私の知り得る限り、最も哲学的な自殺をしたのは、芥川龍之介である。
こういっていいか知らんが、芥川の自殺は深い。少なくとも、芸術的である。
何が深いか? 芥川の自殺は、実は完璧に「論理武装」されているのである。
実際、芥川は自分に与えられた才能を、100 %使い切った。そうして、生きられるだけ、生きた。他人を愛せるだけ、愛そうとした。彼なりに正しい道を見つけ、それを守り続けた。その結果、自殺以外の選択肢がなくなってしまったーー芥川はそういう人である。
従って、芥川の自殺は、論理的にも、道徳的にも、批判しようがないものだ。
私がもし閻魔大王で、芥川みたいな人が目の前に来たら、随分困るだろう。
芥川を自殺した罪などで、地獄に落とすか?しかし、芥川は「私を地獄に落とす気なら、なぜ最初からそんな風に私を造ったの?」と反論してくるだろう。私が閻魔大王なら、そうした芥川の反論を、論破出来ないだろう。
芥川の自殺は、被造物の造物主に対する、強烈な復讐になっている。
「神はなぜ人間(私)を造ったか?」「なぜ人間(私)を苦しめるのか?」という、人間の側からの神への痛烈なプロテストになっている。
芥川の自殺には、そういう哲学が含まれている。
「自殺はいけません」などという、薄っぺらい言葉など、簡単に吹っ飛ばす程の重みである。分かる奴には分かる。
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