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マサブログ

自分の体験した生体腎移植、在宅血液透析について綴るともりでしたが、ネタがそんなにないので日々のことを綴ります。

Facebookでシェアできない文書転載。胸が痛みます

2013-01-05 11:11:31 | Weblog
絶対に拡散してください。今の日本の政府、東電はなくてもいい、何もしないでくれ!と思うことが多い。
フクイチに神々がおり、そこに今の日本のすべてがあります。
私たちがここを忘れたら、東電同様に「人」ではなくなってしまう。
私たちが今、呼吸をして、生きているのも、人間の形をした神々のおかげであることを決して忘れないために。

年越しも休めなかった、福島第一原発収束作業員のKさんの文章です。


総選挙の総括と分析で、まだしばらくは討論が続いていくものと思われます。その中でみなさんに少しだけでも考えていただきたいな、と思いますことを綴ります。

私たち収束作業員で県外から来ている収束作業員のほとんどは、人事院通達で「支払うべきこと」と規定されている出張旅費を支給されておりません。また、作業のシフトの関係で、たとえ帰省旅費が人事院通達通り正当に支給されたとしても選挙権を行使することなどできません。私達がシフトを抜けるということは、事故の再発を意味するからです。

帰省旅費を通達通りに支給する会社は御用組合電力総連や電機連合に「加入できる」ほんの一握りの元請企業の社員に対してだけで、ほとんどの作業員は帰省するお金などないのが現状です。2012年12月8日朝日新聞夕刊に報道されている通り、「投票」という権利が実質上奪われているのです。

そもそもが「選挙権を行使する」という社会参加の枠組みから排除されている人々が収束作業に従事しているのです。「日本人」ではないが故に「選挙権」から排除されていたり、下層労働者故に選挙権が実質的に剥奪されている人も周囲にたくさんおります。

収束作業は、世の中が選挙であろうとなかろうと地道に、「市民」が知らないような場面で展開されています。私は2011年から2012年の年明けはJビレッジで完全装備を着用後、「復興」されることなく放置されたままガタガタの悪路と化した国道六号線の大熊町内で、域外持ち出し不可=汚染車輌であるイチエフ往復専用通勤車両の中にて迎えました。

私たちはお互いに「あけおめー」と言い合いました。しかし全面マスクを着用しているので相互の声は「モゴモゴ」としか聴きとることはできません。全面マスクで発する自分の声は減衰しますし、暴露防止のためタイベックに密着するよう全面マスクをテーピングしているので周囲の音も遮断されているのです。悠長に「あけましておめでとうございます」などという「おしとやかなご挨拶」はお互いに聴き取ることはできません。

「あけおめー」というお互いの存在を伝え合うなるべく短い造語、それは年末年始のシフトでも働かなくてはならない自分たちの不安をかき消すために発した言葉でもあります。収束作業に従事する人員が通常よりも少なくなる年末年始のシフトにて、「何かあった時」はイチエフの現場に踏みとどまらなくてはならない「人柱」としての役割が課せられていることを意味していることを自覚しているからなのです。越年をイチエフで迎えるにしても特段の配慮など一切ありませんでした。賃金も特別な手当てなど一切支給されておりません。

私たちは通常、往復の通勤で15μSvの被曝に晒されます。Jビレからの「通勤」自体が「市民的日常」とは別世界のものなのです。

「原発作業員の母」である木田さんの息子さんはつい最近まで「東京電力逆出向社員」でした。一般社会の「出向」は親会社から子会社・関係会社へのものが通常なのでしょうが、東電逆出向のシステムは全然別物です。下請け会社から元請会社を一足飛びで抜いて「東電社員」といして扱われる「制度」です。下請会社無保証・低賃金の体系のまま、身分上だけ「東京電力社員」となります。端的に言えば「制服だけは東電社員」という身分です。なぜこのようなシステムになるのか。端的に謂えば市民社会が「東京電力社員の犠牲者」を要求しているからです。東京電力社員は収束作業のなかでも危険なに従事しろ、という要求は「東電社員ならば死んでもよし」という社会的な懲罰を欲しています。その余級の策として「危険被爆労働専門作業員」としての逆出向制度が存在するのです。

わたしたち市民社会は、「自分ではない誰か」を犠牲者として差し出すシステムをこそ問わねばなりません。そしてその犠として供される者とは「市民社会」から排除された人々です。「日本人」や「市民」、そして「選挙権」から排除されている人々がイチエフの事故収束作業に多数従事していることを知っていただきたいのです。年末年始を故郷で過ごすための旅費を支給されないために帰ることもできず、また、シフトから抜けることを「市民社会の要求」の帰結として許されざることであることをも認識していただきたい、と切に願うものです。今回の越年は、イチエフで迎えるシフトでは「たまたま」ありません。極端に人員が減るこの一夜、無事に仲間たちが過ごしてくれますよう「存在するはずのない神」に祈るものです。「緊急事態」が発生しませんように。私は「何事かある場合」に備え、待機いたします。

天皇陛下のお言葉~ねずきちさんのブログより

2013-01-05 09:14:23 | Weblog
ねずきちさんのブログに思うことが掲載されておりました。正に。。。


新年にあたっての陛下のお言葉です。

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東日本大震災から2度目の冬が巡ってきました。
放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れない人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごさざるを得ない人々など,年頭に当たって,被災者のことが,改めて深く案じられます。

今後,震災や津波による被害の経験を十分にいかした防災教育やまちづくりが行われ,人々の安全な生活が確保される方向に向かうよう願っています。

日本は,大震災の影響等により,現在厳しい状況に置かれていますが,皆が被災者に心を寄せつつ,互いに支え合って様々な困難を克服していくよう期待しています。

本年が,我が国の人々,また,世界の人々にとって少しでもより良い年になることを祈ります。

(英文)
A second winter since the Great East Japan Earthquake has come around. At the dawn of the new year, my heart goes out to the afflicted people, those who cannot return to the places they used to live because of radioactive contamination and those who have to spend the cold harsh winter in temporary housing. I sincerely hope that, in the future, the experience of the damage caused by the earthquake and tsunami will be fully utilized in disaster prevention education and town planning so that the country moves towards assuring safety and security in the lives of the people.

Our country is now going through difficult times because of the earthquake and other factors, but it is my wish that the people's hearts will always be with the afflicted, and that everyone will support one another to overcome the various challenges.

It is my hope that the new year will be better, even a little, for the people of Japan and the people of the world.
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平成25(2013)年の元旦における陛下のお言葉は、東日本大震災と原発の被災者のことでした。

短いお言葉ですが、陛下は「被災者のことが改めて深く案じられ」ると述べられ、
また「今後」とされたうえで,「震災や津波による被害の経験を十分にいかした防災教育やまちづくりが行われ,人々の安全な生活が確保される方向に向かうよう」と述べられています。

陛下は、ときおり、こうしたとても「厳しいお言葉」を発せられることがあります。
なにが厳しいかというと、陛下が「今後」と述べられているということです。

東日本大震災から2年を経過しているのに、陛下は「今後」と述べられた。
ここに陛下のお心をみることができます。

このことは要するに、この2年間の民主党政権下の震災対策を、ひとことでいうなら「何もしなかったと同じ」もしくは、「不十分」と厳しくご指摘されているお言葉といえるのではないでしょうか。
だから「今後」なのです。
これは陛下からの厳しいご叱咤(しった)であると、私達は受け止める必要があろうかと思います。

そして陛下は、「今後」なすべきは「防災教育やまちづくり」と「人々の安全な生活」とおっしゃられています。
このお言葉も、深いお言葉です。

「防災教育」というのは、災害が起きた時の避難対策はもちろんですが、災害が起きる前の備えや対策も、それ以上に大切なことです。
いざというときに、どこにどうやって避難するかも大切ですが、あえて「防災対策」ではなく「防災教育」というお言葉を使われていることを、私達は真摯に受け止めなければならない。

日頃からの備えというだけでなく、私達が日本国民として、日本人家族として、互いに助け合い、慈しみあい、協力しあい、支えあって被害を少しでも食い止める、そういう日本人家族としての教育を、根幹に置く必要があるという意味が、あえて陛下が「防災教育」とおっしゃれてた、その言葉の中に込められているように、私には思えるのです。

国を代表する国会議員や閣僚が、いざというとき「何々戦略会議を作りました」などという形式と言い訳ばかりで、その実、何もしない。何もしないどころか、震災対策のための貴重な国家財源を、公然と他に流用浪費して平然とし、さらにメディアもこれを咎めることをまったくしない。
普通の日本人には、考えもつかない「ありえない」できごとです。

要するに、なんとかしなければならないという、国を大事にする、地域を大事にする、そういう国家観、政治観、民族観、歴史観が欠如していたのでは、いかに政治権力を担ったとしても、屁理屈を並べるだけで、何の解決もできない。
国政というのは、お笑いタレントや評論家、あるいは外国人が軽軽にできるものではない、ということも、昨年までに明らかになったことです。

いいかえれば、国家観、歴史観を持たない政治家は、政治家の名に値しないし、そういう政治家には政治は「できない」ということです。

ならば、国家観、歴史観をもった政治家を、私達は育てなければならないし、国民自体が、いまいちど民度をあげる工夫が必要となる。
それが「教育」です。

また「まちづくり」に関しては、全国にある高架鉄道や、高速道路、あるいは街道筋の橋などは、東京オリンピックのあった昭和39(1964)年以前、つまり昭和38(1963)年までに建設されたものであるということも、忘れてはならないことです。
つまり、今年でコンクリートの耐用年数の50年に達してしまうのです。

ウチの近所にも国道の橋が架かっていますが、河原に降りてその橋桁を見ると、真っ赤に錆が浮き、大型トラックが行き来する度に、リベットが震えています。
大きな地震でもくれば、いつ崩落してもおかしくないかもしれない。

そういうすでに耐用年数を超える橋や公共建築物が、全国に数十万カ所もあるのです。
これらに対しても、当然、補修工事を行っていかなければならない。

そしてその補修工事が、どこぞの国でよくあるような「利益を出すために大幅に手抜きした検査や工事」であれば、昨年末に起こった中央道のトンネル崩落事故のような悲惨が、また起きてしまう。

つまり、工事というものは、業者が儲けるためだけの工事ということだけではなく、しっかりとした安全対策がきちんと施される、日本らしい日本の工事でなけれなならない、ということです。

陛下は、そうした日本人としての矜持ある公共工事を「互いに支え合って様々な困難を克服していくよう期待」する、とおっしゃられている。

そして陛下の「人々の安全な生活」は、これまた深いお言葉です。
このお言葉は、けっして大震災だけを指しているのではない。
日本国民の安全な生活への脅威となるものにたいして、「安全な生活を確保」しなさいということです。

つまり、このお言葉の中には、支那や朝鮮からの日本に対する侵害や挑戦も、当然含まれているということです。
要するに日本は、いざというときの自衛隊の貢献にもあきらかなように、国軍についても、これを整備、強化しなさいとあんにおっしゃらているのです。

ともあれ、新年が明けました。
私は、先の衆院選を、天の岩戸が開いたという意味で「岩戸選挙」と名付けましたが、さらに新内閣は、まさに天手力男神(あめのたぢからおのかみ)です。

岩戸は開かれました。
けれどアマテラスオオオミカミを岩戸から引き出すのは、これから先、神々の一員として国政を担う閣僚の皆様や、国会、行政、そしてそれを支える国民のひとりひとりの意思と努力にかかっていようかと思います。

私達自身が、陛下のご期待に然う、しっかりとした国民となっていくこと。
今年は、そういう一年にしていきたい、自分自身もそうありたい。そのように私は思います。


 

謹賀新年

2013-01-01 10:19:12 | Weblog
皆様、新年明けましておめでとうございます。
今年はまーーーいろいろと新たな試みが目白押し。
在宅血液透析導入、能代の不夜城七夕制作運行、NPO法人青年クラブのしろの創立50周年記念式典、能代ロータリークラブ会長年度、諸々としっかりやらなくてはいけない。重なる時には一気に来るものです。

お正月位はぜーんぶ忘れて、ゆっくりと過ごしましょう。
先ずは仏壇前でご先祖様にご挨拶。神棚に祈念して、家族で新年の挨拶。お屠蘇をいただいて、少しゆっくりしたら三吉神社と能代の八幡神社、長慶寺に参拝

皆様、本年もどうかよろしくお願い致します。