2015年度 ビハーラ総会の講演禄
(長文です)備忘録
もう20年になりましょうか。私は第7回セミナーの講師としてこのビハーラにお世話になり、それからのお付き合いが続いております。
25年前、腎不全になり弟から腎臓をいただき、生体腎移植を行いました。自分は生まれ変わり死に変わりしている中で犯した罪「宿業」により、現在このように苦しんでいるのではないか。健康な弟から腎臓を取り出して自分の体に移植することは更なる大きな罪を犯すことになるのではないか?という心の葛藤が中心となりました。そのときは結局のところ移植を受けて元気に過ごしている姿をご覧いただきましたが、あれから急速に移植で生かされた腎臓が機能低下を起こし、再透析導入となっております。大変に浮き沈みの激しい人生を楽しんでおります。
今回は昨年の10月末に「心臓大動脈弁不全により、大動脈弁置換手術」を受けた経緯のお話をいたします。これもまたなかなか体験できることではないので、是非擬似体験をしていただき、健康について、命について考えていただければと思います。
【父との別れ~人工透析】
心臓の前に、私の父が平成20年2月27日に他界いたしました。その2ヶ月前に余命は2ヶ月と宣告を受けておりました。末期がんでありましたが意識は亡くなる3日前までしっかりしておりまして、昏睡に入るまで明朗でありました。おかげで、今まで伝えられていなかった家族のこと、親類のこと、しがない時計屋の仕事のこと商売のこと等を細かに聞くことができたので、父が他界しても何もあわてることはありませんでした。本人が戒名を決め、お葬式にお呼びする皆様のお名前と席順まできっちりと書いて残してくれました。まぁ息子孝行です。
この頃私の弟から頂いた腎臓は免疫抑制剤の副作用によりアミロイドが進み石灰化しておりました。早い段階で人工透析へ移行することを薦められておりました。これについては今でも根に持っていることがあります。
【腎不全宣告に至る経緯】
平成17年頃、移植から随分経つので「腎生検」という腎臓の組織を取り出して検査をすることを薦められいたしました。その時の結果は「年数どおりの老化は見られるが特に問題ない」ということで終わりました。当然何もないというのだから、今までと変わる生活を送るわけでもなく、人並みに普通に食べて飲んで暮らしておりました。
翌年、どうも血液検査の結果が芳しくない。腎臓の機能が低下していることを表し始めていました。BUNやCrが上昇し始めたのです。これは明らかにおかしいので、昨年も行いましたが「腎生検」を希望し行いました。その結果、「繊維化が進みステージ4の状態。人工透析導入検討」といわれました。昨年なんでもないものが、1年でここまで悪化するのは明らかにおかしい。昨年の検査結果の開示を求めました。そこには、「ステージ2の繊維化が見られる。ステロイド療法等の治療が必要。活動に制限を」とありました。
これのどこが「何でもない」という伝え方になるのか?私は医師に食って掛かります。お前の目は節穴か?外来で3時間並んで1分の診察。血液データをみて、すぐ次の外来日を決めるだけの診察。やっつけ仕事しているからこんな大事なことを見落としているのではないのか?と迫りました。医師が言うには、免疫抑制剤等で痛んでしまった腎臓はステロイド治療をしたところでどうにもならないので無視したというのだが、それならそれで伝えようがあるのではないか?私だって節制した生活を心がけ、少しでも進行を遅らせる努力もできた。
それを伝えなかったためにわずか1年で腎臓はもはや取り返しのつかないところまでダメージを受けてしまった。何より健康な体にメスを入れて提供してくれた弟に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。このような患者の想いなどさっぱり理解できていない医師に何を言っても始まりません。私は自分のHPで病院を糾弾しました。その後病院側から謝罪がありその部分は削除いたしましたがいまだにあのときのことは忘れられません。
こういった事情で腎臓は急激に悪化する。父は病床に伏して余命2ヶ月。私の腎臓も同じ頃に悪化。しかし父が亡くなるまではなんとか持たして、元気な姿を見せ続けたいと思い、透析導入を待っていただいておりました。父が他界しお葬式を終えた次の日、3月4日に透析の再導入をいたしました。
【在宅透析への道】
さて、透析を始めると平均的には10年でだいたい命を落とします。長く持っている方も中にはおられますが、まずそれは特殊なケース。間違いなく10年以内で命を落とします。その原因を調べて見ますと、やはり「透析不足」が原因で血管が弱り脳梗塞や心筋梗塞といった病で寝ているうちに亡くなってしまいます。
1週間に3回、1回につき4時間の透析の場合の透析効率は3×3×4=36です。透析効率は72以上が格段によいという提言がなされています。これは週3回ですと毎回の透析で8時間行うことが必要になります。これくらい行わないと体内の浄化は難しいのです。現在の透析は最大で5時間までしか保険点数がつきません。つまり、言い方は乱暴ですが、殺さない程度に生かしておくという医療です。生きるための医療ではないのです。施設での透析の限界がここです。
私は生きたいのです。命根性が汚いのもありますが、まだまだやりたいことが山ほどあるのです。そう簡単に命がなくなっては困ります。そこで調べました。毎日透析すれば電解質も老廃物も大きく増減することなく穏やかな状態になるし血管にも優しい。血圧も安定するだろうし何より体が楽になるだろうと考えました。
ではその方法は?毎日透析をするためには「在宅血液透析」しかないというところにたどり着きます。私は再透析導入後すぐにその道を探りました。もちろん秋田市内の私をお世話してくださっている透析医やそこの技師さん等に相談しましたが「現実的ではない」と聞いてもらえませんでした。その後県内のお医者さんにいろいろ声をかけましたが、いずれも同じ返答です。「誰が責任を取るのですか?自宅で透析をしていたもしも重大な事故が起こった場合、管理医に責任が及ぶのは困る」という後ろ向きの声。そんなもの自己責任に決まっているだろうとのど元まで出るも飲み込む日々。
それから4年が経過し、人工透析の副作用である「かゆみ」「足のイライラ」「異臭」等の透析不足による症状に悩まされていました。そんな折にインターネットで見つけた「在宅血液透析研究会IN山形」
私はこれだと思い、早速主催の政金先生にメールを書きました。在宅透析について勉強したいと。すると早速3月に行われる「在宅透析研究会in山形」にいらっしゃいとお返事が来ました。家内と二人で天童へ向かいます。そこで在宅血液透析がどれだけ体に良いか、いかに患者のQOLを向上させるかということを学びました。その後の懇親会で政金先生とじっくり話す機会をいただき、その場で秋田県が無理ならば、私が遠隔で在宅血液透析のサポートをするから、是非毎月通って手技、知識を習得してくださいといわれまして、その場で通うことを決断しました。毎月2回、片道5時間の道のりを1年間通い穿刺の手技、機械操作、清潔について、トラブル時の対応等を習得して最後の試験に合格し晴れて自宅で透析ができる資格を得ました。
ここからの話は飛ばしまして、宅血液透析導入のために、山形の政金先生が秋田市内を回り、問題となる私の管理病院は立木医院にお願いし、管理病院の要件である入院施設はないので、秋田大学の血液浄化部教授の佐藤滋先生にご協力戴き、入院加療については秋田大学が全面的に協力してくれるということで秋田県第一号の在宅血液透析の認可がおりました。
【感染という落とし穴】
ここまではいいお話で終わるのですが、この後落とし穴があるのです。
在宅血液透析の手技では、穿刺時に同じ場所へ刺すボタンホール穿刺という方法で行うように習いました。これは、あらかじめ病院で3度同じ場所に穿刺して、血管までの道を作ります。瘡蓋が蓋の役目を果たすのです。その瘡蓋をピンク針で取り除き、そこへ針をあてがって穿刺を行うものです。痛みもなく大変快適に透析を行わせていただきました。在宅透析から1年半経過した9月の半ば、突然熱が上がりました。それも39度台の高熱です。はじめは風邪かと思い解熱剤を飲んで対応しましたが、飲んだときは下がっても、薬の効き目が落ちるとすぐにあがります。3日間繰り返したので秋田大学病院へ行きました。詳しく調べてみることになり、総合診療科を受診して様々調べましたがよくわからない。結局肺に影が見られるということで呼吸器科に入院して抗生剤の投与を行いながら発熱の具合を見ていくことになりました。1週間が経過した頃熱も平熱になり、CRPも下がって1を切ってきたのでこれで良いだろうと退院しました。肺の影は相変わらずありましたが、のう胞だろうから悪さはしないので大丈夫という診断でした。
それから約1週間後、自宅で透析をしていて普通に終わる頃、ちょっと心臓の辺りが苦しい感じがしました。前に狭心症でステントを2回入れているので、わかるのですが同じような違和感。これはまた詰まってきたかな?と思い、透析を早々に終えて夜9時に家内に送られて秋大病院救急外来へいきました。外来に到着するころには発作がおさまってしまい、心電図に異常が認められずそのまま帰るように促されました。
朝起きて別に痛くもかゆくもありませんでしたが、昨日の痛みは絶対に心臓に問題があると確信していた私は、朝一番で大学病院へ向かいまして、循環器の心臓内科を受診しました。聴診器をあてて開口一番、「すぐに入院して下さい」といわれました。大動脈弁の音がおかしい。詳しく緊急で検査を行いたいとのこと。私はすぐに家に帰り準備をして入院しました。午後からすぐに心臓のエコー検査、CT検査が行われ大動脈弁不全の疑い。次の日一応冠動脈に問題がないか調べるためにカテーテル検査を行い、次の日に軽食道エコー検査、これは胃カメラのようなものを飲み込んで、内側から心臓を観察する検査。これで大動脈が細菌に感染して溶け出していることが判明。CRPは7に跳ね上がっていました。血圧は60/30上がらなくなっていました。大動脈弁が欠落しているため、動脈の血液の60%が戻ってきてしまう状態。緊急手術を行うと告げられ、入院から3日目に手術が組まれました。しかし、まな板の上の鯉になっていると、緊急患者が入り延期が2回。結局予定日より2日遅れての手術になりました。
心臓の弁をセラミックに変えていただき術後2日目にICUから一般病棟へ移していただき、普通に座ってご飯を食べることが出来るようになりました。このとき、ICUにいらした主治医が、「感染の原因は恐らく透析からではないかと思われる。今後在宅の透析はあきらめていただきたい。」と唐突にいわれた。
私の頭は急にフル回転で回り始め、烈火のごとくまくし立てることになる。
その感染源が透析であるとあなたはおっしゃるが、それは100%そうだと言い切れるのですか?私は生きるために在宅透析を選択した。透析のことを何も知らない外科医に、軽々しく言われたくない。心臓を治してくださり命を助けていただいたことには感謝するが、それとこの透析の話は違う次元の話だ。
それから私はいかに今の透析医療は不十分であるか、透析効率の話、実際に病院で提供される透析時間の話を延々として、結論として生きるためには毎日の透析は不可欠。よってそれが出来ないということは私に早死にしても仕方ないと言っているのと同じことであるということを説いた。その後主治医は、理解を示してくれたが、一つだけといって「セラミックの弁にもう一度細菌感染が起こった場合、恐らく命は助からないと思う。だから用心してほしいのだ」とおっしゃった。なるほど、そういうことならよく相談して考えることにしようという話になった。
手術後は順調に回復し5日目にはすべての管が外れて歩けるようになり、シャワーも許されて気持ちよくすごしていました。不思議なことに特に何もしなければ胸骨を開いている割に痛みを全く感じませんでした。今の痛み止めの薬はすごいな!と感心しました。ここからが長い。感染源を叩かなければならないので、毎日3回抗生剤の点滴。1時間ずつ朝昼晩に点滴です。これが28日間続くのですが、20日目を過ぎて21日目、歩くと急に世の中がぐるぐる回りだす。すごいめまいに襲われます。急に血圧が上がったか下がったか?と思い、少し横になるも立ち上がると同じでひどいめまい。さらに耳がなんだか変な状態。耳鳴りがひどい。
【抗生剤の副作用によるめまい】
これは何かおかしいと思い、ネットで抗生剤の副作用を調べると、なんと長期服用は内耳を壊すとある。そんなことは聞かされていない。すぐに看護師に取り次いでもらい主治医を呼んでもらった。
結局使わなければ命がないので仕方がないという。しかしだ。最終的に培養検査をしても細菌は特定できなかった。だからどの抗生剤が有効かはわからず仕舞い。であればです。このような副作用があるなら危険な期間になったら薬を変えるくらいのことは出来なかったのか?今でも私の耳は1kHz以上の音は聞こえないし、雑踏の中では人の話はほとんど聞き取れない状態。三半規管が壊れてしまったので、歩くとふらついてまっすぐ歩けない。日常生活に大きな支障が出る。その後耳鼻科の先生が診察してくださっていろいろ検査してもらいました。その結果、もう二度と元に戻ることはないという診断。三半規管の代わりに小脳がエラーを修正して認識し、役割を果たしてくれるように訓練するしかないといわれてがっかり。現在もめまいに悩まされています。しかし、何より何も伝えず薬を使い続けた治療法には大きな疑問を感じています。命が助かったからよしとすればいいのでしょうか?方法があるならあらゆるリスク回避をして行うものではないのですか?問いたいと思います。
それから感染の原因をいろいろ考えた。これは透析の穿刺に問題があるという結論に達した。瘡蓋をとりその場所へ穿刺するというのがいかに危険か。瘡蓋がきれいに取りきれていればよいが、残っていた場合針を通して体内へ入り込んでしまう。瘡蓋には大量の細菌がついている。これが体内で増殖したら恐ろしいことになる。恐らく瘡蓋が心臓の大動脈弁を溶かしてしまったのだろう。
ではそれを回避するには?それは毎回穿刺箇所をかえて、瘡蓋が体内に入らないようにする方法だ。つまり、普通病院で行う穿刺の手技が必要になる。これはなかなか難儀だ。とにかく針が太いので痛みに耐えなければならない。
結局私は生きるために在宅血液透析を続けたいといい続けた。そして、自己穿刺の方法を学び練習を始めます。秋田大学ではそんな練習をさせくれるはずもなく、退院して立木医院での透析、週3回の透析開始時に自分で穿刺をさせていただき、看護師さんや技師さんには見守りをお願いしました。2週間で6回の穿刺でマスターし、翌3週間目に3回連続で成功したら自宅での透析再開というところまでこぎつけました。その卒業試験をクリアし、現在自宅で毎日透析を行っています。
在宅透析からの不明熱発祥、そして大動脈弁の置換手術から抗生剤投与による内耳不全とこの10月~11月末までの2ヶ月間大変な入院生活を体験しました。ここで強く感じたことは、自分の身は結局自分で守らなければならないということ。無知では自分を守れないということです。
そう思うのは遡ること23年前、腎不全になり人工透析導入時に「生体腎移植」のことを本で学び秋田大学にお伺いしたところ、そんな危険な医療はあきらめなさい。といわれました。どうせ長持ちしないのだから。と。本に書いていることと随分違う物言い。私は親類を頼り、防衛医科大学校病院へ行き弟から生体腎移植を受けることになります。ここでひとつ命を拾いました。
次は先にお話した在宅血液透析導入は秋田県では前例がなく誰も相手にしてくれなかったが、自分で山形へ行き家内と二人で在宅透析が出来るまで勉強し導入に至ったこと。これだって、自分で勉強しアクションを起こさなかったら永遠に出来ないことでありました。私はどんなことでも常に考えます。それは「どうすれば出来るか?」です。出来ない理由を並べるのは簡単です。どうすれば出来るかだけを考えています。強く願い努力すれば必ず願いは叶うと信じています。
【母の病】
退院したのが11月の末、家に戻ると今度は母の調子がおかしい。背骨の5番と6番がつぶれて神経に障っているらしい。両足が何もしなくても痛くて寝ることも出来ないという。動かないでいても、両足を針でチクチク刺されているような感覚だと言います。
母は、普段皮膚癌や高血圧症で秋田市立総合病院に通っているので、そこの整形を受診させました。検査の結果、脊椎盤狭窄症で手術が必要。しかし80歳の年齢を考えると入院することで一気に痴呆になることがままあるので、余程慎重に行わなければならないといわれました。そう言われても、放っておいて痛みが無くなる訳ではないし、何より本人が苦しんでいるのだから入院治療を希望しました。
12月20日に入院して5日位すると病院から電話。夜中に徘徊して困るので手術日から24時間付き添いをしてくれと言われます。完全看護でしょ?と尋ねると、それも時と場合によります。村越さんの場合はついていただかないといけないという。これには参った。私も家内も日中仕事がある。昼間に付くとなると、時計店を閉めるか私が幼稚園を休むかである。私は2ヶ月も入院をして仕事を休んでいるので、とてもこれ以上休むわけにもいかず、夜私が付いて、昼間はお店を閉めて家内が付くことになる。正月休みと重なったので仕事面では何とかなったけれど、何せ二人しかいないのだから身体が持たない。手術後3日で付き添いを勘弁していただいた。こちらが倒れてしまいます。とにかく、母は言うことを聞かない。歩いては駄目だといわれると意地でも歩く。とにかく拘束されるのが嫌なようで本当に参った。夜中中大騒ぎです。このときまだ介護認定も降りておらずなんとも仕様がなかった。結局母は手術後3週間を待たずに強制的に退院勧告となり自宅で私たち夫婦が面倒見ることになります。
それまで元気に自分の身の回りのことは自分で、買い物も自分で出かけていた母が、家の中でも介助なしでは歩行禁止となっています。介護認定も1月正月明けに初めて包括支援センターに連絡取る方法をお聞きして、それから付け焼刃で介護保険のことを勉強して、ケアマネージャーの選任と自宅に介護ベッド等の必要物品のリースがあることなどバタバタと決めて母を受け入れました。」
現在は「要介護3」をいただき、これからケアプランを考えていくことになっています。母の具合は、家に帰って2日もすると入院前の普通の会話が出来る状態に落ち着きまして、今では一人で部屋に置いても大丈夫になりました。これを見ると要介護3はちょっとおかしいのですが、確かに病院にいる状態では医師も看護師もこう判断するだろうなと思います。私自身、さすがにこのキチガイと言いそうに何度もなりました。本人は夢と現実が交錯し、もはやむちゃくちゃな物言いです。看護師さんに暴力は振るうし、罵声は浴びせるし・・・まるで怪獣のようでした。
【対応する医療者】
ここ数ヶ月の間に起こったことです。自分の病も母の病気も晴天の霹靂、突然降って湧いた出来事でした。しかし、その対応は待ったなしなので、日頃から介護、医療については出来る限り学習しておく事が本当に大切だと思います。全く知識がないと、「質問する」ことも出来ないのです。転ばぬ先の杖です。
秋田大学ではめまいの関係で個人的に憤りは感じますが、患者に対するケアという部分では、医師、看護師共に100点です。真摯に向き合い議論が出来る環境にありました。知ったかぶりをしない姿勢、自分の専門外のことはすぐに他の科の先生に連絡して下さり、その先生がすぐに私の所に来て下さいました。チーム医療をしっかりと行ってくれたことに心より感謝しています。看護師さんにしても常に笑顔で手際よく仕事をしていただき、また冗談にもよく対応して下さり気持ちよく2ヶ月の入院をサポートして下さいました。
他方、病院名はあえて言いませんが、母の入院していた総合病院でまず感じたことは、看護師の数が凄く少ない。これでは行き届いた看護は難しいと感じました。だいたい、少々痴呆はあったにしても、完全看護をうたっておいて、術後3日は家族に付き添いを求めるというのにまず驚きました。秋田市の介護認定の方が見えたときに同席していた看護師さん、私が認定員に「4日間家族で付き添いしましたが、仕事との兼ね合いもあり大変でした」と申し上げるとすかさず「その容易でないのを私たちは引き継いでいます」と平気な顔をして言うのです。閉口しました。「それはあなたたちの仕事でしょう」のど元まででましたが、言っても仕方ないので飲み込みましたが、非常に気分を害しました。この方は看護の現場に於いても言葉使いが綺麗ではなく、結構威圧的な話し方をします。他の患者さんに対してもきつい物言いを何度も拝見していますと、母に対してもきっと同じように接したのだろうと予想が付きます。であれば、反射的に手が出たりするのは致し方ないのかな?それを彼女は暴力をふるうと、その部分だけ報告を受けてもこちらでは納得出来ない。今までただの一度も人に暴力をふるう母を見たことがないからです。資質の問題なのでこれは仕方ないのかも知れません。運が悪かったと思うしかないのが私たち患者家族です。残念です。
今回突然の入院で母が認知症となり急遽介護認定を受けることになりましたが、それまで全く元気でしたので80歳を超えても介護認定などと考えたこともありませんでした。今回、常日頃こういう介護が必要な事態が起こったときにあわてないで済むような仕組みが必要だなと思いました。高齢者と一緒に暮らしていればよくあることだと思います。それぞれに同じような苦労をされているのだろうなと思いました。
私が勉強不足で知らなかっただけかも知れませんが、痴呆等が現れたときには、まず地域の包括支援センターに相談するといろいろ教えて下さいます。そこでケアマネージャーの紹介があり、ケアマネから介護物品のリース業者の紹介や介護プランの提案等が行われスムーズに進みました。
知らなかったものですから最初は途方に暮れます。日頃自分関係なくてもそういった情報は頭に入れておくことが大切であると感じました。更にこういう情報を発信しているところには更なる啓発の方法を考えて戴けるとありがたいと思います。いざ!というときにパニックにならないように周知していただけるとありがたいです。きっとやられているのだと思います。情報を受ける側も、両親親族が高齢化したらいちど目を通しておくことをお勧めします。
【まとめ】
今回もまたとりとめもないお話になりました。何かを提言出来るようなものでもなく、ただ自分が体験したことをお話しただけではありますが、一般生活でそんなに体験出来ることでもないので、少しでも皆さんの中で何かが起こったときの行動の糧となればありがたく思います。
命は大切です。お金も大切です。健康、これはお金では買えません。僕は生きるために「健康」が一番大切だと思います。健康を損なえば働くこともままならず収入にも影響します。健康でさえいれば人生なんとでもなります。その健康を維持するために、小食(腹八分目)、十分な睡眠、適度な運動、そしておかしいと思ったときには早めの受診。これについては、総合診療のきちんと出来る病院でという事にはなりますが普段から掛かり付け医は決めておくことが良いと思います。心臓病で言えば、左側の歯が浮くような感じと痛み、左肩の張りと痛み、左胸部の掴まれるような痛みがあった場合、狭心症や心筋梗塞、今回の私みたいな大動脈弁の異常が考えられます。背中の痛みや張りは腰だけではなく、肝臓などの内部疾患、だるさが酷いときは肝臓、腎臓の疾患など考えられると言うことをちょっと頭に入れておくと血液検査を受けるときに役に立ちます。
在宅血液透析は私が秋田県第1号、東北では8名、東京には100名程度、神戸を中心とする関西には200人強、全部合わせても300人強です。全国に透析患者は30万人です。まだまだ走りの透析患者の0.1%の医療です。しかしこれはきっと形を変化させて広がりを見せることになると思います。何より生きるための医療だからです。私は生き続けその成果を皆様にお知らせする義務があると思います。安全に行えるように様々な提言をしていき、問題点は改善していく。そうすることで、秋田県内の透析施設の皆様にもご理解戴き、多くの患者が救われることを強く願います。
私の家族は3人です。この通り私は狭心症に腎不全、そこに大動脈弁不全、母は、椎間板狭窄症に皮膚癌、高血圧等々、家内は甲状腺癌に糖尿病と、とにかく呆れるほどの病人一家であります。それでも家族で支え合って生きていこうと思います。健康ってだけで素晴らしいことなのです。
(長文です)備忘録
もう20年になりましょうか。私は第7回セミナーの講師としてこのビハーラにお世話になり、それからのお付き合いが続いております。
25年前、腎不全になり弟から腎臓をいただき、生体腎移植を行いました。自分は生まれ変わり死に変わりしている中で犯した罪「宿業」により、現在このように苦しんでいるのではないか。健康な弟から腎臓を取り出して自分の体に移植することは更なる大きな罪を犯すことになるのではないか?という心の葛藤が中心となりました。そのときは結局のところ移植を受けて元気に過ごしている姿をご覧いただきましたが、あれから急速に移植で生かされた腎臓が機能低下を起こし、再透析導入となっております。大変に浮き沈みの激しい人生を楽しんでおります。
今回は昨年の10月末に「心臓大動脈弁不全により、大動脈弁置換手術」を受けた経緯のお話をいたします。これもまたなかなか体験できることではないので、是非擬似体験をしていただき、健康について、命について考えていただければと思います。
【父との別れ~人工透析】
心臓の前に、私の父が平成20年2月27日に他界いたしました。その2ヶ月前に余命は2ヶ月と宣告を受けておりました。末期がんでありましたが意識は亡くなる3日前までしっかりしておりまして、昏睡に入るまで明朗でありました。おかげで、今まで伝えられていなかった家族のこと、親類のこと、しがない時計屋の仕事のこと商売のこと等を細かに聞くことができたので、父が他界しても何もあわてることはありませんでした。本人が戒名を決め、お葬式にお呼びする皆様のお名前と席順まできっちりと書いて残してくれました。まぁ息子孝行です。
この頃私の弟から頂いた腎臓は免疫抑制剤の副作用によりアミロイドが進み石灰化しておりました。早い段階で人工透析へ移行することを薦められておりました。これについては今でも根に持っていることがあります。
【腎不全宣告に至る経緯】
平成17年頃、移植から随分経つので「腎生検」という腎臓の組織を取り出して検査をすることを薦められいたしました。その時の結果は「年数どおりの老化は見られるが特に問題ない」ということで終わりました。当然何もないというのだから、今までと変わる生活を送るわけでもなく、人並みに普通に食べて飲んで暮らしておりました。
翌年、どうも血液検査の結果が芳しくない。腎臓の機能が低下していることを表し始めていました。BUNやCrが上昇し始めたのです。これは明らかにおかしいので、昨年も行いましたが「腎生検」を希望し行いました。その結果、「繊維化が進みステージ4の状態。人工透析導入検討」といわれました。昨年なんでもないものが、1年でここまで悪化するのは明らかにおかしい。昨年の検査結果の開示を求めました。そこには、「ステージ2の繊維化が見られる。ステロイド療法等の治療が必要。活動に制限を」とありました。
これのどこが「何でもない」という伝え方になるのか?私は医師に食って掛かります。お前の目は節穴か?外来で3時間並んで1分の診察。血液データをみて、すぐ次の外来日を決めるだけの診察。やっつけ仕事しているからこんな大事なことを見落としているのではないのか?と迫りました。医師が言うには、免疫抑制剤等で痛んでしまった腎臓はステロイド治療をしたところでどうにもならないので無視したというのだが、それならそれで伝えようがあるのではないか?私だって節制した生活を心がけ、少しでも進行を遅らせる努力もできた。
それを伝えなかったためにわずか1年で腎臓はもはや取り返しのつかないところまでダメージを受けてしまった。何より健康な体にメスを入れて提供してくれた弟に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。このような患者の想いなどさっぱり理解できていない医師に何を言っても始まりません。私は自分のHPで病院を糾弾しました。その後病院側から謝罪がありその部分は削除いたしましたがいまだにあのときのことは忘れられません。
こういった事情で腎臓は急激に悪化する。父は病床に伏して余命2ヶ月。私の腎臓も同じ頃に悪化。しかし父が亡くなるまではなんとか持たして、元気な姿を見せ続けたいと思い、透析導入を待っていただいておりました。父が他界しお葬式を終えた次の日、3月4日に透析の再導入をいたしました。
【在宅透析への道】
さて、透析を始めると平均的には10年でだいたい命を落とします。長く持っている方も中にはおられますが、まずそれは特殊なケース。間違いなく10年以内で命を落とします。その原因を調べて見ますと、やはり「透析不足」が原因で血管が弱り脳梗塞や心筋梗塞といった病で寝ているうちに亡くなってしまいます。
1週間に3回、1回につき4時間の透析の場合の透析効率は3×3×4=36です。透析効率は72以上が格段によいという提言がなされています。これは週3回ですと毎回の透析で8時間行うことが必要になります。これくらい行わないと体内の浄化は難しいのです。現在の透析は最大で5時間までしか保険点数がつきません。つまり、言い方は乱暴ですが、殺さない程度に生かしておくという医療です。生きるための医療ではないのです。施設での透析の限界がここです。
私は生きたいのです。命根性が汚いのもありますが、まだまだやりたいことが山ほどあるのです。そう簡単に命がなくなっては困ります。そこで調べました。毎日透析すれば電解質も老廃物も大きく増減することなく穏やかな状態になるし血管にも優しい。血圧も安定するだろうし何より体が楽になるだろうと考えました。
ではその方法は?毎日透析をするためには「在宅血液透析」しかないというところにたどり着きます。私は再透析導入後すぐにその道を探りました。もちろん秋田市内の私をお世話してくださっている透析医やそこの技師さん等に相談しましたが「現実的ではない」と聞いてもらえませんでした。その後県内のお医者さんにいろいろ声をかけましたが、いずれも同じ返答です。「誰が責任を取るのですか?自宅で透析をしていたもしも重大な事故が起こった場合、管理医に責任が及ぶのは困る」という後ろ向きの声。そんなもの自己責任に決まっているだろうとのど元まで出るも飲み込む日々。
それから4年が経過し、人工透析の副作用である「かゆみ」「足のイライラ」「異臭」等の透析不足による症状に悩まされていました。そんな折にインターネットで見つけた「在宅血液透析研究会IN山形」
私はこれだと思い、早速主催の政金先生にメールを書きました。在宅透析について勉強したいと。すると早速3月に行われる「在宅透析研究会in山形」にいらっしゃいとお返事が来ました。家内と二人で天童へ向かいます。そこで在宅血液透析がどれだけ体に良いか、いかに患者のQOLを向上させるかということを学びました。その後の懇親会で政金先生とじっくり話す機会をいただき、その場で秋田県が無理ならば、私が遠隔で在宅血液透析のサポートをするから、是非毎月通って手技、知識を習得してくださいといわれまして、その場で通うことを決断しました。毎月2回、片道5時間の道のりを1年間通い穿刺の手技、機械操作、清潔について、トラブル時の対応等を習得して最後の試験に合格し晴れて自宅で透析ができる資格を得ました。
ここからの話は飛ばしまして、宅血液透析導入のために、山形の政金先生が秋田市内を回り、問題となる私の管理病院は立木医院にお願いし、管理病院の要件である入院施設はないので、秋田大学の血液浄化部教授の佐藤滋先生にご協力戴き、入院加療については秋田大学が全面的に協力してくれるということで秋田県第一号の在宅血液透析の認可がおりました。
【感染という落とし穴】
ここまではいいお話で終わるのですが、この後落とし穴があるのです。
在宅血液透析の手技では、穿刺時に同じ場所へ刺すボタンホール穿刺という方法で行うように習いました。これは、あらかじめ病院で3度同じ場所に穿刺して、血管までの道を作ります。瘡蓋が蓋の役目を果たすのです。その瘡蓋をピンク針で取り除き、そこへ針をあてがって穿刺を行うものです。痛みもなく大変快適に透析を行わせていただきました。在宅透析から1年半経過した9月の半ば、突然熱が上がりました。それも39度台の高熱です。はじめは風邪かと思い解熱剤を飲んで対応しましたが、飲んだときは下がっても、薬の効き目が落ちるとすぐにあがります。3日間繰り返したので秋田大学病院へ行きました。詳しく調べてみることになり、総合診療科を受診して様々調べましたがよくわからない。結局肺に影が見られるということで呼吸器科に入院して抗生剤の投与を行いながら発熱の具合を見ていくことになりました。1週間が経過した頃熱も平熱になり、CRPも下がって1を切ってきたのでこれで良いだろうと退院しました。肺の影は相変わらずありましたが、のう胞だろうから悪さはしないので大丈夫という診断でした。
それから約1週間後、自宅で透析をしていて普通に終わる頃、ちょっと心臓の辺りが苦しい感じがしました。前に狭心症でステントを2回入れているので、わかるのですが同じような違和感。これはまた詰まってきたかな?と思い、透析を早々に終えて夜9時に家内に送られて秋大病院救急外来へいきました。外来に到着するころには発作がおさまってしまい、心電図に異常が認められずそのまま帰るように促されました。
朝起きて別に痛くもかゆくもありませんでしたが、昨日の痛みは絶対に心臓に問題があると確信していた私は、朝一番で大学病院へ向かいまして、循環器の心臓内科を受診しました。聴診器をあてて開口一番、「すぐに入院して下さい」といわれました。大動脈弁の音がおかしい。詳しく緊急で検査を行いたいとのこと。私はすぐに家に帰り準備をして入院しました。午後からすぐに心臓のエコー検査、CT検査が行われ大動脈弁不全の疑い。次の日一応冠動脈に問題がないか調べるためにカテーテル検査を行い、次の日に軽食道エコー検査、これは胃カメラのようなものを飲み込んで、内側から心臓を観察する検査。これで大動脈が細菌に感染して溶け出していることが判明。CRPは7に跳ね上がっていました。血圧は60/30上がらなくなっていました。大動脈弁が欠落しているため、動脈の血液の60%が戻ってきてしまう状態。緊急手術を行うと告げられ、入院から3日目に手術が組まれました。しかし、まな板の上の鯉になっていると、緊急患者が入り延期が2回。結局予定日より2日遅れての手術になりました。
心臓の弁をセラミックに変えていただき術後2日目にICUから一般病棟へ移していただき、普通に座ってご飯を食べることが出来るようになりました。このとき、ICUにいらした主治医が、「感染の原因は恐らく透析からではないかと思われる。今後在宅の透析はあきらめていただきたい。」と唐突にいわれた。
私の頭は急にフル回転で回り始め、烈火のごとくまくし立てることになる。
その感染源が透析であるとあなたはおっしゃるが、それは100%そうだと言い切れるのですか?私は生きるために在宅透析を選択した。透析のことを何も知らない外科医に、軽々しく言われたくない。心臓を治してくださり命を助けていただいたことには感謝するが、それとこの透析の話は違う次元の話だ。
それから私はいかに今の透析医療は不十分であるか、透析効率の話、実際に病院で提供される透析時間の話を延々として、結論として生きるためには毎日の透析は不可欠。よってそれが出来ないということは私に早死にしても仕方ないと言っているのと同じことであるということを説いた。その後主治医は、理解を示してくれたが、一つだけといって「セラミックの弁にもう一度細菌感染が起こった場合、恐らく命は助からないと思う。だから用心してほしいのだ」とおっしゃった。なるほど、そういうことならよく相談して考えることにしようという話になった。
手術後は順調に回復し5日目にはすべての管が外れて歩けるようになり、シャワーも許されて気持ちよくすごしていました。不思議なことに特に何もしなければ胸骨を開いている割に痛みを全く感じませんでした。今の痛み止めの薬はすごいな!と感心しました。ここからが長い。感染源を叩かなければならないので、毎日3回抗生剤の点滴。1時間ずつ朝昼晩に点滴です。これが28日間続くのですが、20日目を過ぎて21日目、歩くと急に世の中がぐるぐる回りだす。すごいめまいに襲われます。急に血圧が上がったか下がったか?と思い、少し横になるも立ち上がると同じでひどいめまい。さらに耳がなんだか変な状態。耳鳴りがひどい。
【抗生剤の副作用によるめまい】
これは何かおかしいと思い、ネットで抗生剤の副作用を調べると、なんと長期服用は内耳を壊すとある。そんなことは聞かされていない。すぐに看護師に取り次いでもらい主治医を呼んでもらった。
結局使わなければ命がないので仕方がないという。しかしだ。最終的に培養検査をしても細菌は特定できなかった。だからどの抗生剤が有効かはわからず仕舞い。であればです。このような副作用があるなら危険な期間になったら薬を変えるくらいのことは出来なかったのか?今でも私の耳は1kHz以上の音は聞こえないし、雑踏の中では人の話はほとんど聞き取れない状態。三半規管が壊れてしまったので、歩くとふらついてまっすぐ歩けない。日常生活に大きな支障が出る。その後耳鼻科の先生が診察してくださっていろいろ検査してもらいました。その結果、もう二度と元に戻ることはないという診断。三半規管の代わりに小脳がエラーを修正して認識し、役割を果たしてくれるように訓練するしかないといわれてがっかり。現在もめまいに悩まされています。しかし、何より何も伝えず薬を使い続けた治療法には大きな疑問を感じています。命が助かったからよしとすればいいのでしょうか?方法があるならあらゆるリスク回避をして行うものではないのですか?問いたいと思います。
それから感染の原因をいろいろ考えた。これは透析の穿刺に問題があるという結論に達した。瘡蓋をとりその場所へ穿刺するというのがいかに危険か。瘡蓋がきれいに取りきれていればよいが、残っていた場合針を通して体内へ入り込んでしまう。瘡蓋には大量の細菌がついている。これが体内で増殖したら恐ろしいことになる。恐らく瘡蓋が心臓の大動脈弁を溶かしてしまったのだろう。
ではそれを回避するには?それは毎回穿刺箇所をかえて、瘡蓋が体内に入らないようにする方法だ。つまり、普通病院で行う穿刺の手技が必要になる。これはなかなか難儀だ。とにかく針が太いので痛みに耐えなければならない。
結局私は生きるために在宅血液透析を続けたいといい続けた。そして、自己穿刺の方法を学び練習を始めます。秋田大学ではそんな練習をさせくれるはずもなく、退院して立木医院での透析、週3回の透析開始時に自分で穿刺をさせていただき、看護師さんや技師さんには見守りをお願いしました。2週間で6回の穿刺でマスターし、翌3週間目に3回連続で成功したら自宅での透析再開というところまでこぎつけました。その卒業試験をクリアし、現在自宅で毎日透析を行っています。
在宅透析からの不明熱発祥、そして大動脈弁の置換手術から抗生剤投与による内耳不全とこの10月~11月末までの2ヶ月間大変な入院生活を体験しました。ここで強く感じたことは、自分の身は結局自分で守らなければならないということ。無知では自分を守れないということです。
そう思うのは遡ること23年前、腎不全になり人工透析導入時に「生体腎移植」のことを本で学び秋田大学にお伺いしたところ、そんな危険な医療はあきらめなさい。といわれました。どうせ長持ちしないのだから。と。本に書いていることと随分違う物言い。私は親類を頼り、防衛医科大学校病院へ行き弟から生体腎移植を受けることになります。ここでひとつ命を拾いました。
次は先にお話した在宅血液透析導入は秋田県では前例がなく誰も相手にしてくれなかったが、自分で山形へ行き家内と二人で在宅透析が出来るまで勉強し導入に至ったこと。これだって、自分で勉強しアクションを起こさなかったら永遠に出来ないことでありました。私はどんなことでも常に考えます。それは「どうすれば出来るか?」です。出来ない理由を並べるのは簡単です。どうすれば出来るかだけを考えています。強く願い努力すれば必ず願いは叶うと信じています。
【母の病】
退院したのが11月の末、家に戻ると今度は母の調子がおかしい。背骨の5番と6番がつぶれて神経に障っているらしい。両足が何もしなくても痛くて寝ることも出来ないという。動かないでいても、両足を針でチクチク刺されているような感覚だと言います。
母は、普段皮膚癌や高血圧症で秋田市立総合病院に通っているので、そこの整形を受診させました。検査の結果、脊椎盤狭窄症で手術が必要。しかし80歳の年齢を考えると入院することで一気に痴呆になることがままあるので、余程慎重に行わなければならないといわれました。そう言われても、放っておいて痛みが無くなる訳ではないし、何より本人が苦しんでいるのだから入院治療を希望しました。
12月20日に入院して5日位すると病院から電話。夜中に徘徊して困るので手術日から24時間付き添いをしてくれと言われます。完全看護でしょ?と尋ねると、それも時と場合によります。村越さんの場合はついていただかないといけないという。これには参った。私も家内も日中仕事がある。昼間に付くとなると、時計店を閉めるか私が幼稚園を休むかである。私は2ヶ月も入院をして仕事を休んでいるので、とてもこれ以上休むわけにもいかず、夜私が付いて、昼間はお店を閉めて家内が付くことになる。正月休みと重なったので仕事面では何とかなったけれど、何せ二人しかいないのだから身体が持たない。手術後3日で付き添いを勘弁していただいた。こちらが倒れてしまいます。とにかく、母は言うことを聞かない。歩いては駄目だといわれると意地でも歩く。とにかく拘束されるのが嫌なようで本当に参った。夜中中大騒ぎです。このときまだ介護認定も降りておらずなんとも仕様がなかった。結局母は手術後3週間を待たずに強制的に退院勧告となり自宅で私たち夫婦が面倒見ることになります。
それまで元気に自分の身の回りのことは自分で、買い物も自分で出かけていた母が、家の中でも介助なしでは歩行禁止となっています。介護認定も1月正月明けに初めて包括支援センターに連絡取る方法をお聞きして、それから付け焼刃で介護保険のことを勉強して、ケアマネージャーの選任と自宅に介護ベッド等の必要物品のリースがあることなどバタバタと決めて母を受け入れました。」
現在は「要介護3」をいただき、これからケアプランを考えていくことになっています。母の具合は、家に帰って2日もすると入院前の普通の会話が出来る状態に落ち着きまして、今では一人で部屋に置いても大丈夫になりました。これを見ると要介護3はちょっとおかしいのですが、確かに病院にいる状態では医師も看護師もこう判断するだろうなと思います。私自身、さすがにこのキチガイと言いそうに何度もなりました。本人は夢と現実が交錯し、もはやむちゃくちゃな物言いです。看護師さんに暴力は振るうし、罵声は浴びせるし・・・まるで怪獣のようでした。
【対応する医療者】
ここ数ヶ月の間に起こったことです。自分の病も母の病気も晴天の霹靂、突然降って湧いた出来事でした。しかし、その対応は待ったなしなので、日頃から介護、医療については出来る限り学習しておく事が本当に大切だと思います。全く知識がないと、「質問する」ことも出来ないのです。転ばぬ先の杖です。
秋田大学ではめまいの関係で個人的に憤りは感じますが、患者に対するケアという部分では、医師、看護師共に100点です。真摯に向き合い議論が出来る環境にありました。知ったかぶりをしない姿勢、自分の専門外のことはすぐに他の科の先生に連絡して下さり、その先生がすぐに私の所に来て下さいました。チーム医療をしっかりと行ってくれたことに心より感謝しています。看護師さんにしても常に笑顔で手際よく仕事をしていただき、また冗談にもよく対応して下さり気持ちよく2ヶ月の入院をサポートして下さいました。
他方、病院名はあえて言いませんが、母の入院していた総合病院でまず感じたことは、看護師の数が凄く少ない。これでは行き届いた看護は難しいと感じました。だいたい、少々痴呆はあったにしても、完全看護をうたっておいて、術後3日は家族に付き添いを求めるというのにまず驚きました。秋田市の介護認定の方が見えたときに同席していた看護師さん、私が認定員に「4日間家族で付き添いしましたが、仕事との兼ね合いもあり大変でした」と申し上げるとすかさず「その容易でないのを私たちは引き継いでいます」と平気な顔をして言うのです。閉口しました。「それはあなたたちの仕事でしょう」のど元まででましたが、言っても仕方ないので飲み込みましたが、非常に気分を害しました。この方は看護の現場に於いても言葉使いが綺麗ではなく、結構威圧的な話し方をします。他の患者さんに対してもきつい物言いを何度も拝見していますと、母に対してもきっと同じように接したのだろうと予想が付きます。であれば、反射的に手が出たりするのは致し方ないのかな?それを彼女は暴力をふるうと、その部分だけ報告を受けてもこちらでは納得出来ない。今までただの一度も人に暴力をふるう母を見たことがないからです。資質の問題なのでこれは仕方ないのかも知れません。運が悪かったと思うしかないのが私たち患者家族です。残念です。
今回突然の入院で母が認知症となり急遽介護認定を受けることになりましたが、それまで全く元気でしたので80歳を超えても介護認定などと考えたこともありませんでした。今回、常日頃こういう介護が必要な事態が起こったときにあわてないで済むような仕組みが必要だなと思いました。高齢者と一緒に暮らしていればよくあることだと思います。それぞれに同じような苦労をされているのだろうなと思いました。
私が勉強不足で知らなかっただけかも知れませんが、痴呆等が現れたときには、まず地域の包括支援センターに相談するといろいろ教えて下さいます。そこでケアマネージャーの紹介があり、ケアマネから介護物品のリース業者の紹介や介護プランの提案等が行われスムーズに進みました。
知らなかったものですから最初は途方に暮れます。日頃自分関係なくてもそういった情報は頭に入れておくことが大切であると感じました。更にこういう情報を発信しているところには更なる啓発の方法を考えて戴けるとありがたいと思います。いざ!というときにパニックにならないように周知していただけるとありがたいです。きっとやられているのだと思います。情報を受ける側も、両親親族が高齢化したらいちど目を通しておくことをお勧めします。
【まとめ】
今回もまたとりとめもないお話になりました。何かを提言出来るようなものでもなく、ただ自分が体験したことをお話しただけではありますが、一般生活でそんなに体験出来ることでもないので、少しでも皆さんの中で何かが起こったときの行動の糧となればありがたく思います。
命は大切です。お金も大切です。健康、これはお金では買えません。僕は生きるために「健康」が一番大切だと思います。健康を損なえば働くこともままならず収入にも影響します。健康でさえいれば人生なんとでもなります。その健康を維持するために、小食(腹八分目)、十分な睡眠、適度な運動、そしておかしいと思ったときには早めの受診。これについては、総合診療のきちんと出来る病院でという事にはなりますが普段から掛かり付け医は決めておくことが良いと思います。心臓病で言えば、左側の歯が浮くような感じと痛み、左肩の張りと痛み、左胸部の掴まれるような痛みがあった場合、狭心症や心筋梗塞、今回の私みたいな大動脈弁の異常が考えられます。背中の痛みや張りは腰だけではなく、肝臓などの内部疾患、だるさが酷いときは肝臓、腎臓の疾患など考えられると言うことをちょっと頭に入れておくと血液検査を受けるときに役に立ちます。
在宅血液透析は私が秋田県第1号、東北では8名、東京には100名程度、神戸を中心とする関西には200人強、全部合わせても300人強です。全国に透析患者は30万人です。まだまだ走りの透析患者の0.1%の医療です。しかしこれはきっと形を変化させて広がりを見せることになると思います。何より生きるための医療だからです。私は生き続けその成果を皆様にお知らせする義務があると思います。安全に行えるように様々な提言をしていき、問題点は改善していく。そうすることで、秋田県内の透析施設の皆様にもご理解戴き、多くの患者が救われることを強く願います。
私の家族は3人です。この通り私は狭心症に腎不全、そこに大動脈弁不全、母は、椎間板狭窄症に皮膚癌、高血圧等々、家内は甲状腺癌に糖尿病と、とにかく呆れるほどの病人一家であります。それでも家族で支え合って生きていこうと思います。健康ってだけで素晴らしいことなのです。