
私が生体腎移植を受けた頃は「移植」など夢物語であった。
腎不全が進みいよいよ透析導入という時期になっても、医師からの選択肢は「人工血液透析」と「腹膜透析」ということしか言われることはなかった。
選択肢に「腎移植」というカテゴリーは存在していたが秋田の片田舎では言葉だけと言う状況。勿論秋田では移植医療は一時行われたことはあったが、休止状態であった。
私は本を調べ親戚を頼り、埼玉の防衛医科大学校病院で弟から生体腎移植を受けることになる。それが今日10月6日。弟に感謝する日である。
(詳しくはhttp://www.shirakami.or.jp/~murakosi/jinnzou.htm)
あの頃は誰に聞いても「移植など命に関わるから止めた方がよい」と否定派が大半を占め取り合ってもらえないのが現状であった。
現在秋田大学医学部附属病院では佐藤滋教授のもとで東北では最も多い生体腎移植を行っている。腎移植先端医療施設になった。
秋田大学医学部附属病院での腎移植
http://www.med.akita-u.ac.jp/~hinyoki/general/diseasetreatment/kidneytransplant.html
しかしここで行われる移植はます殆どが6親等以内から行われる「生体腎移植」である。1997年(平成9年)の臓器移植法施行後ら脳死下臓器提供が1件、心停止下臓器提が3件とわずかしか行われてない。
秋田県では1,800名ほどの透析患者の内移植を希望するドナー登録は減少の一途をたどっていまる
1997年には91名でした。2000年に117名それから年々減少し現在では62名となっている。
腎不全患者は年々増え続けている。しかし根治治療を目指すための最良の方法が移植であるにも関わらずそれに向かっていない。
脳死からの提供は秋田県では皆無に等しいからである。待っていても提供を受けることはまず難しい。20年待って頑張って生きてやっと近づくという有様。
それまでには無尿のため、移植したところで膀胱は萎縮しピンポン球位になっている。社会生活は到底送れない。
移植は早く行わなければならないのである。それで皆さん生体腎移植へ向かわざるを得ないのである。
これをなんとか改善できないかと始まったのが「臓器移植推進月間」私は昔随分と力を入れて関わったが、この名前だけはどうしても好きになれない。
「臓器移植推進」って・・・嫌な言葉だ。
臓器を提供するということは、そこに人の「死」があるのだ。それを「推進」ってことはとても気持ちが悪い。
私は自分で担当していたときには「臓器移植理解啓発活動」と言っていた。県にもそのことは何度も伝えたが、頭が悪い人々に何を言っても無駄。だいたい真剣に考えてなんていない。
脳死からの臓器提供が行われなければ移植は進まない。だから、臓器移植について県民の皆様にご理解を戴き、その上で意思表示カードに「YES」「NO」を書き込んで貰う。「移植」について考えて貰う機会を提供し、その上でなければ反対も賛成もないのである。
だから「理解啓発」なのである。
移植推進などと言う言葉を使っている間、理解は深まらないと心の底から思う。
人の死をもっと誠実に取り扱う姿勢が必要だ。
腎不全が進みいよいよ透析導入という時期になっても、医師からの選択肢は「人工血液透析」と「腹膜透析」ということしか言われることはなかった。
選択肢に「腎移植」というカテゴリーは存在していたが秋田の片田舎では言葉だけと言う状況。勿論秋田では移植医療は一時行われたことはあったが、休止状態であった。
私は本を調べ親戚を頼り、埼玉の防衛医科大学校病院で弟から生体腎移植を受けることになる。それが今日10月6日。弟に感謝する日である。
(詳しくはhttp://www.shirakami.or.jp/~murakosi/jinnzou.htm)
あの頃は誰に聞いても「移植など命に関わるから止めた方がよい」と否定派が大半を占め取り合ってもらえないのが現状であった。
現在秋田大学医学部附属病院では佐藤滋教授のもとで東北では最も多い生体腎移植を行っている。腎移植先端医療施設になった。
秋田大学医学部附属病院での腎移植
http://www.med.akita-u.ac.jp/~hinyoki/general/diseasetreatment/kidneytransplant.html
しかしここで行われる移植はます殆どが6親等以内から行われる「生体腎移植」である。1997年(平成9年)の臓器移植法施行後ら脳死下臓器提供が1件、心停止下臓器提が3件とわずかしか行われてない。
秋田県では1,800名ほどの透析患者の内移植を希望するドナー登録は減少の一途をたどっていまる
1997年には91名でした。2000年に117名それから年々減少し現在では62名となっている。
腎不全患者は年々増え続けている。しかし根治治療を目指すための最良の方法が移植であるにも関わらずそれに向かっていない。
脳死からの提供は秋田県では皆無に等しいからである。待っていても提供を受けることはまず難しい。20年待って頑張って生きてやっと近づくという有様。
それまでには無尿のため、移植したところで膀胱は萎縮しピンポン球位になっている。社会生活は到底送れない。
移植は早く行わなければならないのである。それで皆さん生体腎移植へ向かわざるを得ないのである。
これをなんとか改善できないかと始まったのが「臓器移植推進月間」私は昔随分と力を入れて関わったが、この名前だけはどうしても好きになれない。
「臓器移植推進」って・・・嫌な言葉だ。
臓器を提供するということは、そこに人の「死」があるのだ。それを「推進」ってことはとても気持ちが悪い。
私は自分で担当していたときには「臓器移植理解啓発活動」と言っていた。県にもそのことは何度も伝えたが、頭が悪い人々に何を言っても無駄。だいたい真剣に考えてなんていない。
脳死からの臓器提供が行われなければ移植は進まない。だから、臓器移植について県民の皆様にご理解を戴き、その上で意思表示カードに「YES」「NO」を書き込んで貰う。「移植」について考えて貰う機会を提供し、その上でなければ反対も賛成もないのである。
だから「理解啓発」なのである。
移植推進などと言う言葉を使っている間、理解は深まらないと心の底から思う。
人の死をもっと誠実に取り扱う姿勢が必要だ。
私の夫はもし事故に合い、脳死になっても私に腎臓は移植しないそうです。
体をとんでもなく、切られると思ってます。だから免許証への臓器提供は空白です。
それからというもの、少しの愛情も持てません(-_-;)
同じクリニックで透析している人は、移植を受けると死ぬと思ってますよ、
その人は、透析の原因から考えると移植で一生透析から離れられると思うのに。
理解はなかなか得られないです
旦那さんはともかく、クリニックで透析している方々が間違った認識をお持ちだと言うことに驚いています。現在では移植について沢山の情報があるわけで、そのひとつでもお読みになればそのような「移植をしたら死ぬ!」などという間違った思い込みにはならないと思います。
本編にも書いていますが、「透析」は対症療法で一生改善することはないのです。「移植」は根治治療に繋がる医療です。
もし、仮にです。移植した腎臓が機能しなかった場合「死ぬ」ということはありません。透析していた状態に戻るだけの話です。しかし、たった1週間でも移植した腎臓が機能したならば、恐らく今まで透析をしていた年月は一気にリセットされ、その後の透析はたとえ10年経過していても、1年目と同じ状態になるとお考えになってもよい位身体は健康体に戻ります。
実際私は23年前に初めて透析を行い、その年に移植をして16年間健常者と同じように暮らしました。その後透析再導入7年目ですが、毎日透析をしていることもあり、肌がどす黒くなることもなく、傍目では透析患者とは識別出来ないほど元気にしております。それもこれも間に「移植腎」が元気に働いてくれた年月があるからです。
移植は腎不全患者が健常者になる唯一の方法です。
さて、旦那さんですが残念ですね。ちゃんとした情報がインプットされていないのですね。だいたい、脳死になってしまっては痛いもなにもない(^^;;。腎臓を摘出するにも生体なら腹腔鏡でしょうが、脳死からなら切るとは思いますが腎臓から尿管~膀胱までを見やすいように切ることとなります。別に痛いわけでもないのですがねぇー。脳死してるわけですし。
脳死からの提供にはそれぞれの宗教観もあるかと思いますので、旦那さんを責めることは出来ませんが、奥様が透析で御苦労されている現状をみて何も感じないとすればそれは残念だと思います。
そういうことで夫婦間が冷めてしまうのは極めて残念だと思います。今後生体や脳死ばかりでなくその他の方法(IPS細胞)等が一般化されて透析から離脱出来ることを望むばかりです。
お返事遅くなってごめんね、