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マサブログ

自分の体験した生体腎移植、在宅血液透析について綴るともりでしたが、ネタがそんなにないので日々のことを綴ります。

腎移植回顧記1

2007-07-05 21:01:08 | Weblog
移植を受ける前ですから今から15年前。4月に埼玉の防衛医科大学校病院に
一人で向かった。
 地元秋田で腎不全が進みもう透析をするしかないと言われて家族と相談した
結果、腹膜透析、血液透析、腎臓移植様々な選択肢がある施設にお世話になっ
た方がいいだろうということで方々に聞いてみたのである。お袋方の従兄弟が
当時移植医療の権威であった防衛医科大学校病院の中村教授の元で医師をして
いるということでお電話で相談をしてみたのである。
 診察をしてみないと何とも言えないが、一度来院して教授の診察を受けてみ
ないかと薦められ出かけたのである。その当時もはや思考回路は正常ではなか
ったように思う。とにかく身体が思うように動かない。疲れは慢性的に残り、
ほんの少し歩いただけで息切れする状態。回りでなにも臭いなどしないのに
とにかく嫌な臭いがつきまとう。慢性腎不全の症状である。血液中に尿素が
たまり、鼻の中を血液が流れたときに臭いを感じてしまう。外に対して臭う
のではなき、自分だけが感じる不快臭。食べ物は美味しく感じることはない。
だから、先々まで思いを巡らし状況判断できるような思考回路は完全に閉ざさ
れていて、ただ川を流れる落ち葉のように生きていたと思う。目の前にある
何か一つをクリアするのが精一杯。短絡的に物事を決めてしまう・・・そんな
毎日。
 入院する前に弟が言った言葉は忘れてはいない。私には二人の弟がいる。
その二人が「腎臓を提供してもいいよ!」と言ってくれていた。深く考え
もせず、「助かるよ!ありがとう」などと簡単な日常の挨拶のように答えて
いた。それが現実味を帯びるようになると一気に頭の回路が回り出す。そして
得も言われぬ嫌悪感が自分の中に渦巻き出すのである。

 地元秋田を出発し羽田空港に到着。それからモノレールで浜松町に着いたら
山手線に乗り換えて新宿へ。そこから西武新宿線に乗って所沢の次の航空公園
で下車すると目の前に防衛医科大学校病院がそびえ立つ。航空公園は東京の
ベッドタウンなのだろう。ものすごい数のマンションが立ち並ぶ。とにかく
東京とは違いお店よりもとにかく住居である。なんだか航空公園の駅前に並ぶ
マンション群だけで、我が秋田県能代市の人口は軽くクリアされるのがわかる。
 とにかく移動中階段が多い。こちらは腎不全の末期患者である。少々歩いても
息切れするのに、階段・・・冗談ではない。ここで何度座り込もうと思った
ことか。よくぞ病院までたどり着いたと自分を褒めた。入院道具一式を大きな
旅行カバンに詰め込みゴロゴロ引きずってたどり着いた初めての病院。茶色の
巨大な大学病院。制服を着た防衛大学校の方々もいらっしゃる。緊張でいっぱい
のまま受付へ向かった。

        つづく!