おーちゃんぶろぐ。-まっすぐ歩いてる?-

人生は『ロード・ムービー』

喜び悲しみ
ひとコマひとコマ紡ぎ合わせて…
いつしか、ハッピーなエンドロールを。

あの大空を流れてゆく風のように、蒼空高く舞い上がれ。

2010-04-08 10:25:57 | Weblog
お天気に恵まれました
4月8日の『スタートライン』

小学校前の桜も
満開の花が、みんなをお出迎えです


おはようございます 大橋理容室でございます



いやぁ
素晴らしく晴れ渡った青空

本当に良かったですね

新一年生のみなさん、御父兄のみなさん
『ご入学』おめでとうございます


それぞれに
進学・進級されたみんなも

気持ち新たな『新学期』
心の成長も、また少しずつ逞しくなる季節ですね


新社会人になった方々も
まだ着なれないスーツも、徐々に板につくよう

失敗したり

怒られたりと…


繰り返しながら
たくさんの『経験』を積んで戴きたいと思います。

誰しもが
そこから、スタートをきった訳ですからね




さてさて
今朝の『埼玉新聞』さんから

「打撃の神様」もプレー 熊谷市民球場

『60年の歴史に幕』

昭和25年に造られた『熊谷市民球場』は
中堅115メートル、両翼90メートルのフィールド

バックネット裏と1、3塁側にはコンクリートのスタンド
外野・芝生席で試合観戦も出来た。

スコアや選手名を表記する
『手書きのスコアボード』も、実にレトロで味があった。

同年には
巨人vs大洋など3試合が開催され

「打撃の神様」川上氏らがプレー
スター選手の登場に、市内が賑わった


70年代までは毎年
イースタンリーグ・公式戦が行われ

当時、巨人に在籍していた西本聖氏(現千葉ロッテコーチ)や
定岡正二氏(現野球解説者)らもマウンドにたった。

78年に証明塔やスコアボードを備えた
『熊谷運動公園球場』(同市小島)が建設されるまで

『全国高校野球選手権埼玉大会』にも使用され
県内の球児たちが甲子園を目指した。

最近では高校や中学の軟式野球大会や
草野球、学童大会にも活用

近年は地震などの災害一時避難所に指定されていたが
スタンド部分のひびなど老朽化が進んでいた。

少し寂しい気もするが
取り壊し後は、市民の『公園』として生まれ変わる予定

かつて市民球場があった歴史を残すべく
レリーフ設置の計画も、名称は一般公募で決める。



時代が変わる度に
新たなものが生まれ、歴史の幕を閉じるものがある

これは
自然の原理で、いたし方のないこと。


ここ近年
急激な、ものの移り変わりにより

時代の変化への対応も
否応なく求められる。



変わるもの

変わらない想い


替えてはならないもの

代わるべきもの

それぞれにたくさんある。


一番変わらずに在りたいもの
それは


いくら時代や、物が変化しようとも

その時代を生きる人みんなが
一緒になって、楽しめることなんじゃないかな。


一緒になって働き

一緒になって遊び


一緒になって暮らしてゆくこと。



そのためには
様々な歴史同様に、時代に併せた『新旧交代』も必要かと。






町の情報ジャンクション・大橋理容室