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マサブログ

自分の体験した生体腎移植、在宅血液透析について綴るともりでしたが、ネタがそんなにないので日々のことを綴ります。

大動脈弁置換術 4 このお話は完

2015-04-27 11:12:28 | Weblog
さて、大動脈弁を交換したのはよいけれど、今度は目眩、難聴が襲ってくる。

【抗生剤の副作用によるめまい】
これはおかしいと思い、ネットで抗生剤の副作用を調べると、
長期服用は内耳を壊すとある。そんなことは聞かされていない。

すぐに看護師に取り次いで主治医を呼んでもらいました。
結局使わなければ命がないので仕方がないというが、
最終的に培養検査をしても細菌は特定できなかったので、
どの抗生剤が有効かはわからずじまい。

であれば、このような副作用があるなら危険な期間になったら
薬を変えるくらいのことは出来なかったのか?今でも私の耳は
1kHz以上の音は聞こえないし、雑踏の中では人の話はほとんど
聞き取れない状態。三半規管が壊れてしまったので、歩くとふ
らついてまっすぐ歩けず、日常生活に大きな支障が出る。その
後耳鼻科の先生が診察をして、いろいろ検査してもらいました。

その結果、もう二度と元に戻ることはないという診断。三半規
管の代わりに小脳がエラーを修正して認識し、役割を果たして
くれるように訓練するしかないといわれてがっかり。

現在も目眩に悩まされています。しかし、何も伝えず薬を使い
続けた治療法には、大きな疑問を感じています。命が助かった
からよしとすればいいのでしょうか?方法があるならあらゆる
リスク回避をして行うものではないのか、問いたいと思います。

感染の原因をいろいろ考え、これは在宅血液透析の穿刺に問題
があるという結論に達しました。瘡蓋を取りその場所へ穿刺す
ることがいかに危険か、瘡蓋がきれいに取りきれていればよいが、
残っていた場合は針を通して体内へ入り込んでしまう。瘡蓋に
は大量の細菌がついているので、これが体内で増殖したら恐ろ
しいことになる。恐らく瘡蓋が心臓の大動脈弁を溶かしてしま
ったのだろう。

ではそれを回避するには、毎回穿刺箇所をかえて、瘡蓋が体内
に入らないようにする方法です。普通、病院で行う穿刺の手技
が必要になる。これはなかなか難儀です。とにかく針が太いの
で、痛みに耐えなければならない。

結局、私は生きるために在宅血液透析を続けたいと言い続けて、
自己穿刺の方法を学び練習を始めます。勿論秋田大学入院中に
は認めてもらえず、退院して立木医院さんへ通い2週間で6回
の穿刺でマスターし、翌3週間目に3回連続で成功したら自宅
での透析再開というところまでこぎつけました。その卒業試験
をクリアし、現在自宅で毎日透析を行っています。

在宅透析からの不明熱発祥、そして大動脈弁の置換手術から抗
生剤投与による内耳不全と、この10~11月末までの2ヶ月間、
大変な入院生活を体験しました。

ここで強く感じたことは、自分の身は結局自分で守らなければ
ならないということ。無知では自分を守れないということです。

そう思うのは遡ること23年前、私が腎不全になり人工透析を
導入しなければいけなくなった頃に「生体腎移植」のことを本で
学び秋田大学にお伺いしたところ、そんな危険な医療はあきらめ
なさいと言われました。どうせ長持ちしないのだから、と。

私は親類を頼り、防衛医科大学校病院へ行き、弟から生体腎移植
を受けることになります。ここでひとつ命を拾いました。

次は、先にお話した在宅血液透析導入は秋田県では前例がなく誰に
も相手にしてくれなかったが、自分で山形へ行き家内と二人で在宅
透析が出来るまで勉強し導入に至ったこと。これも自分で勉強しア
クションを起こさなかったら、永遠に出来ないことでした。

私はどんなことでも「どうすれば出来るか?」を常に考えます。
出来ない理由を並べるのは簡単です。強く願い、努力すれば必ず
願いは叶うと信じています。

大動脈弁置換術3

2015-04-27 11:04:01 | Weblog
手術後の入院時にに書いたきりですっかり時間が経過してしまった。

結局2日待たされたけれど無事に手術を終えた。
心臓の弁をセラミックに変えていただき、術後2日目にICUから一般病棟へ、
普通に座ってご飯を食べることが出来るようになりました。このとき主治医が、
「感染の原因は恐らく透析からではないか。今後在宅の透析はあきらめていた
だきたい」と唐突に言われます。

サー大変!
私の頭は急にフル回転で回り始め、烈火のごとくまくし立てます。
「感染源が透析であると仰るが、100%そうだと言い切れるのですか?
私は生きるために在宅透析を選択した。透析のことを何も知らない外科医に、
軽々しく言われたくない。心臓を治してくださり命を助けていただいたこと
には感謝するが、それとこの透析の話は違う次元の話だ!」

それから私はいかに今の透析医療は不十分であるか、透析効率、実際に病院で
提供される透析時間の話を延々として、結論として生きるためには毎日の透析
は不可欠、それが出来ないということは私に早死にしても仕方ないと言ってい
るのと同じであるということを訴えました。その後主治医は理解を示してくれて、
但しと一言「セラミックの弁にもう一度細菌感染が起こった場合、恐らく命は助
からないと思う。だから用心してほしいのだ」と言われました。

なるほど、そういうことならこれからよく相談をしていきましょう。ということに。

手術後は順調に回復し、5日目にはすべての管が外れて歩けるようになり、シャ
ワーも許されて気持ちよく過ごせました。特に何もしなければ、胸骨を開いて
いる割に痛みを全く感じませんでした。今の痛み止めの薬はすごいなと感心し
ましたが、ここからが長い。

感染源を叩かなければならないので、毎日3回抗生剤の点滴を1時間ずつ朝昼晩、
これが28日間続くのですが21日目、歩くと急に世の中がぐるぐるとすごい目
眩に襲われます。急に血圧が上下したか?と思い、少し横になるも立ち上がると
同じでひどい目眩。更に耳鳴りがひどい。