・。公演パンフレット(筋書き)によれば、海老蔵はそこで、“十九歳の時でした。天守閣で富姫に対峙して『誰』と言われた時の衝撃は忘れられません。お兄さんの圧倒的な存在感、美しさ。それは今もまった変わらないのですが、想像を絶するものでした。”と語っていて、その存在感、オーラは演じるものにしか感じることができない玉三郎の魅力なのかもしれない。
その玉三郎が演じる富姫、なかでも個人的には前半の亀姫とのやりとりの部分が一番よかったと思った。さり気ない玉三郎の仕草などが絶妙な感覚で演じられていて、それは素晴らしかった。得も言われぬ色気が漂っていた。やっぱり玉三郎は超一級品の女形だと。共演の勘太郎には可哀想だが、引き立て役になってしまっていたんじゃないだろうかとも思えてきた。
また後半の図書之助とのところは、彼を演じる海老蔵が思いのほか凛々しかったので違和感なく見ることができた。というのもオペラ版「天守物語」を見たときは、富姫に比べて図書之助が弱々しくすぎて、どうしても富姫が恋に落ちていくことを感じることができなかったから。そこを感じられないとこのお芝居はドッチラケしてしまう。そもそも妖怪が人間に恋する話なのだから。図書之助に富姫の価値観をひっくり返すような男性的な魅力が出ていないといけないのだ。
今回の歌舞伎は、この玉三郎&海老蔵のコンビで何度も演じられているからか、指摘した不自然さはなかった。意外とその前の演目が「夏祭浪花鑑」で、海老蔵が任侠者の団七を演じていたのがよかったのかも知れないなどと勝手に想像もしてみたりする。ヤクザもんを演じた勢いが残っていたなんて・・・。
演出面では、この「天守物語」は魑魅魍魎の物語だからか(暗くならないとダメな場面もあるので)、通常の歌舞伎と違って劇場内は暗くなった。妖怪らが住まう闇の空間を舞台に現出させた。そして、天守から見える背景は大きなスクリーンが張られていて、雲が動く。天上からやってくる富姫や亀姫もそこに映像で表していた。それが少しだけ漫画チックに見えてしまうといえば、そう見えなくもないギリギリの線の演出であると思った。微妙なラインで姫の姿をした妖怪の登場の仕方を観客にわからせていた。でもそれがなかったとしたら富姫も亀姫も妖怪であることがわかりづらいのは確かなのだ。
そして同じく歌舞伎には珍しくカーテンコールもあった。ボクはそれを見て(とてもあっさりしたカーテンコール)、なぜかわからないが玉三郎としてはこのカーテンコールまでがお芝居なんだと、ここまでが「天守物語」なんだと主張しているように直感的に感じた。近江之丞桃六が登場して富姫の恋の物語を終わらせるにはあまりにも渋すぎる台詞がそこに並ぶ。渋すぎる。だから、カーテンコールで現実に戻れた、そんな印象を持った。
◆過去の「天守物語」に関する記事です↓
鏡花幻想譚への接近#48・・・さまざまな「天守物語」論を探る
鏡花幻想譚への接近#47・・・オペラ「天守物語」(1992年・新国立劇場)
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鏡花幻想譚への接近#45・・・オペラ公演「天守物語」(オーチャードホール)
鏡花幻想譚への接近#42・・・姫路城・播磨冨姫神/天守物語
鏡花幻想譚への接近#41・・・怪~ayakashi~「天守物語」
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鏡花幻想譚への接近#39・・・映画「天守物語」(監督:坂東玉三郎)
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玉三郎さんの富姫は妖艶且つ耽美で
女の私でも見惚れてしまいます♪
まさに「超一級品の女形」ですね。
女性でも「見惚れて」しまう玉三郎さんのあの雰囲気はどうやったら醸し出せるのでしょうか。芸の賜物だけではないような気もします。
コメント、ありがとうございました。