不眠閑話

政治、経済、教育、文化、社会、時事など。殆どは旧ブログからのコピペ・転載です。

【再掲】ボブ・ディラン

2022-07-09 22:19:20 | 文学
以下に引用するのは、旧ブログ(現在は閉鎖)の2016年8月3日午前1:00の記事である。
        
話題はボブ・ディランだが、この記事を書いて、しばらく後、ディランはノーベル文学賞を受賞した。
            
偶然だと思うが、恐ろしい偶然である。――それとも、ノーベル賞の選考委員は、私のブログ(誰も訪問客のいないブログ)を、チェックしていたとでもいうのだろうか? いまだに謎はつきない。 しかし、ディランの文学的価値を、ノーベル賞受賞前に見抜いていた我が眼力を、誰かに伝えたかったので、ここに転載しておく。以下、引用。
      
              
※  ※  ※
歌には、あまり興味がない。
       
昔は色々聞いていたが、今は(真面目に鑑賞するなら)、洋楽だと、ボブ・ディランとか、ビートルズなんかを、たまに聞く程度でしかない。
       
もっとも、聞かないといっても、自分なりの歌へのこだわりがないわけではない。
             
では、私の歌へのこだわりとは何か?――というと、それは「詞」になる。どんなに音楽性が優れていても、「詞」がチープだと、内容の薄っぺらい歌のように思えてしまう。
         
実際――大げさな言い方をするが――、随分前から、私にとって歌とは音楽というより、文学になっている。――歌の本義は、メロディーラインのついた言葉であって、言葉のついたメロディーではないのだと思う。
        
以下、佐野元春のボブ・ディラン評をみよう。
       
※  ※  ※
ディランは大学の教室や教授たちから詞を解き放ち、街の中へと放り出したひとりの優れた詩人だった。僕は彼の詞をボードレールの影響を非常に受けた「都市の詞」あるいは「恐怖詞」と捉えている。あるいはイギリスの詩人エリオットの影響も指摘できるだろう。(略)そして『地下室』『ブロンド・オン・ブロンド』、これらはディランがかつて熟読したであろうランボー的な部分が見え隠れするアルバムだ。というのも、ランボーの詩集によく出てくる表現と酷似した部分が随所にみられるからだ。だから僕はよく想像した。ディランはきっと若い頃、ランボーのあの詩のこの一節に赤線を引いていたに違いないとね。当時の僕にとってディランの表現から何かを学ぶということは、すなわちランボーを読み返すことであったし、プレヴェールやロートレモアンを読み返すことだったーー佐野元春『ハートランドからの手紙』  
※  ※  ※
   
ここで佐野元春は、ボブ・ディランの作品に、ボードレールやランボーの詩からの影響を指摘しているが、「さもありなん」という気がする。
      
文学は人間の生き方を探求する。――佐野元春のこうした文章は、「歌もまた文学である」ということを、私に教えてくれたのであった。
              
※  ※  ※
Bob Dylan ‟Blowin' In The Wind“(「風に吹かれて」)
    
How many roads must a man walk down
(どれほどの道を歩かねばならぬのか)
Before you call him a man?
(男と呼ばれるために)
Yes, 'n' how many seas must a white dovesail
(どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか)
Before she sleeps in the sand?
(砂の上で安らげるために)
Yes, 'n' how many times must the cannonballs fly
(どれほどの弾がうたれねばならぬのか)
Before they're forever banned?
(殺戮をやめさせるために)
The answer, my friend, is blowin' in thewind,
(その答えは――友よ――風に吹かれている。)
The answer is blowin' in the wind.
(答えは風に吹かれている。)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿