吉松真幸のボランティア報告書

鹿児島在住、吉松真幸(仮)の東日本大震災ボランティアレポート ボランティアから帰っても、他の形の被災地支援を模索中。

いとこも被災地に行っていた

2011-05-04 21:37:01 | 被災地支援
昨日は伯父の1周忌で、親戚が大勢集まった。
僕と同い年の従兄も、一昨年に結婚した奥さんと、昨年産まれたお子さんを連れて、東京から鹿児島に来た。

いやぁ~、ちっちゃい子って可愛いな、と、お子さんを見ながら僕の頬も緩んだ。

法事の後、いとこ同士で、僕がボランティア活動に行った事が話題になった時、その従兄も、宮城県の被災地に行っていた事を知った。

彼は、東京都庁に勤めている。
災害後、行政支援のために、都から派遣されて行ったという。
活動内容は、住民票など証明書の発行や、避難所の支援など。
彼は、避難所の衛生管理を担当したという。
そして、ゴールデンウィークが明けてから、再び被災地に派遣されるそうだ。

僕は、東京都と宮城県が、どのような災害時の協定を結んでいるか、知らない。

けれど、たとえば、岩手県釜石市と、愛知県東海市との間では、「災害時相互応援協定」というものを結んでいた。
もともと両市は新日鉄の製鉄所があり、社員の異動などで人の交流があったためだ。
そして、震災の翌日には、東海市からの支援職員が、車で釜石市に到着したという。
道路が寸断され、ガソリンは入手困難で、災害情報は錯綜し、なにより、釜石市の市役所自体が機能をほとんど失った中で。

さらに、東海市と姉妹都市関係にある沖縄県沖縄市も、4月に入ってから支援の職員を派遣した。

このような、自治体同士の横のつながりを利用した支援体制は、これからますます重要なものになっていくだろう。
そして、自治体同士のつながりを、それぞれの自治体の社会福祉協議会や、NPOなどの民間団体のレベルまで広げて、備えとするという方法が、これからもっと採られていっていいかもしれない。