この間も書いたように、子供の頃にチラッと目にした石ノ森章太郎の「家畜人ヤプー」、ドキドキして見た記憶があります。そしてその漫画の復刻版が出ておりそれを購入しました。それをはじめて見たのはすでに書いたように《友人の家なのか、空地に落ちていた雑誌なのか、場所は覚えていないのですが、どこかでちらりとみた記憶があります。大人が読むエッチな漫画、いけないものを見てしまったというような記憶があります。幼心に石ノ森章太郎が描く色っぽい女性と近未来の社会、そんなイメージのみが強く残った》のでありました。だからボクにとっては記憶の中で秘密の花園のような漫画になっているのです。
ただ、今みると所謂大人の表現はそんなにはありません。ごくフツーの印象で、むしろ原作からするとボクがいけないものと感じた表現は少な過ぎるかもしれないと思うくらいです。では、ボクが子供の頃、何に性的な興奮を覚えたのかというと、おそらくはそうしたいけないと思っている大人の行動ではなく、石ノ森章太郎が描いた女性の絵なんじゃないかと思ってきたのであります。
石ノ森が描く女性は可愛らしさを全面に出した絵ではなく、セクシーさを強調した絵といえばいいのか。意思をしっかり持っている自立した成熟した大人の女性。身体のラインといえば、実に色っぽい。胸は大きくボリューム満点、ヒップも桃尻みたくプリプリしている。すらりと足は長くまるでスーパーモデルのような体形。そんな彼女たちの目は妖艶であり子供とは言え引き付けられてしまいます。そうですね、ボンドガールのような…とたとえればいいような魅惑的な女性像なのであります。それといたずらに開けっ広げでないところもいい、節度があります。少年に性の芽生えが生じるとき、その発芽を促進させるような女性像であったと、いまこうして長い年月が経って見るとそう思うのであります。
実は、この歳になって見ても魅惑的に感じる石ノ森章太郎が描いた女性、子供の時にちらりと見た漫画の女性がボクの無意識の中のアニマとして定着しているのかも知れません。それは昔子供の頃に見たピンクレディーをセクシーに感じ、それを卒業し長い年月が経ち、また再び彼女らのセクシーさを発見し見直したというような感覚に近いといえます(そういえばピンクレディーがまた復活するそうですね…)。う~ん、歳とったなあと感じなくもないのですが…。
肝心の漫画の方は、やっぱり「家畜人ヤプー」の世界がいろいろな設定条件や架空の話の中での歴史的条件が多いので、ユニークなエピソード以外は文字情報が多いのが、読み進めるのに難点が少しあるのかなあと思います。ただ設定条件がわからないと未来のイース人の行動もわかりづらいし、奇形となったヤプー(=未来の日本人)についても理解が難しいだろうと思われるので難しいところです。
ボクがこの漫画を、得に奇形し道具化したヤプーの絵を見て連想されたのが「ドクターモローの島」です。そこでは動物達が擬人化されたように、この漫画ではヤプーがもはや人間の姿をとどめていない奇形なものとして描かれています。もう人間ではなく別の生き物、もっともこの世界ではヤプーは人間ではなく家畜なわけですが、使用目的に対する改造ぶりには、反面としてそこに人間のエゴを見ないわけにはいきません。なんと人間とは自分の利便性を優先する生き物であるのかと。
石ノ森の漫画ではあまりサディスティックな感性は感じられないので(少なくともボクは)、未来世界のひとつの在り方を見せながら、人間の本質的なある側面を描いているSF漫画のように感じました。加虐される対象がたとえば家畜としての動物ではなく、我々日本人であるという設定にしているが故に、人の利己的な本質的側面を感じなくもない見せ方にも読み取ることができます。人間とはエゴ的な存在であるということ。それは否定も肯定もされるものではなく、そうゆう生き物なんだと…。
ところでこの漫画では「家畜人ヤプー」の展開は途中、現在の地球人であるクララがヤプーの地位まで身を落としてしまった麟一郎に鞭を振るったところで終わっています。そこではクララが家畜として麟一郎を扱いながら、その心理の背後に愛の意識があることを匂わせています。石ノ森の漫画はそこで我々にとってまだある種の救いを描いていると言えましょう。
最後に禁断の感情?を幼なきこのボクに気づかせてくれたこの漫画の一番セクシーな場面、それは香楽浴と呼ばれるもの、風呂に入った女性の体を一寸法師のようなサイズに矯正された何人ものヤプーが洗っている絵と告白しておきます。これは色っぽい描写。
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ただ、今みると所謂大人の表現はそんなにはありません。ごくフツーの印象で、むしろ原作からするとボクがいけないものと感じた表現は少な過ぎるかもしれないと思うくらいです。では、ボクが子供の頃、何に性的な興奮を覚えたのかというと、おそらくはそうしたいけないと思っている大人の行動ではなく、石ノ森章太郎が描いた女性の絵なんじゃないかと思ってきたのであります。
石ノ森が描く女性は可愛らしさを全面に出した絵ではなく、セクシーさを強調した絵といえばいいのか。意思をしっかり持っている自立した成熟した大人の女性。身体のラインといえば、実に色っぽい。胸は大きくボリューム満点、ヒップも桃尻みたくプリプリしている。すらりと足は長くまるでスーパーモデルのような体形。そんな彼女たちの目は妖艶であり子供とは言え引き付けられてしまいます。そうですね、ボンドガールのような…とたとえればいいような魅惑的な女性像なのであります。それといたずらに開けっ広げでないところもいい、節度があります。少年に性の芽生えが生じるとき、その発芽を促進させるような女性像であったと、いまこうして長い年月が経って見るとそう思うのであります。
実は、この歳になって見ても魅惑的に感じる石ノ森章太郎が描いた女性、子供の時にちらりと見た漫画の女性がボクの無意識の中のアニマとして定着しているのかも知れません。それは昔子供の頃に見たピンクレディーをセクシーに感じ、それを卒業し長い年月が経ち、また再び彼女らのセクシーさを発見し見直したというような感覚に近いといえます(そういえばピンクレディーがまた復活するそうですね…)。う~ん、歳とったなあと感じなくもないのですが…。
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肝心の漫画の方は、やっぱり「家畜人ヤプー」の世界がいろいろな設定条件や架空の話の中での歴史的条件が多いので、ユニークなエピソード以外は文字情報が多いのが、読み進めるのに難点が少しあるのかなあと思います。ただ設定条件がわからないと未来のイース人の行動もわかりづらいし、奇形となったヤプー(=未来の日本人)についても理解が難しいだろうと思われるので難しいところです。
ボクがこの漫画を、得に奇形し道具化したヤプーの絵を見て連想されたのが「ドクターモローの島」です。そこでは動物達が擬人化されたように、この漫画ではヤプーがもはや人間の姿をとどめていない奇形なものとして描かれています。もう人間ではなく別の生き物、もっともこの世界ではヤプーは人間ではなく家畜なわけですが、使用目的に対する改造ぶりには、反面としてそこに人間のエゴを見ないわけにはいきません。なんと人間とは自分の利便性を優先する生き物であるのかと。
石ノ森の漫画ではあまりサディスティックな感性は感じられないので(少なくともボクは)、未来世界のひとつの在り方を見せながら、人間の本質的なある側面を描いているSF漫画のように感じました。加虐される対象がたとえば家畜としての動物ではなく、我々日本人であるという設定にしているが故に、人の利己的な本質的側面を感じなくもない見せ方にも読み取ることができます。人間とはエゴ的な存在であるということ。それは否定も肯定もされるものではなく、そうゆう生き物なんだと…。
ところでこの漫画では「家畜人ヤプー」の展開は途中、現在の地球人であるクララがヤプーの地位まで身を落としてしまった麟一郎に鞭を振るったところで終わっています。そこではクララが家畜として麟一郎を扱いながら、その心理の背後に愛の意識があることを匂わせています。石ノ森の漫画はそこで我々にとってまだある種の救いを描いていると言えましょう。
最後に禁断の感情?を幼なきこのボクに気づかせてくれたこの漫画の一番セクシーな場面、それは香楽浴と呼ばれるもの、風呂に入った女性の体を一寸法師のようなサイズに矯正された何人ものヤプーが洗っている絵と告白しておきます。これは色っぽい描写。
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内容はともあれ、ドキドキ感でモノを購入するのは忘がたい貴重な体験だなあと、いただいたコメントを読みながら思いました。
またよろしければ他の記事も見てやってください。