昨日は11時頃寝たにもかかわらず起床は8時半・・・目が覚めない。
身体悪いのかなぁー・・・って悪いから検査中でございました。。(すぐに忘れる)
今日はロータリークラブの例会日。お昼まで一生懸命12月15日~16日に
開催する当店の宝飾展示会「グレーシャス・フェア」のチラシのレイアウトして
ましたが、出がけに慌てて全部消してしまい・・・(大泣)また1から・・・
例会で中田殿様のスピーチを聴いた。「授戒会のすすめ」と題してのスピーチ。
曹洞宗長慶寺の檀家総代だけ会って大変詳しく説明してくれた。先日60数年ぶり
に能代市萩の台の長慶寺に於いて行われた「授戒会」5日間きちんと修行されると
「しょうかい正戒」がいただけるほか、
・代戒 病気や事故などのやむを得ない事情により正式に入戒できがたい人の代理
で入戒し参加することができる。
・亡戒 亡くなられた方に、お授戒の功徳をご供養するための”送り授戒”です。
期間中、特別にご回向し、正戒と同じく「血脈」を頂きます。
・因脈 授戒会に1日だけお参りして戒師さまとご法縁を結び、またいつの日か
授戒会に参加できるよう因縁を作っておくことで「お血脈」を頂きます。
「授戒会のすすめ」
1,お釈迦さま最後の教えと戒の意味
お釈迦さまはお亡くなりになるとき、お弟子たちに最後の説法をなさいました。その説法のはじめに、「私の入滅後(死後)は、何よりも『戒法』を敬い尊ぶ生き方をしなさい。すそうすれば、人生明るく、心豊かに暮らせるのだ」と示され。「戒法を敬い守って行くならば、私が生きているのと変わりないのだ」とまでお諭しになっておられます。
一般に『戒』とは悪を止め、行いを慎むという意味で、「何々をしてはならない」という「いましめ」であると受け取られていますが、曹洞宗ではさらに進んで。「戒」は、深い信仰生活に根ざした生活を送ろうという決意を促す教えとされています。
すなわち「戒」を受けたも持つことによって、例えば「無益な殺生などはとうていできない(不殺生)」、「人に対して嘘はつけない(不妄語)」というように、慈悲の心が生活の中で習慣となり、人間の生き方確立されるという、より積極的な意味に説かれます。
2、授戒と受戒
授戒は戒法を授けて頂くことですが、授けるには授ける人と、授けるものと、受ける人がいなくてはなりません。
授ける人を「戒師さま」といい、授かるものは「菩薩戒」という戒法であり、戒法を受ける人を「戒弟」といいます。そして、戒法を授けていただいた証として「お血脈」を頂戴します。
したがって、授戒とは戒師さまの立場からいう言葉であり、受戒は私たち戒弟からの言葉と申せましょう。さらに詳しく言うならば「授」とは、私たち一人ひとりが日常生活の中で、他と共に生きる意義を見いだし(慈悲と共生)、み仏さまの戒を受け持ち(たもち)仏行(仏としての行い)を実践しようという、自発的誓いをたてさせようと勧め誘うことであり、「受」とは、私たち戒弟が、戒師さまのご指導によって自発的に、み仏さまの戒を受け持ち、仏教の教えにしたがっていきようという誓いをたて、日常生活の中で深い信仰心をもって、他と共に生きる意義を見いだすことであります。
3,戒法について
ひとくちに「戒」というと戒律のことと思われていますが、「戒」と「律」は、少し趣を異にしています。すなわち「戒」とは仏教修行を自ら進んで行おうとする、み仏さまとの“約束”であります。一方の「律」とは仏教を信じ、これを基本として生きていこうと決心した人が、他と共に生きる生活上のルールであり、単なる「何々をしてはならない」という、他から強いられる規則ではありません。ただ、その中に個々人としての修行規則も含まれることから、戒と律が結びつき「じゅう十じゅうきんかい重禁戒」「四十八けいかい軽戒」(大乗戒)「二百五十戒」
「三百四十八戒」(具足戒)というように、数多くの戒が説かれてきました。
しかし、本来の「戒」は前に述べた、み仏さまとの“約束”を守り自発的に仏行(仏としての行い)を実践することが大切なのであって、大乗仏教ではこれを「菩薩戒」と呼んでおり、曹洞宗もこの立場に立っています。そして曹洞宗では、「菩薩戒」を大きく十六通りに筋道をたてて、この十六条の戒法をまさしく実践するところに、すべての戒がたも持たれるとされております。
4,受戒のすすめ
戒を受けるということは、お釈迦さまのお弟子となり、真の仏教ととしての自覚を持ち、仏教の教えにしたがって行きようと誓願することです。
戒師さまのお導きにより、戒法の心を自覚したその証として「お血脈」を授かるのであります。もんほう聞法とらいはい礼拝をとおして、必ずや法(み仏さまの教え)のお徳が、みなさまの身と心を満たすことを確信いたします。
世界のひとりでも多くの人々が、慈悲と知恵の教えである仏教を、日々の暮らしの中で実践し、「共に生きる」喜びを見出す「受戒会」に、縁を結ばれますよう、切にお勧め申し上げます。
というスピーチでした(^^)
身体悪いのかなぁー・・・って悪いから検査中でございました。。(すぐに忘れる)
今日はロータリークラブの例会日。お昼まで一生懸命12月15日~16日に
開催する当店の宝飾展示会「グレーシャス・フェア」のチラシのレイアウトして
ましたが、出がけに慌てて全部消してしまい・・・(大泣)また1から・・・
例会で中田殿様のスピーチを聴いた。「授戒会のすすめ」と題してのスピーチ。
曹洞宗長慶寺の檀家総代だけ会って大変詳しく説明してくれた。先日60数年ぶり
に能代市萩の台の長慶寺に於いて行われた「授戒会」5日間きちんと修行されると
「しょうかい正戒」がいただけるほか、
・代戒 病気や事故などのやむを得ない事情により正式に入戒できがたい人の代理
で入戒し参加することができる。
・亡戒 亡くなられた方に、お授戒の功徳をご供養するための”送り授戒”です。
期間中、特別にご回向し、正戒と同じく「血脈」を頂きます。
・因脈 授戒会に1日だけお参りして戒師さまとご法縁を結び、またいつの日か
授戒会に参加できるよう因縁を作っておくことで「お血脈」を頂きます。
「授戒会のすすめ」
1,お釈迦さま最後の教えと戒の意味
お釈迦さまはお亡くなりになるとき、お弟子たちに最後の説法をなさいました。その説法のはじめに、「私の入滅後(死後)は、何よりも『戒法』を敬い尊ぶ生き方をしなさい。すそうすれば、人生明るく、心豊かに暮らせるのだ」と示され。「戒法を敬い守って行くならば、私が生きているのと変わりないのだ」とまでお諭しになっておられます。
一般に『戒』とは悪を止め、行いを慎むという意味で、「何々をしてはならない」という「いましめ」であると受け取られていますが、曹洞宗ではさらに進んで。「戒」は、深い信仰生活に根ざした生活を送ろうという決意を促す教えとされています。
すなわち「戒」を受けたも持つことによって、例えば「無益な殺生などはとうていできない(不殺生)」、「人に対して嘘はつけない(不妄語)」というように、慈悲の心が生活の中で習慣となり、人間の生き方確立されるという、より積極的な意味に説かれます。
2、授戒と受戒
授戒は戒法を授けて頂くことですが、授けるには授ける人と、授けるものと、受ける人がいなくてはなりません。
授ける人を「戒師さま」といい、授かるものは「菩薩戒」という戒法であり、戒法を受ける人を「戒弟」といいます。そして、戒法を授けていただいた証として「お血脈」を頂戴します。
したがって、授戒とは戒師さまの立場からいう言葉であり、受戒は私たち戒弟からの言葉と申せましょう。さらに詳しく言うならば「授」とは、私たち一人ひとりが日常生活の中で、他と共に生きる意義を見いだし(慈悲と共生)、み仏さまの戒を受け持ち(たもち)仏行(仏としての行い)を実践しようという、自発的誓いをたてさせようと勧め誘うことであり、「受」とは、私たち戒弟が、戒師さまのご指導によって自発的に、み仏さまの戒を受け持ち、仏教の教えにしたがっていきようという誓いをたて、日常生活の中で深い信仰心をもって、他と共に生きる意義を見いだすことであります。
3,戒法について
ひとくちに「戒」というと戒律のことと思われていますが、「戒」と「律」は、少し趣を異にしています。すなわち「戒」とは仏教修行を自ら進んで行おうとする、み仏さまとの“約束”であります。一方の「律」とは仏教を信じ、これを基本として生きていこうと決心した人が、他と共に生きる生活上のルールであり、単なる「何々をしてはならない」という、他から強いられる規則ではありません。ただ、その中に個々人としての修行規則も含まれることから、戒と律が結びつき「じゅう十じゅうきんかい重禁戒」「四十八けいかい軽戒」(大乗戒)「二百五十戒」
「三百四十八戒」(具足戒)というように、数多くの戒が説かれてきました。
しかし、本来の「戒」は前に述べた、み仏さまとの“約束”を守り自発的に仏行(仏としての行い)を実践することが大切なのであって、大乗仏教ではこれを「菩薩戒」と呼んでおり、曹洞宗もこの立場に立っています。そして曹洞宗では、「菩薩戒」を大きく十六通りに筋道をたてて、この十六条の戒法をまさしく実践するところに、すべての戒がたも持たれるとされております。
4,受戒のすすめ
戒を受けるということは、お釈迦さまのお弟子となり、真の仏教ととしての自覚を持ち、仏教の教えにしたがって行きようと誓願することです。
戒師さまのお導きにより、戒法の心を自覚したその証として「お血脈」を授かるのであります。もんほう聞法とらいはい礼拝をとおして、必ずや法(み仏さまの教え)のお徳が、みなさまの身と心を満たすことを確信いたします。
世界のひとりでも多くの人々が、慈悲と知恵の教えである仏教を、日々の暮らしの中で実践し、「共に生きる」喜びを見出す「受戒会」に、縁を結ばれますよう、切にお勧め申し上げます。
というスピーチでした(^^)
